乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

薬隆寺八幡神社 1 「伊勢神宮 遥拝所」【さえずりに あしのはずみて 百度ふむ 喜美女】(11景)

2011年06月18日 | 民俗考・伝承・講演


    奈良県三郷町 薬隆寺八幡神社(やくりゅうじはちまんじんじゃ)  1





 6月15日

 信貴山の紫陽花を見に行く。

 帰り道、【薬隆寺八幡神社】の矢印を見つけ、気の向くままにそちらの方向へ。

 田畑が多く、複数の農家の方が玉葱を収穫されていた。

 農道を走り抜けると、石段の参道が見える。

 石段を昇ると、大きな杉の木。

 樹齢500年。

 三室?から神社を移動された時に植樹されたと、この土地の由緒正しき姓の男性に教えていただいた。











 


 階段の昇り切ると、石の鳥居。

 鳥居を入って 奥の の石段を昇ると、本殿。 

 石段の右すぐ側にある情緒ある社は、浅間神社です。 

 本殿と浅間神社については、次回 記録したいと思います。


 



 鳥居を入ってすぐ右の見晴らしのようところには、伊勢神宮 遥拝所(ようはいじょ)がありました。

 大辞林によると【遥拝】とは、遠くへだたった所から拝むことと、あります。






 薬隆寺八幡神社では、石に向かって遥拝すると、お伊勢さんに行ったのと同じ意味になるようです。

 
   

   【さえずりに あしのはずみて 百度ふむ     喜美女】





   




       薬隆寺八幡神社

       奈良県生駒郡三郷町勢野2丁目4
 
       後祭神 誉田別命 (ほんだわけのみこと)



 由 緒


 祭神は誉田別命。

 旧村社。

 東方にあった薬隆寺の鎮守であったと思われる。

 国指定重要文化財の本殿は一間社春日造・桧皮葺で、解体修理の際に永正十一年(1514)の棟木銘が発見された。

 薬隆寺は寛永九年(1632)の興福寺末寺調(興福寺文書)に信貴山寺末寺、「大和志」に「薬隆寺(東勢野薬隆寺邑)」と記すが、その後廃絶。

 同寺の仏像と伝える薬師如来像が客仏として現三郷町の融通念仏宗勢谷寺に安置される。

 神社の東ノ座中では、もと薬隆寺にあったという地蔵菩薩・来迎阿弥陀三尊・阿弥陀如来画像を保存しており、三月三日三仏画を懸けて神事を行う。



   


 おつきあい下さいまして、ありがとうございます。



   











コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  | トップ | 薬隆寺八幡神社 2 「浅間神... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お伊勢さん (pinky)
2011-06-19 22:53:25
Ranchoさん、こんばんは!

紫陽花を見に行かれた帰り道の八幡様ですか。
いいですね~。

近くを歩かれていた方が解説してくださったのも
Ranchoさんのお人柄からでしょうね。
土地の方と触れ合うのも旅の楽しみのひとつです。

ところで、お伊勢さんにお参りしたことになる
遥拝所があるのですね。
先日、一緒に追い狭いりをした友人の
おばあさまは、丹波の西から歩いてお伊勢参りに行かれたそうです。
途中、峠を越えるとき自分の住む村を振り返り
もう二度と見られないかもしれないと
涙が出たと言っていたという話を聞きました。
命がけの旅だったのですね。
命を掛けてもお参りしたいお伊勢さんだったということでしょうか。
お参りをしたと同じ価値がある場所があることは
その地域の人の誇りでもあったことでしょう。

辛いはずのお百度参りの足取りも軽くなったという句でしょうか。

今日も素敵な日本の風景の紹介をありがとうございました。
返信する
お伊勢さん (Rancho)
2011-06-20 10:16:20
 pinkyさん、おはようございま~す☆(*^^*)☆
 そうなんです☆信貴山に紫陽花を見に行ったのですが、まだ、色づいていませんでした♫山はきれいでした(*^-^*)(嬉)

 ここの八幡様ははじめてでした。全く知らずに行ったのですが、立派な絵馬があり、人も優しく、好きになりました。それで、記録しています(^^)pinkyさん、見て下さいましてありがとうございます!感謝感謝です☆

 石を拝むと言うのはものすごーーく古くからあるようで、興味深いですね。お伊勢さんにお参りしたことになる遥拝所と、富士山に登ったことになる浅間神社があり、古くから地域と密着した神社なんだなぁと感じました☆
 全国にこういった対象は多いでしょう^^ネ
 四国は八十八ヶ所巡りも、石を踏むと言う形で、全国に多くありますね。奈良県内の知っているだけでも複数箇所あって、お金持ちなどは個人で作られていたり…人が生きるって楽しいなと感じます(*^D^*)

 pinkyさん
 貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございます!
【峠を越えるとき自分の住む村を振り返り
もう二度と見られないかもしれないと涙が出た】という話、感動しちゃいました^^
 昔は伊勢参りも富士信仰も八十八ヶ所巡りも相当の覚悟と物理的用意が必要で、命がけだったのでしょね。
 お札を持っていってもらうと自分も参ったことになるとか、お土産をいただくと自分も行ったことになるとか、いろいろ言い伝えられていますね☆
 おひがしの発祥(言い伝えの一つですが…)を見ても、伊勢参りの当時の様子が伺えるようです。
 私たち女性には無関係ですが、こういったお参りや 山の修行の後には下山麓などで精進落し(失礼)があったのだそうです。面白いものですね。

 奈良の方に聞いたのですが、つい最近(おそらく40
~50年くらい前)まで奈良からお伊勢さんには数年に一度(?)、石などの奉納があリ、実際に運ばれたそうです。奈良からお伊勢さんまで歩いて石を運ぶのは大変なことだったでしょう。(*^v^*)
 今の私たちには、想像がつきませんね(*^-^*)
 
 pinkyさん
 嬉しいコメントをありがとうございます☆
 感謝感謝です♬
返信する

コメントを投稿

民俗考・伝承・講演」カテゴリの最新記事