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1959年(昭和34年)4月10日 皇太子 結婚

以下は4月10日に書いたのだが、何の罰か、その日からひどい風邪をひいて、数日蟄居し、それが同居人に移り、ようやく回復したので、アップすることにした。

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あの日からもう60年もたったのか。

「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」で北野武は、祝辞でパレードの沿道でお母さんから「目がつぶれるぞ」と頭を押さえつけられたと述べている。これは高村光太郎の「暗愚小伝」とそっくり同じ。そのふたりの間には70年の隔たりがあるのに、東京下町の庶民が子供に語る言葉は変わらない。

私は東京から1500㎞の僻地にいて、TVもまだなかったので、パレードは見ていない。

中学3年のその日、市の中心にある中学でご夫妻の結婚祝賀式典が行われ、K先生と数人の生徒が学校代表で参加した。日曜日だった。鳩が飛んだような気がする。帰りに植木市で、黄金ひばという木を先生に買っていただいた。鹿児島では何かあると(子供の誕生とか)記念に木を植える風習がある。

その先生のことは、以前に書いている。

翌年の1960年美智子&皇太子夫妻が来県された。わたしはもう高校生になっており、夫妻への歓迎マスゲームに(授業中に女子のみ)駆り出された。
今もそうかもしれないが傘は勿論、帽子も失礼に当たるというので、「ご来場」の待ち時間と演技とあわせ小一時間雨に濡れ続け、あとでひどい風邪を引いた。(今年のように)

最近マスゲームは、北朝鮮を除けばすたれている。今時の先生も生徒も、やる気もないしやろうとしても体がついていかないだろう。当時まだ戦争体験者が多かったのと、鹿児島の精神風土も一因だったのだろう。
ご夫妻は鹿児島や島根には平成の30年間に2回しか来ておられない。これは全都道府県の中で最も少ない回数である。雨に濡れて風邪をひいた高校生の私は、これというのも皇室制度があるせいだと思ったのだが、単にそうとばかりも言えなかったのかも知れない。戦災や災害の被災地を特にしばしば訪問なさるご夫妻は、戦前のような皇室神格化のにおいには極力距離を置こうとしておられるのかもと、この統計を見てあらためて感じたことだった。

→「神崎先生」15-10-25
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (おきよ)
2019-04-26 15:44:56
”目がつぶれる”とは明治の母の云うことですね。
私は若い教師と一緒に18歳の皇太子時代の天皇陛下を旗を振ってお迎えしました。
当時の若き皇太子は何とたいへん不機嫌なご様子。
18ですものお疲れか、またはなにか不愉快なことでもおありだったのかと。

これ、以前に書きましたっけ?

お風邪でしたか。大事になさいませ。
私は脚の痛みと熱で4日間入院をしました。

 
 
 
Unknown (Bianca)
2019-04-26 20:26:36
足の痛みと発熱でご入院されたよし。
大変でしたねえ。しつこいようですが、例の眼科クリニックで雨に濡れたのが一因じゃないかと・・・・。
でも自宅療養と違い、入院というのは、主婦にとっては一種の恵みでは、と経験から感じますが。
ところで18歳(今後、「平成天皇」と呼ばれるのでしょうね)の青年の不機嫌とは。その年ごろですので、なんか理解できるような気が。のちにあれほど愛想よくなられたのは、賢く美しく優しい妻が築いてくれた家庭のおかげであるのでは?
 
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