ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

練馬の休日(練馬区・豊島園)

2010年06月16日 | 古い建物
 西武鉄道が出している「探索さんぽ」を片手に、大ケヤキが境内にある白山神社(練馬四丁目)に行きました。豊島園遊園地にアクセスする豊島園駅の東側あたりですが、豊島園駅は西武池袋線、練馬駅から西武豊島線に乗り換えてたった一駅の単線です。このわざわざ一駅の為に乗り換えるのが、都電に乗っているような感じで、否応なしに遊園地への道程のワクワク感を募らせるわけですが、たしか15年ほど豊島園に行った時は、駅前の飲み屋街などが汚くて、田舎じみていた記憶が・・・。
 しかし降りて仰天。なんかそこかしこが垢抜けています。それもその筈で、都営大江戸線が開通してますし、巨大映画館施設や「庭の湯」というスパ施設もオープンしたことで、駅前周辺はすっかり近代化してしまった様子。あのひなびた田舎町のような雰囲気は何処へ行ってしまったのかと、ちょっとした浦島太郎気分になってしまいましたが、めげすに、練馬四丁目の「十一ヶ寺」から見ることに。関東大震災以降、都心から引っ越してきた11軒のお寺ですが、一区画に二列に並んで綺麗にまとまってしまっている様子がなんだかお寺の出店通りみたいです。ただ、それぞれに趣向を凝らした建物で、中にはこれでもお寺か?と思ってしまうようなものも。

 怖くない仁王像・・・。浄土宗のお寺はエントランスから来世感なムードに誘います。
  

蕎麦食い地蔵は九品院がもともと浅草にあったころの、江戸ならではのユニークな逸話のあるお地蔵様。蕎麦を毎日食べてにくる僧を蕎麦屋の店主がつけて行った所、地蔵が僧に化けていたとかで、その後地蔵に蕎麦を供え続けたところ、疫病などの災いから逃れることが出来たという・・・。文京区のこんにゃく閻魔様や塩地蔵のように食べ物が信仰に絡んでくるのが面白いと思います。通りの一番奥は流石に霊場の雰囲気。お寺の犬にしたたか吼えられたので退散。
  

 練馬4丁目にある「白山神社」は、大きな窪地の中心部にありました。神社の玉垣が新しく、どうやら近年、周辺域も含めて整備された様子・・・定期的に新しくなるお伊勢様はともかくとして、真新しい神社はなんか神様が居ないような気がしてしまうのは気のせいでしょうか?拝殿は傾斜する土地の一番高いところにあり、全国的にも珍しいと言われる相当な樹齢のケヤキの巨木が2本、天を目指して生えています。根元がくぼんだり、捻じ曲がっている様子が迫力でした。


 いったん豊島園入り口まで戻って、そのすぐ側にある、「向山庭園」へ行ったけれど整備中で、見学できずじまい。なんでも政治家の邸宅だった場所を今は、茶室のある和風庭園として開放しているらしいです。豊島園は中世に江戸城の基礎を築いた大田道灌によって滅ぼされた豊島氏の支城(本拠地は上石神井城)があった場所で、今も城址が史跡として遊園地の園内に残っているそうです。お化け屋敷には本物の落武者が出そう・・・。

 
 豊島園の入り口の北にある「庭の湯」は日本庭園を眺めながら湯に浸かれるらしいのです。まだ整備されていない坂道の空き地の途中に馬頭観世音を発見しました。大正15年に開園した豊島園、周囲にはまだまだ探せばたくさんの小さな史跡が見つかりそうです。ネットでつらつら練馬の歴史を見ていたら、都市の人口が周辺へ拡散した震災以前は、練馬全域は大根農家が殆どで、もともと板橋区だったと言う事です。

 歴史的な事はさておき、光が丘方面に向かう春日通沿いに素敵な美容院を発見。GEMINI理容美容室です。なんておしゃれ!!

 
 まるで007の敵のアジトか、サンダーバードの基地です。
  

 入り口が2つあって、右はハート、左はスペードでした・・・・。美容室と理容室を分けたからでしょうか。なんか男女別々で出てくるのは、銭湯かラブホテルみたいですが・・・。春日通りを北へ進んだ、光が丘には戦後、進駐軍が建てた外人居住地区があったので、こんなに垢抜けた雰囲気になったのでしょうか?いずれにせよ、この建物、日本的なフォルムや嗜好を無視してカッコイイです。
 ついでに節足動物みたいな外観になった建物を見つけました。雁行壁面って言うらしいのですが、伸びたり縮んだりしながら動き出しそうです。

はじめに

2010年06月16日 | 古い建物
 10年を一昔前というのなら、もう2昔前の事、私は郷里を後にしました。田舎という木屑や埃がその文字からポロポロとこぼれてきそうなその二文字と別れを告げたいからに他ならなぬ、上京という名の逃亡でした。
 私の田舎・・・そこは瀬戸内の海沿いの埋立地で、昔の海岸線の名残として、あたり一面どぶ川が広がっていました。アオサの浮いた潮が満ちては、生ぐさい臭気を放つ真っ黒な川。引き潮になれば川のヘドロの表面から炭鉱夫のように真っ黒な蟹が、穴から気ぜわしく出たり入ったりして、いびつな光景を形作ります。川岸には粗末な神社の建物、傾いた木造の商店、手入れのされていない樹林が広がり、町に出れば、けばけばしい黄色やオレンジの電球がグランドキャバレエやモーテルの看板をグルリと囲み、酒場町を猥雑な光で賑やかに満たします。そしてそんな光景と共に、切れ切れとなって浮かんでは消える恥ずかしくも悲しい思い出・・・乾いた膿に絆創膏が張り付いて、剥がそうとしても剥がれない、もはや第二の皮膚のようになってしまった古傷のような思い出がこびり付く街・・・。そんな一切合財を捨てて、東京に出てきたが良いが、あんなにも輝き、未来都市のごとくに見えた摩天楼もやがては色あせ、目まぐるしく変わる都会の刺激的毎日は、目的もなくただ生きているに過ぎないという乾いた日常へといとも簡単に転じてしまいました。
 そんな焦燥感の中、突如、小さなお稲荷さんから有名な寺院まで、祠や寺社建築を見て回る事に取り付かれ、今はその周辺に佇む門前町、花街の跡、街道沿いの宿場町を歩く事に喜びを見出しています。そこでつい足を止めて見てしまうのは、あんなにも呪詛していたはずの、板塀の奥に朽ちている木造の粗末な家々や、煤けたモルタル作りの商店です。それは閑散とした私の郷里に酷似した侘しい佇まいでした。  
 さて、そんなわけでこのブログがご紹介するのは古い街角のそぞろ歩きです。こちらをじっと見つめる猫が道先案内人で、アロエの植木鉢が連なる込み入った路地裏に誘われるままに入っていけば、破れた赤提灯が線香花火の最後のポッチリのように灯る古い飲み屋街、表通りから三間も離れていないのに、戦争前のランプが下がり、魚の煮付けの良い匂い。白い猫の影がおいでおいでとさらに誘う暗がりの向こう、何やら意味深な酒場が連なって、闇と闇とが手を繋ぎ、密やかなハートマークを形作る束の間のパラダイス・・・。そんな場所へ人が誘われるのは、生まれ出てきた生命が意識下で欲する体内への回帰、つまりは母体への思慕なのではないかという凡庸な仮説を唱えつつ、今日もまたブラリブラリとあの街角、この街角へ向かうのです。

浅草観音温泉。ネオン管が残る戦後の浅草らしい風景。