Sideway

気のおもむくまま。たこやきの日記的雑記。

指定型★バトン

2006-06-18 | 日記。
指定型★バトンのルール
◆廻してくれた人から貰った『指定』を『』の中に入れて答える事。
◆また、廻す時、その人に指定する事

水仙さまより、『生物学』でいただきました!
最近ボェーとしていて、なかなか気付かなかったたこやきをお許しくださいませ;
しかし『生物学』で指定されてしまった(爆笑)
生物中毒なのが完全にばれてますね!(超・今更)
非常に楽しそうなので行って参ります!!! お覚悟を(笑)

1.最近思う『生物学』
 
悲しいかな最近はどうも、視野が狭くなっていると申しますか、研究室に入って授業に出ないと、あまり新しい生物トピックスと出会う感動がございません(涙)
いや、自分で雑誌講読するなり、サイト回るなりすればいいんですけどね。
まだまだ情熱と修行が足りません(笑)
最近思う……と言われてパッと思いつくほど生物頭になっていないのが実情。


2.この『生物学』には感動!!!!

うう~、ネタがない。
そうですねえ……こないだ行動脳生理で習った事。

エモーション(=情動)は、決められたパターンで起こる、ステレオタイプな身体の反応パターンである。
また、その認知と反応の順序は
 「怖い」→「筋肉の緊張」・「血圧の上昇」
ではなく、
 「筋肉の緊張」・「血圧の上昇」→「怖いと認知」
の順序である。
とゆー、まあ、身も蓋もないっちゃ、身も蓋もないお話。

つまり、「怖い」と思ったから鳥肌が立ったんじゃなくて、鳥肌が先に立って心臓がバクバクいい始めたから「あ、私怖いんだ」と脳が認識するらしいです。

ちと目から鱗。

そしてそういう、鳥肌立つとか、心臓バクバクするとかいう反応は極めて生理的なもの……あらかじめ、生まれながらに決まってるものでして。そしてそれは表情も同じ。表情は学習によらず、然るによって文化にもよらない。
(文化によって変化はするけど。この例として教科書(英語。欧米の人が書いた本)には日本人が出てたらしいよ。日本人は人前では感情を出さない文化を持ってるんだって)

んだから、そういう意味でいけば、「感情のままに生きる」ということは究極のオリジナリティの放棄。
その人自身の個性とはかけ離れた場所……なんて言うか、生まれながらに決まってる人類共通部分(というか、哺乳類広範にかなり共通部分)で生きることになるらしい。
人間の個性、一個人としての尊厳はどうも、文化と学習の積み上げの上にあるみたいですよ。多分。

 
3.直感的『生物学』

ちょっかんてき……(勘などを働かせて物事を感覚的にとらえるさま。 by大辞泉)
う~ん。
『生きている』という事の不思議について学ぶ学問、ですかね。
細胞が生きている、個体として生きている、生態系の中で生きている……。当たり前っぽいことが、結構複雑で繊細な仕組みによって成り立っている、その精巧さを追っていく学問……とかどうでしょ?
(わりと生物好きな人って、そういう精巧さに魅了された人が多いのではないかと……どうだろう? 私はそうです★)


  
4.好きな『生物学』

え~。
・環境生物学
・生態学
・分子生物学
・神経生物学(脳科学・行動脳生理学)
・ウイルス学?
・免疫学
・内分泌学
・動物行動学
・遺伝学
・古生物学
………………全部?
いやまあ、他にも色々ありますが。植物系より動物系が好きですな。

やはり、偶然とは思えないような精巧な生命の仕組みを垣間見る瞬間が、どの分野においても一番の快感(笑)かと。

  
5.こんな『生物学』は嫌だ!

英語ばっかり(切実)

いや、新しいトピックスが次々と出てくる分野なので、英語論文読めなきゃ研究者にはなれないらしい。文系よりよほど英語必要ですよ。英語嫌いで理系に行こうとする方、お覚悟あれ。
その代わりと言っちゃ何だが、数学プッツンでも何とかなる。多分。(絶対保証はしません)

ちと真面目に答えれば……。
う~ん、細分化されすぎてつまんない、というのはありますね。よく聞くネタですいません。
でも、研究始まるとやっぱ、専門馬鹿になるというか(笑)他の事に触れる機会が減ってしまいます。そんで、一年研究して得られる成果なんて知れておりますから、大したこと出来ないわけです。
四年の研究なんて理系の場合、練習(予行演習)に等しいワケですからまあ、仕方がないといえば仕方がないのですが、好きで、興味を持って入った研究室の研究でも、自分がやっていることがその分野の何処に位置し、どう貢献できるかが見えづらくなってきます。
するとモチベーションが下がると言うか、なんというか。
自分が本当に、「やりたい研究」をやっているかの自信がなくなってきます。
それがちとヤかな~、なんて。
「○○について包括的に考察したい!」という嗜好の方は理系には向かないと思われ。授業ならばそれなりに、全体像を(と、言ってもごく狭い範囲=授業をしている先生が今まで解明してきた事の全体像)教えてくれますが、実際自分が手がけるのはその中のほんの1ピースになりますので。

後はアレですね。
どんな学問でも極論は醜いんじゃないかと。極端な事を「生物学的根拠云々」と言ってぶち上げるのやめて~。健康も心理も何もかも、生物というものはたった一つの要素で全てが決まるほど単純じゃないとおもう~。
至極真面目に、まっとうに、誠実に物事に取り組んでいけば、決してそんなにとんでもない予想外の方法や論理にゃならないと思うのですよ。極々当たり前の、常識の範疇にもどってしまう。それが当然なんじゃないでしょうか。

だからポリフェノールが良いからって、お茶ばっか飲んでも寿命が絶対に延びるわけじゃないし、苦いチョコ食ったからどうこうってわけでもないと思うのですがね。コエンザイムもGABAもヒアルロン酸もウチは興味ないっす。
ンなものに熱を上げてる余裕があれば、食生活と生活リズムと整える方がよほど……。いや、まあ、それが難しい世の中だから一発逆転を狙いたくなる心理は痛いほど分かるけどね。他人のこと言えないけどね。
(とまあ、この辺が『生物学』のうちか否かは微妙ですが)

   
6.この世に『生物学』が居なかったら… (この場合「なかったら」ですね)

医学分野も含めれば。「人類の平均寿命はもっと短いままだったと思う」
医学に科学的根拠がないままでしたら、民間療法とか宗教的なものとかと分離が為されてなかったんじゃないかな~とか。
それが一概に不幸とは言わないけどね。

とりあえず私は文系に進学してました(笑)

ナニをもって「生物学」とするかだけど、とりあえず『細胞』の存在が認知された所からはじめるとすると(高校の教科書どおり。正確な定義は知りません~;)、自分達人間が何者で、この地球と生命の時空の中でどのような立ち位置にあるのか相対的に見る視点が得られなかったのではないかと。

科学によって驕るのではなく、科学によって謙虚になりたいものです。はい。
(急にナニを言っているのか)

 
◆.次に回す五人

   依都さんに『和風』
   紅坂さんに『ガンダム』(笑)
   亜純さんに『演劇』
   イチオさんに『音楽』
   

   う、五人目のサイト様が見当たらない!

   と、言うわけで、もし読んでおられたら、まあ、宜しかったらお答えくださいまし。
   ご無理にとは申しませんので~。

   それでは、これにて。
   全部読まれた方、ご苦労様でした(笑)