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エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

動物愛護

2007-01-16 | ちょっと考えた事
恥ずかしながら、「動物愛護法」(正式名称:動物の愛護及び管理に関する法律)なるものが存在すると言うことを今日知りました(笑)
てっきり、今までそういう条例があるものだと思ってましたから、各自治体で動物の保護に関して定めているものだと思ってました。
今日のニュースで、「猫を虐待した42歳の男が逮捕」というのがあって、それで初めて知ったんですが・・・・
確かに無意味な殺生は良くないと思うし、良くないと言うのは実際自分がそれをされたら嫌だから、命あるものをむやみに殺したり、虐待するのをやめましょうというのは悪いことでは無いし、それはそれで良いと思う。
ただ、こういう法律があると「『愛護』の対象となる動物とその他の動物の明確な区分はどこにあるの?」とか「『虫』にだって命はあるけど?」とか、どうにもそう言うことに考えが及んじゃうんですよね。
別に保護することが悪いと言うつもりはありませんよ。ただ、牛や豚などは「食べるために飼育して殺す」からOKだというなら、猫を食べるために殺したらOKなのだろうか?とか考えちゃったりするんですが、「猫を食べるために殺した」と言えば、「さらに酷いヤツだ」という事になるでしょうね?
だとしたら、牛や豚を食べる為に殺すのと、猫を殺す事の差は何なんだろう?とか。
きっと、食肉用に飼育された牛や豚を、いざ殺すその場面を見ると「残酷だ!」とか言う人が多いんだろうなあとか思ったり。その課程を上手く省いて食肉用に加工されて現実味が薄れてから目に付くから、食べる時には平気で食べるけど、きっと殺すシーン見ちゃったら、しばらく食べられないという人多いんだろうなあとか。

改めて、誤解の無いように念のためもう一度ここで述べますが、動物を愛護してむやみな殺生をやめようと言う事には賛成ですし、なにも猫を殺しても問題ないだろうと言うことを言いたいのではないんです。
命の重さというか、他を犠牲にして成り立っているこの世の中の仕組みを考えると、人間の行っている「動物愛護」ってなんなんだろうとか思ったりしてみた。・・と、いう事です。
特に答えはありませんし、そもそも世界の仕組みが他の犠牲の上に成り立つ弱肉強食が根底に有る以上、この種の問題は常に何らかのジレンマを抱えることになるんだと思います。だから、そもそも答えなんて無いかもしれませんが、ちょっと向かい合ってみましたというか・・・まあ、戯言なんですが。
でも、少なくとも無意味な殺生を出来るだけ少なくするに超したことは無いとは思いますよ。だから「動物愛護法」が悪いというつもりは毛頭ありません。


内面は外見に現れる

2007-01-15 | ちょっと考えた事
今日では無くて昨日だけど、美容室に行って来ました。
「一ヶ月以上になるかな?」と思っていたら「前に切ってから40日ぶり」とのこと。
大体一ヶ月+αが俺の髪を切る周期みたいです。
ところで、「人を見た目で判断するな」とか「外見より中身」なんて言葉、たまに聞くのですが、思うに「外見は内面の現れ」でもあると俺はそう思います。
今は「整形」や「プチ整形」なんて言葉も聞きますが、まあ顔の輪郭や造りを変えるのはそうそう簡単に出来ることではないので、顔の造りについてはあまりどうこうと言うつもりはありませんが、髪型あたりはかなり自由に変えることができますね。
そして、どういう髪型を選ぶかもその人個人の自由であって、今の髪型を選択しているのはその人自身の選択によるものなんだから、その人の好みとか性格なんかが大きく反映されて形となって現れる部分が髪型だったりするのでは無いかとも思ったりします。
以前、前のブログの時に「俺は女性の髪はストレートが好み」なんて事をチラっと書きましたが、髪を切ってもらってる最中も、他に客が居なかったのもあって、ちょっとお店の人と好みの異性の髪型の話になんかなったりして「俺の場合髪型で判断する割合が高いですよ。髪型というと外見だけ見て好き嫌いを言ってるように思うかも知れないけど、例えば『俺がこういう髪型が好きだ』と言ったら、『じゃあ彼氏がそう言うならそういう髪型にしようかな?』という人を彼女にしたい。髪型自体に好き嫌いも確かにあるけど、彼氏のためにそう思ってくれるという『気持ち』が嬉しいじゃないですか?」と言ったら、店の人がもの凄く納得して「なるほど。言われてみればそうだ。」としきりに頷いてくれてました。
まあ、向こうは客商売だし、単に合わせてくれただけかもしれませんけどね(笑)
高校生の時なんかも、茶髪に染めて来て先生に注意されて「人を外見で判断するんじゃねえ」とか言ってたヤツも居ましたが、人を見た目で判断して欲しくないのならば、逆になぜ茶色に染める?見た目じゃ無いならお前自身染める必要がないんじゃないか?とか思ったりもしました。
別に、黒だから良いとか茶色はダメだとか俺は言うつもりは無いし、むしろ「髪の色をどうしようと個人の自由だろう?」と俺は思ってますけど、「世間一般に黒い髪は誠実に受け止めてもらえる傾向にある」というのは、もはや常識なので、それを踏まえて黒にするのも、はたまたそれをしってて別な色に変えるのも・・個人の自由ですが、そこにはやっぱりそれを選んだ人間の内面・人間性が表れているんじゃないかなあ・・・と思います。
顔の形とか、身長とか、足の長さとか・・・そういった部分はどうしようもない部分もありますので、そこら辺を捉えて身体的特徴をあれこれ言うのは、やっちゃいけない部分ですね。内面が外見に現れるのは・・髪型、ファッション、そして体型(体重)かな?ここは自分で変えることが出来る部分ですからね。
ただ、髪の少ない人をどういう言うのはまた別問題。それはタブーですね。

予算

2007-01-10 | ちょっと考えた事
今日も風の強い一日でした。天候自体は曇ってたり、時折雪がパラついたり。
風が強かったので「寒い」という印象はあったけど、気温自体は0℃~2℃の表示。雪もたまに霰が降るくらいで積もるまではいかず・・・やっぱり今年は暖冬ですね。

最近車で走っていると道路やら電線やらの工事がやたらと目に付きます。
年度末恒例の光景で、要するに今年度中の予算を使い切ろうと言う事ですね。予算が余ると次の年度の予算が削られるとかいう話を聞いたことがあります。
昔から思ってた事だけど、というか俺に限らず俺の周りの連中もみんな同じ事を言うんだけど、この予算のシステム果たして変えられないものなのか?と言うこと。
今年余ったのなら、そのまま翌年に繰り越せば良いだけの話なんじゃないの?
それに、前年度の予算が余ったから翌年度削るとか、前年度足りないから翌年度増やすとか、そういう考え自体おかしくないか?
毎年毎年やることは違うんだし、たまたま大きな工事など必要ない年度だってあるだろうし、逆に大きな行事などがあって特に予算が必要な年だってあると思う。前年度がどうだからとかじゃなくて、「今年度はこういう予定があるから、それに必要な予算はこれくらい」という形で、その年度の事業計画に沿って予算を決めるのが妥当なんじゃないだろうか?と、素人ながらにそう思うんですが。
だから、前年度云々じゃなくて必要だと思われる年度は多く、そうじゃ無いときは少なく。これって当たり前ですよね?前年度の余ったのなら、それをそのまま繰り越して使えるようにすればいいじゃないかと思うんだけど、その年度に使い切らなきゃ何の不都合が生じるんだろう?そこら辺のところ、正当な理由があるなら是非とも物を知らない俺に教えて欲しいものだ・・と、そう思います。
理解不能なルールですね、本当に。