2004年7月27日-
里帰りしていた妻が、早朝に陣痛を起こした。
予定よりも14日早い。
義母が付き添ってくれたが、連絡を受けた私もすぐさま産婦人科へ駆けつけた。
夏本番を迎えようとする時期。
暑かった事を今でも思い出す。
初産という事で長丁場を余儀なくされた。
陣痛室で痛みに耐える妻。
男は無力。
何もしてやれる事がない。
こんな中、病院の食堂でテレビを見入る。
気休めで眺めたテレビ。
そこに映っていたのは高校球児の姿だった。
若狭と福井商が甲子園を掛けた福井県予選の準決勝。
妻の事を気に掛けながらも、義母とらーめん定食を食べながら見ていた。
試合は、8回の中前打で若狭が逆転に成功する。
9回に追いつくも、福井商はその裏にサヨナラ負けを喫した。
福井商の決勝進出が20年連続で途切れた、そんな年だった。
この試合、福井商には2年生のある選手が出場していた。
相手の打球にあと一歩届かず、責任を感じたと後にある記事で知った。
来年、この借りは絶対に返す-
練習着の袖に「2004年7月27日の涙を忘れない」と縫込み、練習に励んだ。
そして翌年、春夏連続で甲子園の土を踏む事となる。
福井商が敗れた翌日、陣痛に耐えた妻が元気な男の子を産んでくれた。
蒼い空のような大きく澄んだ人になってほしい。
産まれてきた子にそう願いを込めた。
この年から15年後。
福井県中学校軟式野球選抜という思い掛けない運命に導かれる。
2019年7月27日-
今から15年前、病院のテレビで目にしたあの高校球児。
県選抜の指揮官となり、15年後の7月27日の県選抜セレクションで出会う事となる。
そして、ここから18人の少年達が福井県を背負う事を学んでいく。
2004年度、2005年度に続く3度目となる結成。
この日を境に14年間止まっていた福井県選抜の時計がゆっくりと動き始めたのであった。
つづく