昨日のサッカー「FIFAワールドカップ」3位決定戦では、
今季での退団が決まっている「浦和レッズ」のエースストライカー、ワシントンが2得点を上げ、
「有終の美」を飾りました。
その試合のテレビ中継が始まる前の昼過ぎ、
実はもう一つの「有終の美」を見に行って来た――と昨日のブログで書きました。
これです。
場所は、私の自宅から車で15分ほどの
清須市西枇杷島町住吉の県道67号(名古屋祖父江線)に架かる
歩道橋です。
一見、ただの歩道橋です。
でも、
そんじょそこらの歩道橋でもありません。
実は、
「日本で一番古い歩道橋」なんです。
WEBサイト「毎日が記念日」によると
4月15日は「歩道橋の日」だそうです。
「1963年(昭和38年)、大阪駅前に日本初の横断歩道橋が完成した日」にちなんで、とあります。
「松下電器が市に寄贈した」と、どなたかがブログに書いていらっしゃいました。
しかし、
「日本最古」は誤りです。
なぜなら、
ここ清須市にあるこの歩道橋は、それより4年も前の1959年(昭和34年)6月27日に造られているからです。
市役所に正確な記録が残っています。
でも、
だからと言って「大阪」説に抗議したり、
歩道橋や付近に「日本最古」をひけらかすような案内板を建てたりするわけでもなく、
この歩道橋は
ただの歩道橋としての役割をごく当たり前に担いながら、
48年間ここに建ち続けています。
けなげじゃないですか。
この道は、
昭和初期には名古屋から岐阜方面に向かう主要道「国道11号線」でした。
その後「国道22号線」に名前が変わりましたが、
さらにその後にバイパスが出来、そちらが「22号線」になったため、
現在では県道に格下げになってしまいました。
その「旧22号線」当時、
交通量の激しいこの道を、通学のために渡ろうとした子供が、
車に跳ねられ、命を落としたそうです。
その悲しい事故がきっかけになって造られたのが
この歩道橋でした。
いえ、当時はまだ「歩道橋」という呼び名がなく、
「学童専用陸橋」と名付けられたそうです。
鉄製の手すりは、
塗装も剥げ、
赤錆びています。
何より、
階段や通路はコンクリートが削られ、
中の砂利石が剥き出しになっています。
この階段を、通路を、
これまで延べ何百万人の子供や大人が昇り降りし、道を渡ったことでしょうか。
交差点にあるこの歩道橋の横の交差する県道ではいま
拡幅工事が進んでいます。
完成時には、この歩道橋は取り壊され、
新しい歩道橋に架け替えられる予定だそうです。
それまでまだ、たぶん数年間。
古いけれど、がっしりと、どっしりとした安定感を保ち続け、
子供たちや周辺住民の安全を守っているこの歩道橋もまた、
「日本最古の歩道橋」として、
「有終の美」を飾っているように、私には思えました。
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今季での退団が決まっている「浦和レッズ」のエースストライカー、ワシントンが2得点を上げ、
「有終の美」を飾りました。
その試合のテレビ中継が始まる前の昼過ぎ、
実はもう一つの「有終の美」を見に行って来た――と昨日のブログで書きました。
これです。
場所は、私の自宅から車で15分ほどの
清須市西枇杷島町住吉の県道67号(名古屋祖父江線)に架かる
歩道橋です。
一見、ただの歩道橋です。
でも、
そんじょそこらの歩道橋でもありません。
実は、
「日本で一番古い歩道橋」なんです。
WEBサイト「毎日が記念日」によると
4月15日は「歩道橋の日」だそうです。
「1963年(昭和38年)、大阪駅前に日本初の横断歩道橋が完成した日」にちなんで、とあります。
「松下電器が市に寄贈した」と、どなたかがブログに書いていらっしゃいました。
しかし、
「日本最古」は誤りです。
なぜなら、
ここ清須市にあるこの歩道橋は、それより4年も前の1959年(昭和34年)6月27日に造られているからです。
市役所に正確な記録が残っています。
でも、
だからと言って「大阪」説に抗議したり、
歩道橋や付近に「日本最古」をひけらかすような案内板を建てたりするわけでもなく、
この歩道橋は
ただの歩道橋としての役割をごく当たり前に担いながら、
48年間ここに建ち続けています。
けなげじゃないですか。
この道は、
昭和初期には名古屋から岐阜方面に向かう主要道「国道11号線」でした。
その後「国道22号線」に名前が変わりましたが、
さらにその後にバイパスが出来、そちらが「22号線」になったため、
現在では県道に格下げになってしまいました。
その「旧22号線」当時、
交通量の激しいこの道を、通学のために渡ろうとした子供が、
車に跳ねられ、命を落としたそうです。
その悲しい事故がきっかけになって造られたのが
この歩道橋でした。
いえ、当時はまだ「歩道橋」という呼び名がなく、
「学童専用陸橋」と名付けられたそうです。
鉄製の手すりは、
塗装も剥げ、
赤錆びています。
何より、
階段や通路はコンクリートが削られ、
中の砂利石が剥き出しになっています。
この階段を、通路を、
これまで延べ何百万人の子供や大人が昇り降りし、道を渡ったことでしょうか。
交差点にあるこの歩道橋の横の交差する県道ではいま
拡幅工事が進んでいます。
完成時には、この歩道橋は取り壊され、
新しい歩道橋に架け替えられる予定だそうです。
それまでまだ、たぶん数年間。
古いけれど、がっしりと、どっしりとした安定感を保ち続け、
子供たちや周辺住民の安全を守っているこの歩道橋もまた、
「日本最古の歩道橋」として、
「有終の美」を飾っているように、私には思えました。
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