重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

うわのそら的寸撮/勤勉。

2007-12-29 | photo

■撮影場所/愛知県北名古屋市で / 2007.12.29 10:39:04
NIKON D80 / SIGMA DC 18-50mm EX MACRO HSM / F2.8  1/125秒 ISO250 / シャッタースピード優先AE 中央重点平均測光

今日、
思いがけない所で、二宮金次郎(尊徳)君に会いました。
自宅の程近くにある、解体請負会社の玄関先です。


解体工事を請け負った小学校から撤去してきたものの、
破壊して廃棄処分にするには忍びなく、
この場所に置いたようです。

この会社の社長がお幾つなのか存知ませんが、
気持ちは、大いに分かります。


私が通っていた小学校の校庭の片隅にも、
二宮金次郎の石像が建っていました。

というより、
昔はほとんどの小学校の校庭で、
二宮君は、薪を背負い、本を読みながら、
歩いていたはずです。

不敬にも、その彼の頭の上によじ登って先生に叱られた記憶が何度かありますが、
だからと言って、
この石像を壊してしまうほどの勇気は、
私にはありません。


文部省から撤去の指示や通達が出たわけではないようですが、
いま多くの小学校から二宮金次郎像が姿を消しているそうですね。

老朽化し、脆(もろ)くなった像が多くて危険だから、という話なら理解できないわけではありません。

しかし必ずしもそうではなく、
「本を読みながら歩く姿を見せるのは、交通安全教育上好ましくない」とか、
「古い道徳観念を押し付けるようで、よろしくない」といった理由で撤去されたケースも少なくないと聞きます。

そうなんですかねえ。


ちょうどいまの私の年齢で亡くなった私の父は、7人兄妹の長男でしたが、
自分以外は後妻の子だったため、
継母からの「いじめ」にあったそうです。

そんな家庭環境でしたから、
中学を出たらすぐ働きに出ろと言われていたのを、
父は、家族が寝静まった夜中、
電気スタンドに毛布を被せた中で猛勉強して進学し、
1級建築士の資格を取って、ある役所の専門技官として、そこそこの地位にまでなりました。

東京には、
父が設計した建物が、
まだいくつか残っているとも聞きます。


いずれにせよ、
私が大学まで進学でき、
今日ここにこうして居られるのは、彼のおかげです。

ただ、考え方や意見が合わなくて最後まで父を好きにはなれず、
男同士として真正面から話をする機会を持たないまま見送ることになってしまったのは悔やまれますが、
彼の不屈の努力と勤勉さは、口にこそ出しませんでしたが尊敬していましたし、
いまもしています。


それだからどうか、
二宮金次郎像を見かけるたびに、
私には父親のイメージがダブって見えます。

いえ、
もしかすると、

いま私たちがこうして、いろいろ不満はあるにせよ曲りなりにも平和に、豊かに暮らしていられるのは、
戦後の日本をここまで建て直すのに貢献した多くの「二宮金次郎」たちの努力と勤勉さのおかげではないかと思ったりもするのです。

撤去を請け負ったものの
二宮金次郎像を壊すことができなかったこの解体会社の社長も、
もしかすると同じ思いを抱いたのも知れません。


年の瀬の、一年を振り返るこの時期に、
私は、いいものに出会いました。

いえ、
出会わせたのは、
この1年を怠惰に過ごした私を戒めるための、
神さまの思し召しだったのかも知れませんね。



夜半の雨が朝には止み、
昼には青空が広がった名古屋地方でしたが、
夕刻にはまた西の空に、厚い雲がせり出してきていました。



大晦日から元旦にかけ、
当地にも雪が降るかも知れないと、テレビの天気予報が繰り返し伝えています。

冷え込みそうです。
みなさんも、くれぐれもご自愛を。


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