どもども。身内に不幸があって、一週間弱ほどネット落ちしてました。たこやきでっす。
身内といっても私から見れば母方の祖父で、しかも一年ばかりギリギリの闘病生活をされていた方なので、まあ……ダメージは少ないというか、何と言うか。
でも母はさすがに精神的にきついだろうし、ということで。
んでまあ、母方の実家にて絶賛雑用係してきたわけです。
こういった親戚行事が以前にあったのは私が中学の頃だったので、大人としてそこそこ使い物になってからは初参加でした。
やあ、働きましたよ。お茶くみやらおば様方のアシスタントやらと雑用ばかりですが。しかしこういった行事の流れも覚えとかなくちゃなあ、と思います。
都会では違うのかもしれませんが、父方も母方も喪主が音頭をとって、講中の皆さんに手伝ってもらって、(父方の場合は自宅で)葬儀をやるので遺族のすることは山ほどある……。
正直、悼んでるヒマなぞねぇ状況になりそうだな、アレ……。喪主を中心に遺族皆で一丸となって一大イベントをまっとうする感じになります。おじさまやら父上やら(義理の息子ってことになるので、結構仕事があった)がめったやたらに頼もしく見えた。
あの一年間の闘病生活が、良かったのか、悪かったのか。
正直母方の祖父とは同居もしていなかったので、わりと第三者的に今回の入院から葬儀までを見ていた方なのですが。
その中で素直に感じた事を言えば……医療は死から人を救わないですね。
病からは救うかもしれない。でも、死からは救ってくれない。
一年前、病というには死に近づき過ぎた祖父を、医療は完全に救い上げる事は出来なかった。
意思の疎通もままならず、変わり果てた姿でただ死を待ち続けた一年間に何か意味はあったのか。そう問われれば、分からない。
祖父にしてみれば生涯で最も苦しい一年間だったのではないか。そう思えてならないのですが、祖母、母にしてみれば、一年前に倒れたあの時、祖父を亡くすのは耐え難い事だっただろうと思う。
でも、この一年間の祖父の有様に、人間の尊厳などというものは無かったと思うのですよ。
自分がああなる事を考えるとゾッとした。
たとえその先が死しかなくとも、その苦しみから早く解放してあげたかった。
先が無いと分かっていても、それでもただ見守る事しか出来ずとも、なすすべなくただ祖父のもとへ通い続けた祖母と母の苦労を思うとあの一年間は本当に何か益をもたらしたのか、と疑問に思わざるを得ないのです。
でも。
自分が母の立場、祖母の立場で、祖父を解放してあげる事が出来ただろうか。
出来る事なら、今後私の両親や将来の伴侶があのような状況に置かれる日が来たなら……私は解放の決断をしてあげたいと思っている。私がそうなる日が来たなら、是非とも解放して欲しいと思っている。
仮定の話としてそう言うのは容易い。でも、本当に病床に臥す家族を目の前にした時、割り切ることが出来る保証なんてない。
母は私に、「自分の時は一筆書いておくから、延命はやめてくれ」と言った。
母は今51歳。いつその日が来るかは誰にも分からない。
私に子が出来、私が50歳を越す頃になればもしかしたら決断できるかもしれない。でも今すぐ、明日にはきっと無理だろう。そう思う。
30年後、53歳になった私が、本当に決断できるかどうかなど、今の私に分かろうはずもない。
願わくば、その日が来てしまうまでに、日本において人の死に方が今より変化してますように。人を死から救おうとするものが、医療による延命のみでありませんように。心からそう思う。
一度、老人用長期入院施設の大部屋を、それも重篤患者の部屋を見てみれば分かると思う。
そこは療養所などではない。
「死」への待合室なのだ。そう実感するはずだ。
その寝台に横たわるは死を待つ人々の群れ。その事実、そこにある薄暗くてなまぬるい絶望のもやが理屈でなく分かるはずだ。
曾祖母、祖父と二度その様を見てきた私はこう思う。
緩慢に死に行く人々に必要なのは何でしょう。
喉に穴を空けての人工呼吸か。
胃に穴を空けての食糧注入か。
チューブにつながれ、意思の疎通もままならない家族を見る時の悔しさを、どう表現したらいいかなんて分かりませんが。
でも、彼らに必要なものはそれじゃ無いと思うのです。
医療が死を駆逐しきる日など、永遠にやってこない。
人は必ず死ぬ。
その事実を覆す事など出来ない。
だったら、死を先延ばしにすることばかりでなく、死を迎える準備をする事を考えるべきなのだと、私は思うのです。
必ずやってくる事なのだから。誰にも平等に訪れるものなのだから。特別なことでは決して無いのだから。
恐れなくて良いのだと教え、心安らかにその日を迎える事をこそ支援してあげるべきだったのではないか。
リハビリをする代わりにそういった事をした事で、延命処置を一つ遅らせた事で、縮む余命が何日だったと言うのだろう。
そのたった数十時間を惜しむよりも、本人と家族とで、たとえ一年だったものが半年になったとしても、一緒に前向きに準備が出来たなら、よほど意味があったのではないかと思うのです。
祖父本人を苦しめた後悔も、喪失した空しさも、こんなにも感じずに済んだはずだと。
そういうことが出来る社会になっていればいい。
こんな苦しみを、もっと自分に場所で見たくなど無い。
そう思うとき、救いの可能性を、光を見せてくれるのはやはり宗教だと思います。
私は父方も母方も浄土真宗の徒ですので、がっつり浄土真宗に染まって育ってます。よって、やはりお葬式の時に拝聴する説法で救われる部分もある。
こんな事があると、もっと積極的に仏法を習いたいとか思いはじめますよ。
あと、辛い事があってべこべこにへこんだ時とかね(笑)
暮らしていけそうに無いから、この世に家族や何やと執着があるうちはためらいも大きいですが、いつか両親が死んで、伴侶もおらず……なんて状況になったら頭丸めて仏門を叩いてやる。そう結構本気で思ってます。
あらら、近況軽く……のつもりがめっさ重たくなりました^^;
まあ、書いとかないと忘れますからね。メモメモ。
若い間の難病・死と、老人の闘病・死はまた違いますからね。「本来なら先があるのに」という部分の有無というか。
最後に、白骨の御文章は一読の価値アリと個人的に思ってますのでご紹介。
別に浄土真宗以外の仏教を偽物だなどという気は全くありません。仏教全体が結構好きです。はい。
えーと、次。
携帯変えました。今まで使ってたMOVAに寿命がきたもので^^;
や~、それでも次代引継ぎまで保っててくれて助かった; ホントやばかったですよ。
結局D705です。白。
最後のD携帯……くっ(涙
前回のMOVAもDユーザーだったのでさみしいのう。
嬉しそうに着メロ入れました。うたじゃないのよ。スピーカー悪いのに、無駄に潰れた生音っぽいのが出るのが好かんのじゃ、私は。だから多分ドコまで行っても着メロのままだと思う。
無理せず電子音のストリングスを何重にも和音させてればいいんだと思ってます。
そんなポリシーなので画面についても以下同文。あんなちっさい画面でクオリティを必要以上にこだわるなと。
電池の無駄だぜよ、というのが本音やな。
そう思ってる人、多分世の中には相当数居るんだろうに、何故携帯開発の方向性はソッチ方面に暴走してるんだろうなあ……。
過ぎたるは及ばざるが如しだと思うんだが。ま、シロート考えですが。
しかしクルクルと回すボタンは気に入りました。ボタン反応速度も702の頃からは見違えるくらい進化してますね。ノンストレスでメールが打てて嬉しい。両親の携帯の無残さを知ってて、相当長い間FOMA敬遠してましたから。
あとは……。
NARUTOのサントラCDゲットしました! イエー!!
これ書いてるバックにエンドレスです。うひゃひゃひゃひゃ。
祖父が亡くなる前々日にAmazon様に注文出しちゃいまして。一週間くらい佐川さんにお世話になってましたww
やっと我が家にたどり着いたわけです、今日。めでたい。
それから、
集まってた母方の親戚連中に、亀谷式生命判断をされるおじ様がおられて、その人の話が大変面白かったです。
私の名付け親でもあるので、私の名前の意味解説もしてもらいました。うぬ、面白かった。
身内といっても私から見れば母方の祖父で、しかも一年ばかりギリギリの闘病生活をされていた方なので、まあ……ダメージは少ないというか、何と言うか。
でも母はさすがに精神的にきついだろうし、ということで。
んでまあ、母方の実家にて絶賛雑用係してきたわけです。
こういった親戚行事が以前にあったのは私が中学の頃だったので、大人としてそこそこ使い物になってからは初参加でした。
やあ、働きましたよ。お茶くみやらおば様方のアシスタントやらと雑用ばかりですが。しかしこういった行事の流れも覚えとかなくちゃなあ、と思います。
都会では違うのかもしれませんが、父方も母方も喪主が音頭をとって、講中の皆さんに手伝ってもらって、(父方の場合は自宅で)葬儀をやるので遺族のすることは山ほどある……。
正直、悼んでるヒマなぞねぇ状況になりそうだな、アレ……。喪主を中心に遺族皆で一丸となって一大イベントをまっとうする感じになります。おじさまやら父上やら(義理の息子ってことになるので、結構仕事があった)がめったやたらに頼もしく見えた。
あの一年間の闘病生活が、良かったのか、悪かったのか。
正直母方の祖父とは同居もしていなかったので、わりと第三者的に今回の入院から葬儀までを見ていた方なのですが。
その中で素直に感じた事を言えば……医療は死から人を救わないですね。
病からは救うかもしれない。でも、死からは救ってくれない。
一年前、病というには死に近づき過ぎた祖父を、医療は完全に救い上げる事は出来なかった。
意思の疎通もままならず、変わり果てた姿でただ死を待ち続けた一年間に何か意味はあったのか。そう問われれば、分からない。
祖父にしてみれば生涯で最も苦しい一年間だったのではないか。そう思えてならないのですが、祖母、母にしてみれば、一年前に倒れたあの時、祖父を亡くすのは耐え難い事だっただろうと思う。
でも、この一年間の祖父の有様に、人間の尊厳などというものは無かったと思うのですよ。
自分がああなる事を考えるとゾッとした。
たとえその先が死しかなくとも、その苦しみから早く解放してあげたかった。
先が無いと分かっていても、それでもただ見守る事しか出来ずとも、なすすべなくただ祖父のもとへ通い続けた祖母と母の苦労を思うとあの一年間は本当に何か益をもたらしたのか、と疑問に思わざるを得ないのです。
でも。
自分が母の立場、祖母の立場で、祖父を解放してあげる事が出来ただろうか。
出来る事なら、今後私の両親や将来の伴侶があのような状況に置かれる日が来たなら……私は解放の決断をしてあげたいと思っている。私がそうなる日が来たなら、是非とも解放して欲しいと思っている。
仮定の話としてそう言うのは容易い。でも、本当に病床に臥す家族を目の前にした時、割り切ることが出来る保証なんてない。
母は私に、「自分の時は一筆書いておくから、延命はやめてくれ」と言った。
母は今51歳。いつその日が来るかは誰にも分からない。
私に子が出来、私が50歳を越す頃になればもしかしたら決断できるかもしれない。でも今すぐ、明日にはきっと無理だろう。そう思う。
30年後、53歳になった私が、本当に決断できるかどうかなど、今の私に分かろうはずもない。
願わくば、その日が来てしまうまでに、日本において人の死に方が今より変化してますように。人を死から救おうとするものが、医療による延命のみでありませんように。心からそう思う。
一度、老人用長期入院施設の大部屋を、それも重篤患者の部屋を見てみれば分かると思う。
そこは療養所などではない。
「死」への待合室なのだ。そう実感するはずだ。
その寝台に横たわるは死を待つ人々の群れ。その事実、そこにある薄暗くてなまぬるい絶望のもやが理屈でなく分かるはずだ。
曾祖母、祖父と二度その様を見てきた私はこう思う。
緩慢に死に行く人々に必要なのは何でしょう。
喉に穴を空けての人工呼吸か。
胃に穴を空けての食糧注入か。
チューブにつながれ、意思の疎通もままならない家族を見る時の悔しさを、どう表現したらいいかなんて分かりませんが。
でも、彼らに必要なものはそれじゃ無いと思うのです。
医療が死を駆逐しきる日など、永遠にやってこない。
人は必ず死ぬ。
その事実を覆す事など出来ない。
だったら、死を先延ばしにすることばかりでなく、死を迎える準備をする事を考えるべきなのだと、私は思うのです。
必ずやってくる事なのだから。誰にも平等に訪れるものなのだから。特別なことでは決して無いのだから。
恐れなくて良いのだと教え、心安らかにその日を迎える事をこそ支援してあげるべきだったのではないか。
リハビリをする代わりにそういった事をした事で、延命処置を一つ遅らせた事で、縮む余命が何日だったと言うのだろう。
そのたった数十時間を惜しむよりも、本人と家族とで、たとえ一年だったものが半年になったとしても、一緒に前向きに準備が出来たなら、よほど意味があったのではないかと思うのです。
祖父本人を苦しめた後悔も、喪失した空しさも、こんなにも感じずに済んだはずだと。
そういうことが出来る社会になっていればいい。
こんな苦しみを、もっと自分に場所で見たくなど無い。
そう思うとき、救いの可能性を、光を見せてくれるのはやはり宗教だと思います。
私は父方も母方も浄土真宗の徒ですので、がっつり浄土真宗に染まって育ってます。よって、やはりお葬式の時に拝聴する説法で救われる部分もある。
こんな事があると、もっと積極的に仏法を習いたいとか思いはじめますよ。
あと、辛い事があってべこべこにへこんだ時とかね(笑)
暮らしていけそうに無いから、この世に家族や何やと執着があるうちはためらいも大きいですが、いつか両親が死んで、伴侶もおらず……なんて状況になったら頭丸めて仏門を叩いてやる。そう結構本気で思ってます。
あらら、近況軽く……のつもりがめっさ重たくなりました^^;
まあ、書いとかないと忘れますからね。メモメモ。
若い間の難病・死と、老人の闘病・死はまた違いますからね。「本来なら先があるのに」という部分の有無というか。
最後に、白骨の御文章は一読の価値アリと個人的に思ってますのでご紹介。
別に浄土真宗以外の仏教を偽物だなどという気は全くありません。仏教全体が結構好きです。はい。
えーと、次。
携帯変えました。今まで使ってたMOVAに寿命がきたもので^^;
や~、それでも次代引継ぎまで保っててくれて助かった; ホントやばかったですよ。
結局D705です。白。
最後のD携帯……くっ(涙
前回のMOVAもDユーザーだったのでさみしいのう。
嬉しそうに着メロ入れました。うたじゃないのよ。スピーカー悪いのに、無駄に潰れた生音っぽいのが出るのが好かんのじゃ、私は。だから多分ドコまで行っても着メロのままだと思う。
無理せず電子音のストリングスを何重にも和音させてればいいんだと思ってます。
そんなポリシーなので画面についても以下同文。あんなちっさい画面でクオリティを必要以上にこだわるなと。
電池の無駄だぜよ、というのが本音やな。
そう思ってる人、多分世の中には相当数居るんだろうに、何故携帯開発の方向性はソッチ方面に暴走してるんだろうなあ……。
過ぎたるは及ばざるが如しだと思うんだが。ま、シロート考えですが。
しかしクルクルと回すボタンは気に入りました。ボタン反応速度も702の頃からは見違えるくらい進化してますね。ノンストレスでメールが打てて嬉しい。両親の携帯の無残さを知ってて、相当長い間FOMA敬遠してましたから。
あとは……。
NARUTOのサントラCDゲットしました! イエー!!
これ書いてるバックにエンドレスです。うひゃひゃひゃひゃ。
祖父が亡くなる前々日にAmazon様に注文出しちゃいまして。一週間くらい佐川さんにお世話になってましたww
やっと我が家にたどり着いたわけです、今日。めでたい。
それから、
集まってた母方の親戚連中に、亀谷式生命判断をされるおじ様がおられて、その人の話が大変面白かったです。
私の名付け親でもあるので、私の名前の意味解説もしてもらいました。うぬ、面白かった。