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【映画】ぼくを葬る

ぼくをおくる 2005年 仏 監督 フランソワ・オゾン 出演 メルヴィル・プポー ジャンヌ・モロー DVDにて鑑賞 原題 《Le Temps Reste》 英語では《Time to Leave》

3年前の初夏、世間を騒がせたこの映画、今、1人自宅で落ち着いて見ると、よりよく鑑賞できるような気がする。映画館で見ると、その時の体調や周りの雰囲気に影響されることがある。また、既に見た人の感想に反撥したり同調したりして本来のものと違う感想を抱いてしまう可能性もある。最初のタイトル部分に子供時代の主人公が登場するのにも、DVDで初めて気がついた。

端的に言うと、これはある種の「理想的な死に方」だろう。
「象の背中」も癌で死んでいく男を描いているが、あのような初老の
俗世の成功者とは違い、この主人公は職業はあるが、若い(31歳)し、ゲイで独身である。父母と姉と祖母、年下の男の恋人はいるが、結びつきはゆるやかだ。信玄袋一つであの世に旅立つというかれの究極の身軽さは、そのような条件から生れるものだ。

彼はしかし、遺産を自分の分身に遺すのである。(ここが余にもご都合主義であるが)彼に父親になってと頼む人妻(ブルーニ・テデスキ)はその表情からして、生身の女性とは思えない。一緒に死にたいという祖母(ジャンヌ・モロー、78歳)もそうだが、ゲイの夢想する都合の良い女性だろう。この二人は、私にはどうも美しく見えない。女性美の感覚がオゾンと違う。「雨のしのび逢い」で見た32歳のモローには魅せられたが、78歳の彼女を美しいと思えないのは、若さを良しする、あまりに平凡な審美眼のせいだろうか。

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コメント
 
 
 
オゾン監督に拍手 (JT)
2009-09-08 21:31:56
この映画を3年前に見たときはまったく予想もしてなかったのですが、最近、愛する人をおくったばかりです。自分も逝くときはそうありたいと思うほど厳かな最後でした。しかし、その厳かさは煩悩を断ちきれたというような悟りの境地ではなく、最後まで煩悩の中にいられたからでは?と思いをめぐらしているしだいです。
Biancaさんがご都合主義とおっしゃるように、こんなにうまくは行くとは思えないし、この映画はゲイのロマンを通してオゾンの考える理想の最後のあり方を表現したのでしょうけど、リアリティが感じられなかったというのが私の正直な感想なんですよ。
それでも、このテーマにチャレンジしてくれたオゾン監督には拍手です!
 
 
 
Unknown (Bianca)
2009-09-09 21:03:21
その人が恋人であれ、別の関係の方であれJTさんが「愛する人」を持ち得たこと、さらに歳月による見たくも無い変化を見ずに済んだことは、こう言っては何ですが、幸福ではと思います。
オゾン監督はやはり偉大な才能の持主ですね。
所詮人間は煩悩によって生まれ、生きていくもので、「悟りたい」というのも煩悩の一種だと思います。
ゲイの人が悟リ安いのは、否応なくそういう状況にあるからではないでしょうか。また、年齢を重ねると自然に欲望が減って(食欲も性欲も、出世欲も)若いときほど苦労せずに悟りに近づけるような気がします。
 
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