蒼い空の下で

文系男子の何気ない1日を記します。

夏のあとがき③―感謝―

2016-09-07 22:12:57 | 2016年学童野球
―青郷クラブとの縁―
昨年、嶺南の学童野球チームを対象としたプロ野球観戦で一緒したのが
青郷クラブの6年生(当時5年生)だった。
行き帰りのバスの中で仲良くなったと聞く。
これまで何度か対戦したが、困ったことに試合中にも関わらず
会話をする仲のようだ。
今大会、最後の相手が青郷クラブ。
不思議な縁を感じる。

試合は終盤に差し掛かったが
4点をリードする中での瑞生の好投が光る。
打線は沈黙ぎみだが、全体としてはいい流れだ。
ベンチからは、特に瑛喜や貴悠からの声が聞こえていい雰囲気だ。

5回の表、先頭バッターがサード横への強い打球を打ち返した。
一歩届かなかった翔太だったが、ショートを守る睦生が
深い位置にも関わらず、上手く処理をした。
兄がマウンド上の弟を助けた そんな場面だった。

【瑞生のこと】
「かおがながいのがむっちゃんで、まるいのがみずくん」
保育所の頃、蒼空に訊ねると必ずこう返ってきた。
年中組で一緒していたのが睦生だったのか
夕食時には睦生の話題がでることもあった。
私は顔の区別はできなかったが、息子との会話から
瑞生よりも睦生の方に印象を憶えた。

土曜日の昼間、和田浜でビーチラグビーの練習会をしている時の事であった。
そこへ蒼空の保育所の友達数人がやってきたことがあった。
みんなが「そらくんのおとうさんや」と手を振ってくれた。
そして、蒼空の隣に双子のどちらかがいた事を憶えている。

私は、考える間もなく、その子にこう言って手を振り返した。
「おーい。むっちゃん。」
その子は、ニコニコしながら手を振り返してくれた。

その日の夕食時に蒼空と昼間の事について話をした。
「今日、浜にむっちゃんも来とったな。」
「おとうさん、あれはみずくんやで。かおがまるかったやろ。」
名前を間違っても、愛想良く手を振ってくれたのが双子の弟・瑞生である。

6回の攻撃、瑞生が打ったヒット性の打球を
相手センターがダイビングキャッチする。
その裏、瑞生のコントロールが突如崩れ出す。
しかし、フォアボールからランナーを出すもなんとか凌ぐ。

いよいよ最終回の攻撃を迎える。
青郷は、この回から俊太がマウンドに上がる。
だが翔太のツーベースヒットから1点を奪ってみせる。
打順はトップに戻って星輝。
ベンチから父親そして母親が見守る中、最後の打席へと向かった。

【星輝のこと】
3年生の冬場の事だった。
星輝は膝を怪我した。
回復には長期を要するはずだったが、短期間で復帰した。
復帰までの間、走る事はできなくても練習を休むことはなかった。
ひたすらバットを振り、できる範囲で体を動かし続けた。

星輝は、3年生の秋から出場していた数少ない一人だった。
ただ運動能力があるから試合に出場していた訳ではない。
多くの努力や苦労を積み重ねてきた結果だった。

監督からの指導も厳しかった。
私自身もその様子を今でも覚えているが
試合中にグラウンドを走らされた事もあった。

ある時は、試合後にコーチである父親に
グラウンドから家まで走って帰らされた事もあった。
我が家も積み重ねてきたつもりだが
ここには勝てる気がしない。

そんな星輝だが、最近では女子を極端に意識する。
今年のビーチラグビーの練習で、手つなぎ鬼や手つなぎリレーを行った時だ。
こはるや彩音と手を繋ごうとしないどころか、逃げていってしまう。
極端なほどの恥ずかしがり屋である。
普段からは想像できない、意外な一面を持っているのが星輝である。

星輝の打球は外野を越し、その足で3塁まで駆け抜けた。
ベースに到着すると、サードを守る叶都と会話をしていたようにも見えた。

続く2番・蒼空(5年)がフォアボールで出塁。
私の前を通り過ぎてネクストバッターズサークルへと
向かったのが四番打者だった。

そこからバッターボックスを眺めると
我が子の良き理解者とも言える存在がそこにはあった。

【こはるのこと】
「嫌や。わたし、もう家に帰る。」
5年生の春先のことだった。
監督から練習態度を注意され、叱られたこはるは
泣いて怒って家に帰ってしまった。
珍しい事ではなく、こんな事は他にも幾つかあった。
お喋りをして、いつまで経っても
準備や片付けができなかったのもこはるだった。
また、試合に出場できない彼女にとって
守備練習は苦痛だったようで
練習中は座り込んで地面に絵を書いていた事もしばしばあった。
試合前、トスバッティングの順番を抜かされ
泣いてしまって試合中のベンチの中で
無言のまま下を向いていた事もあった。

だが、6年生になってからのこはるは一転した。
準備や片付けとなると、真っ先に動くようになった。
学校行事では団長を務めるなどして、男の子を引っ張るほどになった。
そして、野球ではいつしかレギュラーとして活躍するまでに成長した。
どんなことがあっても常に笑顔を絶やさない、それがこはるである。

蒼空(5年)に続き、こはるも内野安打で出塁した。
ここへ来てチャンスが膨らむ。
ここで監督は、次のバッターを呼び寄せて何やらアドバイスする。
目の前にいた私には、その内容が聞こえていた。
若狭和田の四番へ監督からの最後のアドバイスだった。

【蒼空のこと】
「こはるのせいや」
家に戻るなり、蒼空は泣きながら叫んだ。
3年生秋のフラワーカップでの出来事だった。
途中からライトへ入った蒼空だったが打席が回らずにいた。
最終回、彩音とこはるが蒼空の打席の前に代打として送られた。
彩音が三振で2アウト。
こはるはフォアボールを選んで出塁。
蒼空がバッターボックスに入った直後、こはるは牽制でアウトにされた。

この頃、1打席がほしくて親子で頑張り始めた頃だった。

帰宅後、泣きじゃくる蒼空と当時4歳児だった歩夢の手を引っ張って
そのままグラウンドへと向かった。

11月の初旬。そして試合で遅くなったグラウンドは薄暗くなっていた。
―この日、星輝や瑞生に6打席あったなら、お前にも打たせたらな―
私はその思いでマウンドへ立ち、蒼空へボールを投げ続けた。
試合にも出してもらえないのだから
そのバットに当たるはずもない。
それが分かっていても蒼空が納得するまで投げ続けた。
玉拾いする歩夢は、時々飛んでくるボールを追いかけた。
この日が私達親子にとっての原点となった。
数多くの悔しさを乗り越え大きくなった、それが蒼空である。

最終回、アウトを奪った直後に監督がマウンドへ行く。
翔太に変わって悠矢が入る。
ピッチャーが瑞生から睦生に変わる。
これで6年生全員がグラウンドに立った事になる。

その中で1人だけ5年生が混じっていた。
センターを守る蒼空(5年)だ。
彼からは、6年生の一人ひとりの姿が見えていた。

ここから先は、どのようにして点数を奪われたのか
そしてどうやって終了したのか
正直、憶えていない。
気付けばマウンドへ集合する姿があった。
お互いが安堵の表情を見せていたは覚えている。

試合終了後、両チームの監督が今季限りで退任されるという事で
野球連盟の協力の下でささやかなセレモニーが行われた。
それを終えると、青郷はグラウンドを後にした。
そして我々は、あそこへと向かわねばならなかった。

―15時過ぎ―
準優勝の表彰を受ける為に青葉球場へ戻ってきた。
そこでは3試合目の高浜対名田庄が繰り広げられていた。
どちらが勝ったかは知らない。
終了後、しばらくすると閉会式の準備となる。

優勝旗が大飯へと渡され、とうとう終わった。
私は空を見上げた。

この5年間、数えきれない程の経験をさせてもらった。
また、色んな方々からの支えがある事も知った。
そして、6年生8人と一緒になり私も成長してきた。

今一つだけ言えること。
それは、全ての人への感謝の言葉。

―ありがとう―

                      おわり
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