暇や、暇や、暇や!
何もすることがない。
というわけで、今日も昼飯の後、8000歩散歩を兼ねたスーパーへの買い出しに出る。
また、いつもの公園をぐるぐる回り、スーパーへ。
2時30分からテレ東のウイニング競馬が始まるので、それまでに帰る。
明日はGI「NHKマイルC」があるが、今日は京都競馬場でダービーの最終東上レース「京都新聞杯」(GⅡ)だ。
コロナ騒動の中、強引に開店しているパチンコ屋が問題になっているが、パチンコ依存症の連中が行くからパチンコ屋も強気になる。
僕も「即PAT」のお陰で?競馬依存症になったか。
大阪維新はカジノつきIRを推進している。パチンコ依存症の連中に手を焼いている吉村府知事は、今後、IRを言いにくくなるのでは?
おっと話がそれた。
(1968年の「皐月賞」を制覇したマーチス)
「京都新聞杯」が行われた京都競馬場と言えば、僕が生まれて初めて行った競馬場だ。
人間は初体験はよく覚えている?
1969年の高校3年の初夏に、今も近くに住んでいる同級生Kと2人で京都競馬場に「宝塚記念」を見に行った。
その年は阪神競馬場が改修工事か何かで京都競馬場で「宝塚記念」が行われたと、記憶している。
なぜ尼崎から遠い京都競馬場まで行ったかというと、マーチスという栗毛の綺麗な馬を見るためだった。
その前年のクラシックレースはマーチス、タケシバオー、アサカオーの3強が凄い人気だった。
マーチスは皐月賞を制覇した。
僕たちは美しいマーチスの大ファンだった。
そのマーチスが出走するので、はるばる京都競馬場まで行ったのだ。
勿論、高校生ですから馬券は買ってません。
そのレースもよく覚えている。
今なら考えられないが、4頭立ての「宝塚記念」だった。
僕らは懸命に応援したが、マーチスは2着だった。1着はダテホーライだった。
ガックリして家路に急いだのを覚えている。
今のことはすぐ忘れるのに、何で昔のことはよく覚えてるのかな。
あっちの初体験は?よく覚えてますが、ブログコードに触れそうなので、書きません(笑)。