気管切開とふつう学級への入学(予告編・その5)
《「窓口」の偏見と「相談員」の理解の遅れ》
今回、要望書を提出し、担当者と話し合いをしてみて分かったこと。
その市の「窓口」の人や「相談員」の人の差別意識が、30年50年前と変わらない、ということ。
結局のところ、窓口や相談員が、「法律」や「社会常識」の「変化」を知らないだけ。
その場合、その人の「常識」は、子どものころの経験や知識のままだということになる。
で、障害=「ふつう学級は無理」の「分ける教育の成果」が、そこに現れる。
行政の窓口が「無知」なだけなのに、相手の言葉が「教育委員会の方針」のように、親が受け取ってしまうのは仕方のないこと。
初めての子どもの入園や、入学のことで、市役所を訪れるのだ。
その窓口に偏見と情報不足の職員がいるとは、にわかには信じがたい。
そのまま引き下がってしまえば、それが「前例」となり、その対応が正しいと思い、窓口の無知と偏見は強化される。悪循環。
一方、あきらめさせられた親の情報は、親のネットワークや雑談を通じて広がり、生まれくる子どもの親たちに伝わり、「継承」されていく。
実際、その市の評判はすこぶる悪い。
いわゆる、親の情報網で語られる「ふつう学級は難しい」も、そうした「窓口」や「相談員」、教員や医師の「無知と偏見」が継承されたものだ。
私は1984年に知ちゃんに出会って以来、33年のあいだ「ふつう学級がむり」な子に一人も出会ったことがない。
定時制高校に17年いた間も、毎年障害のある子が入学してきたが、「普通高校がむり」な子は一人もいなかった。
中学校の情緒障害児学級で13年間、「通級」してくる子どもたちとつきあったけど、ふつう学級が無理な子は一人もいなかった。
そして、私が千葉で就学相談会をはじめた1990年以降、会の子で、ふつう学級に入れなかった子はひとりもいない。
それなのに、21世紀の今も、「ふつう学級はムリ」「親が付き添って面倒見るなら…」「付き添わない? それなら特別支援学校へ」「医療的ケアが必要? それなら訪問教育もある」…。
そんなふうに言われる現実がある。
訪問教育?
その子は気管切開をしているだけで、歩けるし話せるし遊べるし食べられるし着替えも食事もトイレも自分で行ける。
そんな子に「訪問教育」を進める相談員もいる、という「現実」を、障害児の親は知っておかなければならない。
子どもの命や安全を脅かすのは、病気や障害ではない。
目の前のただの窓口のおばさんや、相談員の「個人的意見」が、子どもの人生や、人としての出会いを脅かしているのだ。
無知で偏見だらけの教育経験しか持たず、新しい情報を学ぶこともない、30年前の差別的雰囲気が、いまも変わらないと信じているのだ。
そんな、ハズレの窓口や相談員は、跳び越えるしかないよな。
だから、要望書には意味がある。
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