はい、まーだ修論残ってますが。ま、一区切りですから。
しみじみしてみよう、ということで。
この一年のほとんど書いてない日記の、さて何割が弱音だったり、悲鳴だったりしたやら……などというのは正直、真面目に振り返るとちょっと切ない量だろーと言う事位は承知しております。
その間に支えてくれた人たちに感謝。しかし、ただタダ感謝、というより、お互い頑張ったよね、戦友ども! って気分ですが……しかし長引いた分だけ自分が明らかに借りを作ってますww
出来るだけ借りないよーに、迷惑はかけないように、けじめはつけて……とは思いながら、それがどれだけ出来たか……もとい出来てないかは、過去の文章読んでいただければ一目瞭然ですが☆
とりあえず。
市役所の書類・作文・面接では、一切猫なんざ被りませんでした。
猫、誤魔化し一切無しの、タコヤキ節の回りきった文章・超本音・マジ意見で勝負! 一般論とか普通ウケとか遠慮とかなし。本気で考えた。本気で思ってる。これで取ってくれるなら心置きなく挑戦できるし、これで駄目なら仕方ない。そんな感じでした。
一年間就職活動をやって、結局自分に残った結論、思い知った現実、痛感した内容、そんなもんを全部詰め込んでの勝負。
私、「企業」に忠誠は誓えません。
私、専門知識や職種に価値観を置けません。
守りたいものも、やりたい事も別のところにあります。
結局それが結論。やりたい事ってのはつまり、地元を守る。土地を守る。家を守る。だから、この「○○市(一応伏字w)」の為に働ける、市役所職員にしてください! ってな感じでした。
ホントにね。製薬系研究職とか。内容はヨダレじゅるじゅる出ちゃうほど魅力的でしたよ。ロマンだ浪漫。
でも、「東京? ……ねーわw」と真っ先に心が言うわけです。
IT系の某社。素敵な福利厚生。生き生きしておられる社員様。都会的でネームバリューもあって、のびのびとした人たちっぽくて素敵。
でも、「仕事ってやっぱ『やりがい』ですよね! やりがいあってこその仕事。この仕事をして良かった! って思えるのが一番です!!」って超力説された。やりがいがNo1.その為なら他のどんな条件も無視だぜベイベー。……ううーん、居心地はよさそうで雰囲気は素敵だけど……ゴメン、実家から通えないって時点で「何時かは辞めます」……あ、お呼びじゃない。スンマセン。
食品系の会社ズ。やっぱ生物系だし。製薬は医学・薬学に浚われるし化成系はバケやってないと厳しいっしょ。じゃあやっぱ食品が手堅いよね……。
でも、えーと? 何だろうこのエントリシート……説明会も何か今までのとこと雰囲気違うよね……。うん、ノリ的に、製薬・化成系と同じ「研究」と言っても違うよね、何かが。
って言うか。自分食うのは好きだけど……「アナタの考えた商品が、日本中に○○ブームを巻き起こすかもしれないですよね!」……ってゴメン、いつも私、「けっ、こうやって無責任に煽り倒すから、ちょっと真面目に高校生物の知識に照らし合わせれば馬鹿馬鹿しいような商品が世の中にあふれかえって、それに皆踊らされるんだよね……もうちょっと責任持とうとか、真面目に考えないのかね、商業主義って嫌い……」とか思ってますorz
大学出たらホワイトカラーですか。
ホワイトカラーなら全国区当然ですか。
「やりがい」ってそんなに正しいですか。
大学って、その知識を生かせる企業に就職するために行くところですか。
そんな風にイラついた……もどかしさを感じた一年でもありました。
都会に出てナニをするだろう。
自分の場所なんて借りた賃貸住宅の1、2間でさ。
自分の物って言えるものも、場所も、ホント少なくて、買う場所が無くなったら何も出来なくなる。お金なくちゃ何にも自由にならない。そういう生活をしたくないなぁ、と、大学6年間アパート生活して思いました。
家が自分を収納するだけのタダの箱で、そこから出て行く場所が企業しかないと、どうやったって企業の中に、仕事の中に価値を見出すしかなくなる……? という想像もした。
実家帰れば土地あるのに。家あるのに。家族居るのに。不便で不自由で、手に入る物は少ないけど、だけどそこでは、庭の土も裏山の木の実も、道端の花だって自分の自由になる。一日中、パジャマでその辺を散策してても誰にも見咎められないし、自然という奴は人工物と違って、一日中眺めてても飽きるものじゃない。
その中で暮らしたい、と思う。そういう価値観もあってもいいではないですか。
それを守る為に、そこで暮らす為に働くっていう選択肢を、ホワイトカラーじゃ出来ないよね。求められてないもの。そんな「労働者」。
じゃ、もうしょうがない。コレ(市役所)で駄目なら大学的「シューカツ」なんか諦めてやんよ。そう思ってました。
でもさ。今の社会、ホントにそれでいいんですか?
優秀な人材はグローバル。効率こそ命。企業万歳。資本主義が社会の発展の原動力です。……ねえ、誰が土地守るの? 土地守る事に、価値置いてくれないんだ。じゃあ、十年後、二十年後の地方に誰が責任持つの? 企業、持ってくれないよね。効率化という名のご老公の印籠の下に、日本中の人間を根無し草にして行ってない? 根を張る土地がなけりゃ、企業の中に居場所を見出すしかないよね。
それで、数十年後。何処の誰にも「帰る場所」なんてなくなってたり、しませんか? あるのは「自分の収納場所」だけ、なんてなったりしませんか。
少々過激かも、と思いつつもそんな風に感じたわけです。
そして、そうじゃない可能性を探したい。きっと、そういう可能性を提案していけるのは「地方」なんじゃないか。企業じゃない。「地方」を、「地元」を考えられる立場になりたい。それが結局市役所職員の志望動機になりました。
で、受かった。……間違ってないと思っていい? ○○市(地元自治体)的に。
随分と、周囲の価値観、大学や就活サイトで触れる「普通」とは違うところに自分が居るんじゃないかという思いをしてきました。
何でこんなに違うんだろう。上手く行かないんだろう。苦しいんだろう。
そう、延々とのた打ち回った結果が、市役所でのPRになっちゃった感じです。
そう思えばまあ、苦しんだ甲斐があったというものかもしれません。
話がちょっと変わって。
色々と悩んだり行き詰ったり、上手く行かなかったりすると、人間どうしても荒んできます。
荒んでる時って、自分じゃどれだけ荒れてるか自覚できない場合もありますが……。
とりあえず、日に三回以上、三人以上の人間に対して「コイツ今日駄目だな……」と思った場合、大抵「今日駄目」なのは自分です(笑)
人間ってのは自分の目……気分とか固定観念とかいうフィルターを通してしか世界を見れない生き物なので、自分が見る世界というのは、要するに自分の感情色に染まってます。
全然楽しい事がない。何に対しても不満しか出ない。友人知人のアラばかり気になる……なんか最近周りの奴みんな病んでない?
とか思い始めたら、十中八九、病んでるのは自分です。
なんでこんな事言い出したかというとですね。
久々に会う友人がそんな風に病んでました。そやつが此処を見ているか否かは知らないが。
相手をしてる間は「…………やれやれ」としか思わなかったわけですが。自分も絶賛月のモノの真っ最中でコンディションは良くないんだぜ☆
別れて冷静に振り返ると、アレはちょい気の毒な状態やのぅ、と。
頑張るしかない状況では、折れてしまえない場合もあるかもしれないけど。
それを折ってしまえばもう何も残らないのであれば、折る事など出来ないのかもしれないけど。
しかし、限界来てるなら折ってしまって、一度座り込んでゆっくり考えるのもありじゃねぇの? と思います。
それは勇気が要る事だけどね。
その縋ってる物が君の首を締めてないかい? その先に、何か本当に見えるのかい?
なぁんて。
ま、そう読んでる人の居ないブログで呟いて、何処に届くのかなんて分かりませんが。
とりあえず、一日に「駄目」を二回感じたら自分の胸に手を当てましょう☆ 駄目が出てるのは自分って可能性が結構あります。自分なんかモロにそうです。周囲に被害を与えない間に自覚するが吉であります。
なんつーか、いい具合に都会的に干乾びてた某氏は、この連休で多少潤ってるといいなぁ。
(さらにポーンと話が飛んで)
私はバンプさんが大好きなわけですが。最近のツボ曲でですね。
(曲的には多分全然新しくないのですが)
才悩人応援歌があります。
歌詞が。もうどうしようってくらいツボでした。「正にそう!」な内容。
何処がと言われれば……全部です。あえて言えば「自分のための世界じゃない」かな。そして「世界のための自分じゃない」。
それでも生きていく。自分のために。
それがたまらなく苦しい時もあるけどね。
拠るべきものや、目指すべき光が必要なのは、結局世界は自分の為にあるわけじゃないからなんだろうと思う。
だから、拠るべきもの、目指すべき光は自分で見定めなければならなくて、それはとても苦しい事だけど、それが、自由だってことでもあるんだろうと思う。
なのでー……結局何だろう。がんばれー……?
君の生きる目的は、結果として何であったとしても、根本は「君が幸せになる事」なんだよ、忘れないでね~……とか言ってみる。
その形式やら何やらなんて根本的にはどうでも良いのですよ。「こうでなければ」という固定観念にどっか嵌ってないかい?
意外とその「こうでなければ」を外しても幸せになれたりするかもよ?
固定観念に嵌って、行き場を失って苦しむのと、固定観念に逆らって、今自分のいる環境の中で異端だからといって苦しむの。多分どっちも苦しいけど、どうせなら後者の方がモチベーションは上がるというか、閉塞感はないかな。とか。
一年間思いっきりのたうった人間が言ってみますよ。
ま、いい時間(深夜)になったのでまとまらないまま打ち切りー。
しみじみしてみよう、ということで。
この一年のほとんど書いてない日記の、さて何割が弱音だったり、悲鳴だったりしたやら……などというのは正直、真面目に振り返るとちょっと切ない量だろーと言う事位は承知しております。
その間に支えてくれた人たちに感謝。しかし、ただタダ感謝、というより、お互い頑張ったよね、戦友ども! って気分ですが……しかし長引いた分だけ自分が明らかに借りを作ってますww
出来るだけ借りないよーに、迷惑はかけないように、けじめはつけて……とは思いながら、それがどれだけ出来たか……もとい出来てないかは、過去の文章読んでいただければ一目瞭然ですが☆
とりあえず。
市役所の書類・作文・面接では、一切猫なんざ被りませんでした。
猫、誤魔化し一切無しの、タコヤキ節の回りきった文章・超本音・マジ意見で勝負! 一般論とか普通ウケとか遠慮とかなし。本気で考えた。本気で思ってる。これで取ってくれるなら心置きなく挑戦できるし、これで駄目なら仕方ない。そんな感じでした。
一年間就職活動をやって、結局自分に残った結論、思い知った現実、痛感した内容、そんなもんを全部詰め込んでの勝負。
私、「企業」に忠誠は誓えません。
私、専門知識や職種に価値観を置けません。
守りたいものも、やりたい事も別のところにあります。
結局それが結論。やりたい事ってのはつまり、地元を守る。土地を守る。家を守る。だから、この「○○市(一応伏字w)」の為に働ける、市役所職員にしてください! ってな感じでした。
ホントにね。製薬系研究職とか。内容はヨダレじゅるじゅる出ちゃうほど魅力的でしたよ。ロマンだ浪漫。
でも、「東京? ……ねーわw」と真っ先に心が言うわけです。
IT系の某社。素敵な福利厚生。生き生きしておられる社員様。都会的でネームバリューもあって、のびのびとした人たちっぽくて素敵。
でも、「仕事ってやっぱ『やりがい』ですよね! やりがいあってこその仕事。この仕事をして良かった! って思えるのが一番です!!」って超力説された。やりがいがNo1.その為なら他のどんな条件も無視だぜベイベー。……ううーん、居心地はよさそうで雰囲気は素敵だけど……ゴメン、実家から通えないって時点で「何時かは辞めます」……あ、お呼びじゃない。スンマセン。
食品系の会社ズ。やっぱ生物系だし。製薬は医学・薬学に浚われるし化成系はバケやってないと厳しいっしょ。じゃあやっぱ食品が手堅いよね……。
でも、えーと? 何だろうこのエントリシート……説明会も何か今までのとこと雰囲気違うよね……。うん、ノリ的に、製薬・化成系と同じ「研究」と言っても違うよね、何かが。
って言うか。自分食うのは好きだけど……「アナタの考えた商品が、日本中に○○ブームを巻き起こすかもしれないですよね!」……ってゴメン、いつも私、「けっ、こうやって無責任に煽り倒すから、ちょっと真面目に高校生物の知識に照らし合わせれば馬鹿馬鹿しいような商品が世の中にあふれかえって、それに皆踊らされるんだよね……もうちょっと責任持とうとか、真面目に考えないのかね、商業主義って嫌い……」とか思ってますorz
大学出たらホワイトカラーですか。
ホワイトカラーなら全国区当然ですか。
「やりがい」ってそんなに正しいですか。
大学って、その知識を生かせる企業に就職するために行くところですか。
そんな風にイラついた……もどかしさを感じた一年でもありました。
都会に出てナニをするだろう。
自分の場所なんて借りた賃貸住宅の1、2間でさ。
自分の物って言えるものも、場所も、ホント少なくて、買う場所が無くなったら何も出来なくなる。お金なくちゃ何にも自由にならない。そういう生活をしたくないなぁ、と、大学6年間アパート生活して思いました。
家が自分を収納するだけのタダの箱で、そこから出て行く場所が企業しかないと、どうやったって企業の中に、仕事の中に価値を見出すしかなくなる……? という想像もした。
実家帰れば土地あるのに。家あるのに。家族居るのに。不便で不自由で、手に入る物は少ないけど、だけどそこでは、庭の土も裏山の木の実も、道端の花だって自分の自由になる。一日中、パジャマでその辺を散策してても誰にも見咎められないし、自然という奴は人工物と違って、一日中眺めてても飽きるものじゃない。
その中で暮らしたい、と思う。そういう価値観もあってもいいではないですか。
それを守る為に、そこで暮らす為に働くっていう選択肢を、ホワイトカラーじゃ出来ないよね。求められてないもの。そんな「労働者」。
じゃ、もうしょうがない。コレ(市役所)で駄目なら大学的「シューカツ」なんか諦めてやんよ。そう思ってました。
でもさ。今の社会、ホントにそれでいいんですか?
優秀な人材はグローバル。効率こそ命。企業万歳。資本主義が社会の発展の原動力です。……ねえ、誰が土地守るの? 土地守る事に、価値置いてくれないんだ。じゃあ、十年後、二十年後の地方に誰が責任持つの? 企業、持ってくれないよね。効率化という名のご老公の印籠の下に、日本中の人間を根無し草にして行ってない? 根を張る土地がなけりゃ、企業の中に居場所を見出すしかないよね。
それで、数十年後。何処の誰にも「帰る場所」なんてなくなってたり、しませんか? あるのは「自分の収納場所」だけ、なんてなったりしませんか。
少々過激かも、と思いつつもそんな風に感じたわけです。
そして、そうじゃない可能性を探したい。きっと、そういう可能性を提案していけるのは「地方」なんじゃないか。企業じゃない。「地方」を、「地元」を考えられる立場になりたい。それが結局市役所職員の志望動機になりました。
で、受かった。……間違ってないと思っていい? ○○市(地元自治体)的に。
随分と、周囲の価値観、大学や就活サイトで触れる「普通」とは違うところに自分が居るんじゃないかという思いをしてきました。
何でこんなに違うんだろう。上手く行かないんだろう。苦しいんだろう。
そう、延々とのた打ち回った結果が、市役所でのPRになっちゃった感じです。
そう思えばまあ、苦しんだ甲斐があったというものかもしれません。
話がちょっと変わって。
色々と悩んだり行き詰ったり、上手く行かなかったりすると、人間どうしても荒んできます。
荒んでる時って、自分じゃどれだけ荒れてるか自覚できない場合もありますが……。
とりあえず、日に三回以上、三人以上の人間に対して「コイツ今日駄目だな……」と思った場合、大抵「今日駄目」なのは自分です(笑)
人間ってのは自分の目……気分とか固定観念とかいうフィルターを通してしか世界を見れない生き物なので、自分が見る世界というのは、要するに自分の感情色に染まってます。
全然楽しい事がない。何に対しても不満しか出ない。友人知人のアラばかり気になる……なんか最近周りの奴みんな病んでない?
とか思い始めたら、十中八九、病んでるのは自分です。
なんでこんな事言い出したかというとですね。
久々に会う友人がそんな風に病んでました。そやつが此処を見ているか否かは知らないが。
相手をしてる間は「…………やれやれ」としか思わなかったわけですが。自分も絶賛月のモノの真っ最中でコンディションは良くないんだぜ☆
別れて冷静に振り返ると、アレはちょい気の毒な状態やのぅ、と。
頑張るしかない状況では、折れてしまえない場合もあるかもしれないけど。
それを折ってしまえばもう何も残らないのであれば、折る事など出来ないのかもしれないけど。
しかし、限界来てるなら折ってしまって、一度座り込んでゆっくり考えるのもありじゃねぇの? と思います。
それは勇気が要る事だけどね。
その縋ってる物が君の首を締めてないかい? その先に、何か本当に見えるのかい?
なぁんて。
ま、そう読んでる人の居ないブログで呟いて、何処に届くのかなんて分かりませんが。
とりあえず、一日に「駄目」を二回感じたら自分の胸に手を当てましょう☆ 駄目が出てるのは自分って可能性が結構あります。自分なんかモロにそうです。周囲に被害を与えない間に自覚するが吉であります。
なんつーか、いい具合に都会的に干乾びてた某氏は、この連休で多少潤ってるといいなぁ。
(さらにポーンと話が飛んで)
私はバンプさんが大好きなわけですが。最近のツボ曲でですね。
(曲的には多分全然新しくないのですが)
才悩人応援歌があります。
歌詞が。もうどうしようってくらいツボでした。「正にそう!」な内容。
何処がと言われれば……全部です。あえて言えば「自分のための世界じゃない」かな。そして「世界のための自分じゃない」。
それでも生きていく。自分のために。
それがたまらなく苦しい時もあるけどね。
拠るべきものや、目指すべき光が必要なのは、結局世界は自分の為にあるわけじゃないからなんだろうと思う。
だから、拠るべきもの、目指すべき光は自分で見定めなければならなくて、それはとても苦しい事だけど、それが、自由だってことでもあるんだろうと思う。
なのでー……結局何だろう。がんばれー……?
君の生きる目的は、結果として何であったとしても、根本は「君が幸せになる事」なんだよ、忘れないでね~……とか言ってみる。
その形式やら何やらなんて根本的にはどうでも良いのですよ。「こうでなければ」という固定観念にどっか嵌ってないかい?
意外とその「こうでなければ」を外しても幸せになれたりするかもよ?
固定観念に嵌って、行き場を失って苦しむのと、固定観念に逆らって、今自分のいる環境の中で異端だからといって苦しむの。多分どっちも苦しいけど、どうせなら後者の方がモチベーションは上がるというか、閉塞感はないかな。とか。
一年間思いっきりのたうった人間が言ってみますよ。
ま、いい時間(深夜)になったのでまとまらないまま打ち切りー。