映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
映画「真夜中のカーボーイ」

1969 米 ★午前十時の映画祭★松江SATY東宝にて鑑賞 原題 Midnight Cowboy
監督 ジョン・シュレジンジャー 出演 ダスティン・ホフマン ジョン・ヴォイト
この映画は遠い昔、40年以上前、見たことがあるが、それ以来、レンタルでも見る気にならなかった。映画の持つ強烈なマイナスのエネルギーは今回も薄れていなかった。
ジョン・シュレンジャー監督はロンドン生まれOxford大卒のユダヤ人でGAYを自認、これは彼の渡米第一作でアカデミー監督・作品・脚本賞をとった。
テキサスの田舎者、イタリアの移民、ゲイたちなど、よそ者が憧れ、よそ者が夢を抱き、よそ者が集まってきて、そして疎外される大都会ニューヨーク、できれば冬もあたたかいフロリダに移住したい街を、英国から来たよそ者のシュレジンジャーが描いた映画がこれではないだろうか。
この映画でNYとは怖くて汚い街という先入観が私の中にできてしまい、いまだにそれから回復していない。近頃は政治の力で改善されているらしいが、私が観光で行った1995年初めはまだその余韻が漂っていた。
この映画には感情移入できる人が出てこなかった。
ジョン・ヴォイトの演じる主人公は「NYの男性はホモばかりなので、テキサスの男らしい男が行けば女性たちを虜にできるだろう、一つ金儲けしてやろう」とやってきたが、相手にしてくれるのは男ばかりである。初め彼をカモにした、肺結核で足の悪いペテン師の小男のイタリア人ラッツォにしても、頭は回るが、廃屋を不法占拠した生活も、見た目もみじめそのものである。
この映画には軽蔑と嫌悪があふれている。NYの悪いところ、醜いところをわざわざ拾い上げて拡大しているかのようだ。
唯ひとつ、よかった場面は、あのちょっとイカレた連中の開くパーティのシーンだ。汚いNYの町中に別の世界が突然生じるような幻想的な時間と空間だった。
とうとうラッツオの夢がかない、フロリダに旅立つバスの後部座席に座る二人を、老人たちがじっと見つめる場面は、ダスティン・ホフマンの前作「卒業」の最後を思い出させるが、あの若々しい青年が、はるばるとここまで来たかという感慨にかられる。
ダスティン・ホフマンの恐るべき演技力は、彼がイタリア人でなかったからこそできたことだろう。ジョン・ヴォイトによれば、実際にカウボーイの扮装で街を歩いたら、ゲイの男性が群がって来たそうだ。
シュレジンジャーと逆にNYに生まれたユダヤ人でロンドンに移住したウディ・アレンはNYを愛し、ここ以外どこにも行きたくないと言っていたが、彼の描くNYはこの映画と正反対であり、とても楽しいところのように見えた。ただし、彼は目に見えないエリートの城に立てこもっているので、逆の意味で現実のNYという町は近づきにくくなっている。
ダスティン・ホフマンの出る映画
→「卒業」 12-7-30
→「パピヨン」 11-2-24
監督 ジョン・シュレジンジャー 出演 ダスティン・ホフマン ジョン・ヴォイト
この映画は遠い昔、40年以上前、見たことがあるが、それ以来、レンタルでも見る気にならなかった。映画の持つ強烈なマイナスのエネルギーは今回も薄れていなかった。
ジョン・シュレンジャー監督はロンドン生まれOxford大卒のユダヤ人でGAYを自認、これは彼の渡米第一作でアカデミー監督・作品・脚本賞をとった。
テキサスの田舎者、イタリアの移民、ゲイたちなど、よそ者が憧れ、よそ者が夢を抱き、よそ者が集まってきて、そして疎外される大都会ニューヨーク、できれば冬もあたたかいフロリダに移住したい街を、英国から来たよそ者のシュレジンジャーが描いた映画がこれではないだろうか。
この映画でNYとは怖くて汚い街という先入観が私の中にできてしまい、いまだにそれから回復していない。近頃は政治の力で改善されているらしいが、私が観光で行った1995年初めはまだその余韻が漂っていた。
この映画には感情移入できる人が出てこなかった。
ジョン・ヴォイトの演じる主人公は「NYの男性はホモばかりなので、テキサスの男らしい男が行けば女性たちを虜にできるだろう、一つ金儲けしてやろう」とやってきたが、相手にしてくれるのは男ばかりである。初め彼をカモにした、肺結核で足の悪いペテン師の小男のイタリア人ラッツォにしても、頭は回るが、廃屋を不法占拠した生活も、見た目もみじめそのものである。
この映画には軽蔑と嫌悪があふれている。NYの悪いところ、醜いところをわざわざ拾い上げて拡大しているかのようだ。
唯ひとつ、よかった場面は、あのちょっとイカレた連中の開くパーティのシーンだ。汚いNYの町中に別の世界が突然生じるような幻想的な時間と空間だった。
とうとうラッツオの夢がかない、フロリダに旅立つバスの後部座席に座る二人を、老人たちがじっと見つめる場面は、ダスティン・ホフマンの前作「卒業」の最後を思い出させるが、あの若々しい青年が、はるばるとここまで来たかという感慨にかられる。
ダスティン・ホフマンの恐るべき演技力は、彼がイタリア人でなかったからこそできたことだろう。ジョン・ヴォイトによれば、実際にカウボーイの扮装で街を歩いたら、ゲイの男性が群がって来たそうだ。
シュレジンジャーと逆にNYに生まれたユダヤ人でロンドンに移住したウディ・アレンはNYを愛し、ここ以外どこにも行きたくないと言っていたが、彼の描くNYはこの映画と正反対であり、とても楽しいところのように見えた。ただし、彼は目に見えないエリートの城に立てこもっているので、逆の意味で現実のNYという町は近づきにくくなっている。
ダスティン・ホフマンの出る映画
→「卒業」 12-7-30
→「パピヨン」 11-2-24
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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蛇足ですが、映画のタイトルは「真夜中のカーボーイ」として、あえて「カウボーイ」にしなかったそうです。現代だから、車(カー)にしたそうです。
コメント有難うございます。
「噂の男」は監督が選んだそうですが、私も迫力のある歌だと思います。「カーボーイ」の「カー」は車ですか、あの当時のこととて、てっきり表記を間違えたのかと……。
男性は淀長さんはじめ、この映画が大好きという人もたくさんいるみたいですね。私はやはり男性は賢く格好良くあってほしいという女性としての幻想?夢を抱いているので幻滅ですが。