旅行かばんを整理していたら、サイドポケットから「ある物」が出てきました。
少し前、旅先でたまたま通りかかったフリーマーケットで見つけ、買い求めたのですが、その後見当たらなくて、どこかに置き忘れてしまったのかと諦めていた物です。
その「ある物」とは……、
それは後で書くことにしましょう。
フリマが好きなんですよ。
会場を見つけると、たいてい覗きます。
オジサン世代ですから当然、「古き良き時代」の何かを探すために。
ただし、いわゆる「業者」が出品しているような「骨董市」は避けています。
欲しいと思う物を見つけても、たいてい値段が高すぎて手が届きません。
真贋を見極めるだけの知識と眼力もありませんしね。
それに、貧乏人の負け惜しみで言えば、庶民が、机の引き出しや押入れの中から引っ張り出してきた、かつて愛用した日常的な生活用品のほうが、「時代」や「愛着」が染み込んでいていいじゃないかと、私は思っています。
前置きはほどほどにして、
さて私が買った「ある物」とは、
これです。
麻雀牌(マージャン・パイ)です。
いわゆる「セット崩れ」になって、バラ売りされていた中から、3つだけ買いました。
筒子(ぴんず)の「4」と「4」と「3」。
私のブログネーム「uwanosora443」の「443」です。
「昭和16年製で、牛の骨を使っている」と売り主は言っていました。
たぶん信用してよさそうです。
なぜなら、牌を擦り合わせて、その音を聞けば分かります。
「チュンチュン、チュン」
文字通り、雀の鳴き声がします。
わが家には、亡くなった親父が戦時中、中国・上海で買ったという水牛の角を使った麻雀牌がフルセットのまま残っていますが、同じ音がします。
近頃のプラスチック製の牌では、とてもこんなに澄んだ、美しい雀のさえずりを聞くことはできません。
ただ……。
機会がすっかりなくなってしまったのは、麻雀という遊びを楽しむこと自体もそうですよね。
昔は私も、友人や会社の同僚たちと、しばしば卓を囲んだものです。時には徹夜までして――。
それがいつの間にか麻雀は、年1度の社員旅行の夜だけの定例行事になり、その社員旅行そのものがなくなってしまった現在では、まったく牌を手にしなくなりました。
麻雀にお金のやり取りが絡むのは公然の秘密です。
だから、いろいろな意見があるとは思います。
けれども、勝ち負けは別にして、麻雀卓を囲むことが、仲間たちとコミュニケーションを図る絶好の機会であったことも、紛れもない事実です。
「チュンチュン、チュン」という麻雀牌の賑やかなさえずりが聞かれなくなったことは、友人や仲間とのコミュニケーションもまたそれだけ薄れてしまった証しのように思え、出てきた3つの牌を手の上で転がしながら、少し寂しくなったりもするのです。
少し前、旅先でたまたま通りかかったフリーマーケットで見つけ、買い求めたのですが、その後見当たらなくて、どこかに置き忘れてしまったのかと諦めていた物です。
その「ある物」とは……、
それは後で書くことにしましょう。
フリマが好きなんですよ。
会場を見つけると、たいてい覗きます。
オジサン世代ですから当然、「古き良き時代」の何かを探すために。
ただし、いわゆる「業者」が出品しているような「骨董市」は避けています。
欲しいと思う物を見つけても、たいてい値段が高すぎて手が届きません。
真贋を見極めるだけの知識と眼力もありませんしね。
それに、貧乏人の負け惜しみで言えば、庶民が、机の引き出しや押入れの中から引っ張り出してきた、かつて愛用した日常的な生活用品のほうが、「時代」や「愛着」が染み込んでいていいじゃないかと、私は思っています。
前置きはほどほどにして、
さて私が買った「ある物」とは、
これです。
麻雀牌(マージャン・パイ)です。
いわゆる「セット崩れ」になって、バラ売りされていた中から、3つだけ買いました。
筒子(ぴんず)の「4」と「4」と「3」。
私のブログネーム「uwanosora443」の「443」です。
「昭和16年製で、牛の骨を使っている」と売り主は言っていました。
たぶん信用してよさそうです。
なぜなら、牌を擦り合わせて、その音を聞けば分かります。
「チュンチュン、チュン」
文字通り、雀の鳴き声がします。
わが家には、亡くなった親父が戦時中、中国・上海で買ったという水牛の角を使った麻雀牌がフルセットのまま残っていますが、同じ音がします。
近頃のプラスチック製の牌では、とてもこんなに澄んだ、美しい雀のさえずりを聞くことはできません。
ただ……。
機会がすっかりなくなってしまったのは、麻雀という遊びを楽しむこと自体もそうですよね。
昔は私も、友人や会社の同僚たちと、しばしば卓を囲んだものです。時には徹夜までして――。
それがいつの間にか麻雀は、年1度の社員旅行の夜だけの定例行事になり、その社員旅行そのものがなくなってしまった現在では、まったく牌を手にしなくなりました。
麻雀にお金のやり取りが絡むのは公然の秘密です。
だから、いろいろな意見があるとは思います。
けれども、勝ち負けは別にして、麻雀卓を囲むことが、仲間たちとコミュニケーションを図る絶好の機会であったことも、紛れもない事実です。
「チュンチュン、チュン」という麻雀牌の賑やかなさえずりが聞かれなくなったことは、友人や仲間とのコミュニケーションもまたそれだけ薄れてしまった証しのように思え、出てきた3つの牌を手の上で転がしながら、少し寂しくなったりもするのです。
アタシはさっぱりマージャンのルールを知らないんで今日はあんましおしゃべりが出来ないですねぇ
しかし。
4・4・3というのを買うってuwanosora443さんはその数字に何か思い入れがあるんでしょうねぇ
学生の頃は、やれない人が珍しいくらいでした
20代~30代の前半までは、盛んでしたね。早く決めないと、メンバーから、はずれることもしばしば。
もう随分、長い間、やっていませんね。
思い入れと言うより、語呂合わせですけどね。意味はまた別の機会にね。
もしかすると、小遣いに不自由しなかったのではないですか?
私も最近はパソコンの麻雀ゲームばかり。でも、味気ないですねえ、「三味線」も通用しませんし。
麻雀というゲームは凄いですよね。
チンチロリンとか丁半博打とかいろいろ
ありますが
、まあ複雑といえば、麻雀ほど面白い遊びは
無いでしょうね。それが未だ存在している
から・・・。
でも 元の麻雀はもっと違った遊びだった
のかも知れません。
オールグリーンという役がありますが、これは
アメリカ人が作った役だそうです。
今のギャンブルルールは日本人の発明です。
どんな世の中でも賭け事は無くなりません。
それはいいとか悪いという範疇に収まらない
世界なんですよね。人間はどうしても勝ち負
けを争います。特に男の世界では、避けられな いことです。意外と女性も感じているかも・・
隣の旦那と自分の亭主を比較していませんか?
「口で勝つ」というのもありましたね。
これが、また、楽しいんですね。
現役で司法試験合格、裁判官。新聞記者。
一流電機メーカー就職等々で、私など足元にも及ばない相手でした。でも、マージャンは勝ったり負けたりだっだと思います。
残念ながら、私はそれほど強くありません。
故に今、かくの如しで…。
「きれいな手で上がろう」というエエカッコシイが、なかなか勝てない理由と、自分でも分かっているのですが…。