◇
先生が次のページをめくり、ちょっと首をかしげた。
みんなの視線が日記に集まる。
「次は誰なの?」
真悟が小さな声で聞く。
先生が日記から顔を上げて、
真悟を見るといたずらっぽく笑う。
「真悟くんも何か心配なことがあるの?」
「そうじゃないけど‥」
「真悟くんの名前はまだだったわね。
でも、次は誰かのことじゃないみたい」
そういって、また先生がちょっと首をかしげる。
「コウタくんとかなちゃんの日記の続き‥かな」
みんなは、何だか分からず、顔を見合わせている。
かなこもコウタの顔をみる。
コウタと目が合ったが、コウタも首をかしげている。
「じゃあ、読むわね」
みんなが先生をみる。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」
先生が顔を上げて、口を閉じたまま笑う。
八木先生の一番うれしい時の表情。
それはみんな分かってる。
だけど理由が分からない。
「それで終わり?」
コウタが聞く。
「ううん、まだ続きがあるの。誰か分かった?」
「それだけじゃムリだよ。数字ばっかで、
まだ言葉が出てこないじゃんか」
ツバサが不満そうに言う。
「じゃあ、続きを読むわね」
先生はツバサの言葉を流して続きを読み始める。
「11、12、13、14、15、16‥」
「ほんとに続きだよ」
ツバサがぼやく。
先生の目には、何かに気づいた何人かの顔が見える。
かなこも心の中で小さく叫んだ。
「20、21、21、22、23、24、25、26、27‥‥」
先生の声のリズムが変っている。
そのリズムで、先生が何を読んでいるのか、
みんなにも分かった。
「51、52、53、54、55、56、57、58‥‥」
クラス全員が、あの時と同じように、
同じリズムで、同じ気持ちで、その数を数えた。
心の中で大きな声で一緒に数えた。
「97、98、99、100、101、102、103、104、105‥…」
100を超えたあたりからは、みんな声が出ていた。
先生の声が聞こえないくらい、
みんなの声が大きく教室に響く。
「118、119、120、121、122!!」
最後の数字を、みんな知ってる。
あの日、優勝した5年3組の記録。
かなこはしまいかけた先生のハンカチで顔を覆った。
「いっしょに跳んでたんだぁ」
Kちゃんもコウタも、あの時、いっしょに跳んでたんだ。
いま、分かった。
あの日、あの時、本当に、
みんな、いっしょに跳んでたんだ。
◇
かなこは知らなかったが、
あの日、本番前になってもKが見つからず、
大声でどなっていたのがタツヤだった。
「どこ行ってんだよ、あいつ。
いっつも肝心なときにいないんだから」
「いま、かなちゃんが呼びに行ってるから」
ミサが大声で答える。
かなこがあきらめてみんなの所に戻ったあと、
八木先生もKと話していた。
先生が迎えに行っても、
Kはその場を動こうとしなかった。
「おやすみ。おやすみするの」
「でも、今日はクラスのみんなで一緒に跳ぶのよ」
いつもは、こんなに嫌がったりしないのに。
そう思って先生がKの手をつかもうとしたとき、Kが言った。
「おうえんするの。おうえんでいっしょにとぶの」
先生の手がとまる。自分の言葉だった。
コウタが交通事故で足をケガしたとき、
先生がコウタに言った言葉だった。
「最後までみんなで一緒に」という約束が守れないと言って、
放課後の職員室でコウタは泣いた。
あの時、Kは職員室の前で
お母さんが迎えにくるのを待っていた。
「聞いてたんだ‥」
先生はKの手をつかもうとしていた手をひいた。
そして、Kの頭をなでて言った。
「うん。じゃあ、しっかり応援してね。」
もっと早く、先生といろんなこと話せばよかった。
かなこは思った。
あの時、もし優勝じゃなかったら、
Kちゃんはなんて書いたのかな。
あの日、2組があと10回多く跳んだら、
金メダルは2組のものだった。
そしたら、私たちの「122」はくすんでしまったのかな。
あの瞬間は優勝したのが嬉しかった。
みんなで抱き合って泣けるくらいうれしかった。
でも、いま感じるのは、
あの場所にみんながいて、
自分がいて、
コウタとKちゃんがいて、
あの時、みんなはつながっていたってこと。
だから優勝じゃなくても、
あの日の数を心で数えたら、
みんなの顔を思い出すんだろうな。
きっと、大人になっても。
「先生、わたし、少しだけ分かったような気がする。
金メダルより大事なもの。
あの時、あの場所に、みんながいっしょにいたこと。
それが心の中では一番の宝物なんだよね。
Kちゃんも、私も。
そしてみんなも。
ねぇ、先生。」
かなこの思いは、声にはならなかった。
でも、先生と目があったとき、
先生は笑いながらうなずいてくれた。
クラスの空気はあの日と同じように弾んでいる。
みんなが同じ時を思い出していた。
あの日、みんなで同じ陽射しをあびて、
一緒に汗を流して、
一緒に叫んで、
一緒に喜んだ。
あの毎日の練習とあの日のこと。
かなこは先生のハンカチを握りながら目を閉じて、
空を見上げた。
あの日の空が、たしかに見えた。
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