私の出会ったきょうだいたち (その5)
今日は「きょうだいの日」、らしい。
先日、発行の岩波ブックレットを読んで知った。
本の帯に《「私のことは誰が助けてくれる?」、「きょうだい」が声を上げられる社会は、誰にとっても生きやすい社会!、「ヤングケアラー」当事者の声」》と書かれている。
この本を読んで少し落ち着かない気持ちになった。
それが何なのか、うまく言葉にできないのだけれど。せっかくの「きょうだいの日」なので、はじめて「きょうだい」という言葉を知った36年前の本を引っぱり出してみた。
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《時代の流れ 幼いきょうだいたちを見つめて》
【…「パンを焼く会」がおこなわれた。嬉々としてパンの粉を練り、嬉々としてパンをかじり障害児たちと遊びころげる幼いきょうだいをみつめていると時代の流れを感じる。
「兄弟で同じ学校へ行かすのはかわいそうだ」という“親心”に守られて越境して隣の学校や遠い私学へ通ったきょうだい。「障害児をもつ“苦しさ”は親だけが背負い切ってきょうだいたちには苦労はかけない」という親の“配慮”に支えられて障害者のことをあまり考えもせずに育ったきょうだいたち。それでいて弟や妹のことを隠して生きてきたきょうだいたち。
今そうした生き方のまちがいに気づきあらためて共に生きることを追求している私たち年長のきょうだいから見ると、幼いきょうだいの姿が生き生き見える。
校区の学校でみんなといっしょに学び生きることを当然と考え、胸をはって生きようとしている若い親たちと、その親たちの生き様から、きょうだいが共に生きるのをごく当たり前のこととして暮らしている幼いきょうだいたちを見ていると時代の流れを感じるのである。彼らこそがやがてきょうだい会の担い手となるだろう。】
『“障害児”の兄として教師として』松村敏明 明石書店1986年
□
当時26歳の私も、幾人かの幼いきょうだいに出会い、同じようなことを感じていたのを思い出す。でも、最近の言葉遣いは、ここに書かれている気配とは違う気がする。
とくに、「ヤングケアラー」の苦労と「きょうだい」の苦労を重ねて語ることに何か違和感を感じてしまう。その言葉遣いでは、きょうだいがきれいに分けられ、それぞれ別々に支援する、という流れになっていくんじゃないだろうか。
それは、「兄弟で同じ学校へ行かすのはかわいそうだ」という昭和の“親心”を守り続けることにならないか。《きょうだいと同じ学校でいいのか》という親の不安は、令和の就学相談会でも変わらない。それが、私にとっての気がかりなこと。
※ 念のために書いておくが、ヤングケアラーの問題を軽く見ているつもりはまったくない。今まで援助ホームで出会った子の中には、家族のケアのために高校を休学させられて逃げてきた子もいた。ケアさせられる相手が親であれ、祖父母であれ、兄弟姉妹であれ、同居の親戚であれ、相手の属性によって語る問題ではないと感じる。
子どもが子どもでいられる主体と時間を奪われていることそのものを言葉にすることが大切なことじゃないのかな。
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