映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
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宮崎・鹿児島・大阪・東京・大阪・松江を経て横浜在住の77歳。映画・読書・散歩の日々 |
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〔映画〕長崎の鐘
1950年 松竹大船 94分(10月25日高槻松竹で見る)
監督:大庭秀雄 原作:永井隆
出演:若原雅夫 滝沢修 津島恵子 月岡夢路
主題歌:「長崎の鐘」作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而
原爆を被災し、1951年に亡くなるまで、精一杯生きて、
歌、絵、文章で世界に発信し続けた、医学博士・永井隆の
半生を描いた映画。彼の生前、作られた。
かれが聖人ではなく短気で、そそっかしく忘れ物が多いなどの欠点も、
残していく2人の幼子への愛情深い父の面も、信仰へ導いた亡き妻への
思慕も描かれていて胸を打つ。
占領下に作られたためか「米国」とか「米軍」という語が、
映画の中では一度もつかわれていなかった。
原爆は「軍閥への最後の警告として投下された」という字幕が出ていた。
小さな瑕はあるが、見終わって残ったのは、博士の、自分に厳しい、
一貫性のある生き方への畏敬の念だ。それはキリスト教の信仰の
せいばかりでなく、戦前の日本の知識階級の最良の部分が、
強い誇りと社会への責任を自覚していたためだと思える。
彼も志願して従軍した経歴もあり、今の価値観で見ると完璧
ではなかったが、いざというときの身の処し方に、かなわないものを感じた。
監督:大庭秀雄 原作:永井隆
出演:若原雅夫 滝沢修 津島恵子 月岡夢路
主題歌:「長崎の鐘」作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而
原爆を被災し、1951年に亡くなるまで、精一杯生きて、
歌、絵、文章で世界に発信し続けた、医学博士・永井隆の
半生を描いた映画。彼の生前、作られた。
かれが聖人ではなく短気で、そそっかしく忘れ物が多いなどの欠点も、
残していく2人の幼子への愛情深い父の面も、信仰へ導いた亡き妻への
思慕も描かれていて胸を打つ。
占領下に作られたためか「米国」とか「米軍」という語が、
映画の中では一度もつかわれていなかった。
原爆は「軍閥への最後の警告として投下された」という字幕が出ていた。
小さな瑕はあるが、見終わって残ったのは、博士の、自分に厳しい、
一貫性のある生き方への畏敬の念だ。それはキリスト教の信仰の
せいばかりでなく、戦前の日本の知識階級の最良の部分が、
強い誇りと社会への責任を自覚していたためだと思える。
彼も志願して従軍した経歴もあり、今の価値観で見ると完璧
ではなかったが、いざというときの身の処し方に、かなわないものを感じた。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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私は見ていないんですよ。学校から連れて行ってもいいように思うんですが。どうしてでしょうか?
少しカトリック色が濃かったのと、教育の「逆コース」がはじまったせいでは?と思います。
歌も愛唱していました。本も「この子を残して」か「長崎の鐘」がうちにあったのを覚えています。
遺児の茅乃ちゃんを自分と重ねて見ていました。父親っ子でしたのでね。
今原爆の恐さをうたえていますよね。これも一つの例に考えるのもいいと思います。カトリックのお祈りもありましたよ。長崎の地はカトリックがさかんでした。