ワニなつノート

《ふ》「ふつう」は無理と思う子に一人も出会ったことがない


《ふ》「ふつう」は無理と思う子に
   一人も出会ったことがない



「ふつう学級は無理と言われた」子に、毎年出会ってきた。

だけど、「ふつうは無理と思う」子には、一人も会ったことがない。

実際、そんな子は一人もいなかった。


入学式で泣き叫ぶ子はいる。
先生に抱きかかえられながらも、逃げ出す子がいる。

校長先生のマイクを奪って、返さない子もいる。
校歌を指揮する先生の真ん前で上手に指揮を真似て、みんなに笑いをこらえさせる子がいる。

新入生歓迎の「おむすびころりん」のステージに上がり、おむすびを奪って走り出す子がいる。おじいさんもネズミもそれを追いかける。


それでも「ふつう」は無理じゃなかった。


             yellow19


《竜のいる地図》


中世の時代の地図には、未知の不安な場所に、「ここに竜がいる」という印が付けられていた。


生まれてはじめての「がっこう」に、竜の印をつけている子はたくさんいる。
それは障害のある子だけじゃない。

未知の不安な場所を怖れ、警戒するのはむしろ自然なこと、健全なこと。
そこに竜がいないことが分かれば、怖れもこだわりも溶けていく。



その確かな証は、中学・高校への彼らの地図にある。

「ふつう学級はむり」と言われた子たちが、小学校の6年間で「学校」にどんな印をつけるか?

「ここに竜がいる」という印ではない。「つながりの中の私」がいる場所、という印だった。


小学校の中で、「つながりの中の私」を生きてきて、それを学ぶ次の場所が中学校だった。だから小学校の入学式のような話は、中学ではほとんど聞かない。



「ふつう学級はむり」と言われた子たちが、小中学校の9年間で、「ふつう学級」にどんな印をつけるか?

「ここに竜がいる」という印ではない。「つながりの中の私」がいる場所、という印だった。

小中学校で「つながりの中の私」を生きてきた子どもが、今度は高校生としてそれを学ぶ。あまりに自然なことだった。


また、中学校の中で「つながりの中の私」を生きられなかった子が、高校でそれを取り戻そうとすることもある。親が良かれと思って中学で特学を選んでも、「ここではない」と思い続ける子がいる。彼らは、「高校」で「つながりの中の私」を取り戻そうと必死だった。

また親が良かれと「高等部」を見学させても、そこではないと首を振る子もいる。彼らには、そこが「つながりの中の私」の居場所にみえなかったのだろう。




《つながりの中の私》


「ふつう学級は無理」と言われた「6歳の子ども」たちと出会いつきあい続けてきて、「見事だなあ」という思いがくり返し湧き上がる。彼らの、高校への意欲、主体性、努力、悩む力、あきらめない気持ちは、本当に見事だった。


はじめは、同級生たちと同じように点数に悩み、振り回されることもある。しかし、不合格にされた後の「話し合い」を自分の耳で聞きながら、「不合格は自分が悪いのではない」と確信していく。

自分だけでなく、仲間の受検生もみんな高校生になれるべきだという自信と信頼を取り戻す。なぜなら、学校は、子どもたちが「つながりの中の私」を学び成長させる場所なのだから。


自分の生き方と向き合う彼らの真摯な姿勢が、どれほどのものであったか。彼らの高校へ向かう生き方を通して、私は圧倒される思いを繰り返してきた。

高校では皆勤という子も多い。中学で不登校だった子どもが、受検を通じて「つながり」を取り戻していく姿があった。「つながりの中の私」を高校で取り戻すことが、その先の社会のどこにでも、自分の居場所があることの自信につながっていた。

そしてみんな社会の中で、働き、生き続けている。高校は「つながりの中の私」の通過点だった。



小学生になれば、小学生として。中学生になれば、中学生として。高校生になれば、高校生として。それぞれの場所と時代に浴びた、「同じ」の体験と信頼が、人生の地図に安心の印を刻む。

みんなの安心が見えるところに、この子の怖れはない。

ふつう学級で安心と自信を学んだ子どもは、高校にも、社会にも、「竜の印」をつけない。

出会った子どもたちすべてに共通しているのは、どの子の地図にも「つながりの中の私」が年輪のように刻まれていることだった。
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