ワニなつノート

この子がさびしくないように(その8)

この子がさびしくないように(その8)


1915年の「続あしながおじさん」では、
「精神薄弱」は「遺伝」として説明されていました。
そして、政治家である「恋人」に、
「こうした人たちを隔離し、絶滅させることが、
あなたの仕事でしょう」と手紙に書いたのです。

現実に、世界中で多くの政治家が、その通りに動きました。
ドイツでは「安楽死」計画で、
20万人以上の障害者がガス室に送られました
アメリカやスエーデン、日本でも、
障害者は子宮を奪われ、断種されました。


1950年に書かれた「母よ嘆くなかれ」では、
「遺伝」についての偏見の間違いは指摘されています。

【大部分は、遺伝以外の原因で知能の発育が遅れているのです。
『何か家族の系統が……』という古い烙印は、
すべて間違っている場合のほうが多いのであります。】


「遺伝」という間違いを指摘してあります。
では、その人たちの問題はどのように書かれているでしょうか。


    □    □    □


前人口に対する知能の発育の遅れている人の割合は、
決して大きなものではありません。
しかし、それでもその数は到るところで
問題を惹き起こすには十分であります。

全然自分の過ちではないのに、
知能の発育が進まないこの人たちがいるために、
家庭は不幸となり、
両親が気が狂ったようになり、
学校では教室は混乱してしまいます。

そして両親が死んだり、世話がみられなくなったり、
また先生方がさじを投げたりするにつれて、
これらの子供たちは救うものもなく世間をさまよい歩き、
そして行く先々で乱暴をはたらくようになるのです。

これらの子供たちは彼らより利口なものの道具となり、
救う道のない年少犯罪者となり、
どうしてよいか分からないばかりに
犯罪の道に堕ちて行きます。


このような子供たちに対するよりよき理解が開けて来たことを、
私は大変嬉しく思っています。
賢明な人たちは、知能の発育が止まった人々に対しても、
…その人々に出来ることを教育するのは当然のことであると、
冷静に考え始めるようになりました。

    ◇

まず、ご両親たちに申し上げますが、もしあなた方が、
ご自分のお子さんは正常な発育を遂げることが出来ないと
おわかりになった後でも、
仮にお子さんが自分の状態を自覚するようになる可能性が
ない場合には、決して悲しんではなりません。


両親よりも長生きするかも知れない子供の生命を、
どうしたら保護出来るだろうかという問題に加えて、
自分たち自身のみじめな生活を一体どうしたらよいだろうか
という問題までがのしかかってくるからです。

人生のすべての明るさも、
親としての誇りも消え去ってしまいます。
誇りがなくなるばかりではなく、
またそれ以上に実際の人の生命が、
その子でもって杜絶えてしまうような感じさえするものです。

…もし、私の子供が死んでくれたら
どのくらいいいかわからないと、
私は心の中で何べんも叫んだことがありました。

このような経験がない人たちには、
これはおそるべき考えに聞こえるに違いありません。

しかし同じ経験を知っている人たちには、
おそらくこれは何も衝撃を与えるようなことには
響かないと私は思うのです。

私は娘に死が訪れるのを喜んで迎えたでありましょうし、
今でもやはりその気持ちに変わりはありません。

というのは、もしそうなれば、
私の子供は永遠に安全であるからです。


この種の親切な死の問題について、
人が考えるようになるのは無理もないことです。

ときどき、私は知能的な欠陥をもった子供を死なせた男の人や、
婦人の話を新聞で読みますが、
私の心は本当にそのような人たちに
同情せざるを得ないと感じます。

私にはそのような行為の裏にある
愛と絶望の気持ちがよくわかるのです。



(※ これ以上引用する気持ちになれないので、ここで止めます。)

念を押しておきますが、
これはドイツの安楽死計画について書かれた本ではありません。
ノーベル賞作家であるパールバックという母親が、
自分の娘の幸せを願って書かれている本です。

この本を書いた理由を、
パールバックは次のように書いています。

【私の子供と同じようなお子さんを持ったご両親たちから、
私が長年にわたって頂いた手紙のためでした。
このようなご両親たちは、
私にどうしたらよいでしょうかとお尋ねになるのでした。

…この方々は手紙で私に二つのことをお尋ねになります。
第一はこの方々のお子さんたちを
どうすればよいかということであり、
第二はそのようなお子さんを持った悲しみに
どうしたら耐えてゆかれるかということであります。】




「お子さんたちをどうすればよいか」。
「そのようなお子さんを持った悲しみに
どうしたら耐えてゆかれるか」。

私は、この本でパールバックが書いている
「お子さんたちをどうすればよいか」は、間違いだと思います。

私たちは、「悲しみにどうしたら耐えてゆかれるか」ではなく、
親として「子どもと出会った喜び」を語り合い、
共に育ち合う子どもたちの人生の希望を語り合えるのですから。





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