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映画「ローマ法王の休日」


2011 伊・仏 105分 DVD鑑賞
監督 脚本 ナンニ・モレッティ
出演 ミシェル・ピコリ ナンニ・モレッティ

法王の死に伴い、互選で決った新法王(ミシェル・ピコリ)はまさかの人物だった。彼は役目の重さに押しつぶされてパニックになり、叫び声をあげ、集まった群衆へのあいさつの場で、後ずさりして消えてしまう。周りの配慮で街のセラピストを訪れた際、お供の隙を見て逃げ出してしまう。セラピーのとき、自分の昔の夢が演劇だったことを思い出し、上演中の芝居小屋に入りびたりになる。

当局はこの前代未聞の不祥事をひた隠しにしようと、背格好の似た男を窓ベに立たせたりして、表面をつくろう。
芝居小屋に捜査の手が伸びて保護され、ついにみんなの待ち望んだ就任あいさつが行われるが……。

モレッティ自身は国で一番の精神科医に扮し法王庁に招かれる。例によってニコリともせず大真面目。
彼も軟禁され、枢機卿を大陸別にグループ分けしてバレー大会を催す。普段から運動好きの彼らしい(「赤いシュート」)。

傑作なのはオセアニアの3人組で、絶対人数が少ないので欧州代表に大敗すると「もっと信者を増やして再挑戦しなさい」と言われる。また彼等は地図片手に登場し、どうやら、初めから観光が目的らしく、シュークリームのおいしいカフェだとか、カラバッジョ(この画家はゲイとも言われる。)の展覧会に行きたいと言い出したりする。しかし、いまは外出禁止、閉じ込められた枢機卿たちは個室で自転車をこぐ者、ジグソーパズルに熱中するもの。にぎやかにトランプするものもいる。(個室はジグソーに理想的。私も閉じこもって見たい)

結局は映画としては珍しい釈然とせぬ終幕で観客も登場人物もこの先どうなるか見当がつかない。ただ、人が人を指導することの恐ろしさを自覚しないまま、指導的地位についている人が多いことへの皮肉はうかがわれ、法王という存在自体が人間には無理であると言っているのではなかろうか。互選の際は全員が「選ばれませんように」と祈っている。「私には資格がない、遠慮したい」という謙虚さはキリスト教徒相応だが、そうは言っても、賭け屋(ブックメーカー)が付けた倍率だけは気になるという、微笑ましい虚栄心も見かけられ、笑いを誘う。(ちなみに主人公は90倍だった)

最後のスピーチで想い出すのは恋愛のために王座を棄てたエドワード8世の辞任の言であり、
「独裁者」のチャプリン演じるユダヤ人床屋のスピーチでもある。
しかしなにより、アルフォンス・ドーデの「風車小屋だより」の中の「野原の郡長さん」に似ている。
演説の準備に悩む郡長が、会場に行く途中の野原で馬車を降り、一人で考えようとするが、小鳥や草花に誘われ、すっかり演説は忘れ、寝そべってスミレの花を噛みながら詩を作っているのを、探しに来た人々が発見するという筋である。
神の前にはどんな人間も等しく卑賤であるという考えはキリスト教徒にはお馴染であろうが、
世間での立場や役割を気にする日本人にはいささか困難な発想だろうが。

ミシェル・ピコリは30代から40代に「ブルジョワジーのひそかな愉しみ」「昼顔」「軽蔑」「小間使いの日記」などであくの強い中年を演じていたのだが、今や90歳に近い。晩年に自己の真実に目覚めた、穏かな風貌の芯の強い老人はいい感じだ。

この映画をよくも法王庁が場所を提供して撮らせたものである。
ナンニ・モレッティは信者ではないと言うが、法王庁の事は細部にわたって詳しく、人一倍の興味を抱いているようだ。青年司祭が主人公の「ジュリオの当惑」と言う映画もある。
この作品、日本では戸惑い気味に受け止められ、評価も低迷しているが、素晴らしい風刺とユーモア、深い人間観、冒頭の映像の美しさ、わたしは久々に快い映画を見たと思った。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (,argot2005)
2016-04-17 23:40:26
こんばんは。
トラックバックありがとうございます.
Biancaさんはナンニ・モレッティお好きのようですが、わたしはどうもダメかもですね?イタリア映画はコメディが好きだからってこともありますが。

>素晴らしい風刺とユーモア、深い人間観、...は同感です。
ミシェル・ピコリ懐かしいですね。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2016-04-23 20:55:08
Margot2005 さま
トラックバックとコメント有難うございます。
ナンニ・モレッティ、だめですか、それは残念。
私と同世代かと思って調べたら、53年生まれでかなり年下。でも肌が合う監督です。margotさんはコメディが好き、これもコメディだと思いますが、艶っぽい事が全くないのが難点ですかね?
 
 
 
Unknown (aosta)
2016-06-03 09:34:58
この映画、私も見たいと思いながら、いまだに見ていません。ミシェル・ピコリ、大好きです。バルドーとの「軽蔑」が彼の作品を見た最初かしら。
ロミー・シュナイダーとの「すぎさりし日の・・・」は、冒頭自転車で田舎道を走る幸せそうなシーンと、その後の想像を絶する展開。ロミーの美しさと相まって忘れられない映画です。二人の共演といえば、ロミー・シュナイダーの遺作ともなった「サンスーシーの女」も忘れられません。ナンニ・モレッティは「父 パードレ・パドローネ」しか存じませんが、私にはこの一作だけで、胸がいっぱいです。
映画の、それも古い映画の話となると、とめどないコメントになっしまい、恐縮です。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2016-06-05 13:26:49
aostaさま

午後3時ごろ外で紅茶を飲んでしまったせいでしょうか、今朝6時まで寝付けませんでしたので、仮眠したものの今も頭がしびれた状態です。こんな状態ですので何か変なことを言うかもしれませんが、ご容赦下さい。
さて「パードレ・パドローネ」は少し重苦しい感じの作品でしたので、あれがモレッティとはと意外に思いましたところ、若い日の出演だったのですね。

モレッティもウディ・アレン同様に今でこそメジャー?になりましたが以前は一部のマニアの間でしか知られていなかったので初めて見たのも、青山の草月会館だったような気がします。彼は青春にこだわり続けた人のようで、そこが私に訴えるのかも。
ちょうどミシェル・ピコリが、よくも悪くもおとなのいやらしさと逞しさを体現しているように思えるのといっしょで、aostaさんには悪いけれど、「昼顔」にしろ「軽蔑」にしろ苦手な俳優でした。今回は老年で、そのあくのようなものが抜けて、好きになりました。昔は老年自体も嫌いで、「野いちご」がダメだったのですが、現金なもので、自分が老いると、許容できるという、ダメな観客です。
私も取り留めなくなってごめんなさいね。おしゃべりできたのも貴女(?)のお陰、有難うございます。
 
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