乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

今日は、本来なら祇園祭巡行の予定でした・・・・・(2019年巡行と、宵山の祇園祭 綾傘鉾 棒振り囃子)

2020-07-17 | 神社仏閣・祭り

 写真は2013年7月17日 綾傘鉾 棒踊り 

 

 

 コロナの影響で、祇園祭の巡行は中止された。

 幼い頃、毎年父に連れたれて楽しんだ、祇園祭。

 

 綾傘鉾の棒振り踊りも、その所作は厄払いと言われている。

 棒にせよ杖にせよ、これらには魔力があると柳田國男氏が記されている。

 

 祇園祭  長刀鉾の音曲は、若干能楽のカケリ部分に似ているような気がしないでもない。

 慣れ親しんだリズムに合わせて体を動かし、ユーチューブを楽しんでいた。

 

 

 綾傘鉾 棒振り囃子 2019年7月17日naponapo111様からお借りしました、ありがとうございます。

 

 祇園祭 綾傘鉾 棒振り囃子 (2019/7/16)  

 【聞いて学べる京都セミナー】(5) 「祇園祭 前祭山鉾巡行&神幸祭」

 2019/7/17をお借りしました。ありがとうございます。

 

   

 

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仮名手本胸之鏡 上 6  四丁裏 五丁表

2020-07-17 | 山東京傳

仮名手本胸之鏡 上 6  四丁裏 五丁表

早稲田大学所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01505/

仮名手本胸之鏡 上

山東京伝 作

歌川豊国 画

早稲田大学デジタル図書

通油町(江戸)  [蔦屋重三郎]

寛政11 [1799]

黄表紙

仮名手本胸之鏡 上 6  四丁裏 五丁表

 

 

 四丁裏上 立ち姿の女の持つ「堪忍」の袋(画)から出た言葉

      堪 忍

四丁裏上

人のいつしやう、まもる

べきものハ、かんにんの

二字なり、ものにかん

にんををせざれバ、ばんじ

につけて、そのみにわざ

わひ、おほしたとへバ

わがみ一てふのいかりに

のりて、かんにんぶくろを

きり、人をあやめるハわが心に

じやねんのてがはへて、

わがみをがいすがごとし、

ゆへにかんにんの忍(にん)の

しハ心のうへに

やいばと

いふもんじ

をかく

なり

かへす

/″\も

やぶるまじ

きハかん

にんの

なり

      堪 忍 は逃げていく 

 

 

    四丁裏上 「堪忍」の袋を持つ立ち姿の女の言葉(画)

   「これハいかな

    こと、かんにん

    ぶくろのをが

    きれました、   

 

  四丁裏中 に喉を掻っ切られ、立ちすくんだ男の言葉

 「かんにんふく

  ろのをが

  きれけれバ

  いまゝでみを

  まもりたる、かん

  にんども、いづくけか

  たちたる

 

      四丁裏中 心に喉を掻っ切られる男は錨(いかり)に乗って立ちすくんでいる

    いかりに

    のつてハ

    こゝろの

    おちつかぬ

    ものじや

    あゝめが

    まふ/\

 

 

五丁表 吉良上野介に切りつける浅野内匠頭を思い浮かべる姿を写す鏡の文字

     は   の かゞみ

     破忍之鏡

  

 

    五丁表下

    かんにん袋をきりて

    いへをうしなひ、みをほろ

    ぼすこと、此かゞみにうつす

    きやうげんのごとし

仮名手本胸之鏡 上 6  四丁裏 五丁表

右画 四丁裏

   歌舞伎『義経千本桜』「渡海屋」

   平知盛 (碇知盛(いかりとももり))を思い浮かべる^^

左画 五丁表 (鏡の中)

   歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』三段目松の廊下事件

   吉良上野介に切りつける浅野内匠頭を思い浮かべる^^

    かんにん袋をきりて

    いへをうしなひ、みをほろ

    ぼすこと、此かゞみにうつす

    きやうげんのごとし

 

仮名手本胸之鏡 上 6  四丁裏 五丁表

 

 

 四丁裏上 立ち姿の女の持つ「堪忍」の袋(画)から出た言葉

      堪 忍

四丁裏上

人の一生、守る

べきものは、堪忍の

二字なり、ものに堪

を押せざれば、万事

に付けて、その身に災い

多し、例えば

我が身一丁の錨(いかり)に

乗り手、堪忍袋を

切り、人を殺(あや)めるは、我が心に

邪念の手が生えて、

我が身を害すが如し、

故に堪忍の忍(にん)の

忍(し)は心の上に

刃と

云う文字

を書く

也、

返す

返すも

破るまじ

気は堪

なり

      堪 忍 は逃げていく 

 

 

    四丁裏上 「堪忍」の袋を持つ立ち姿の女の言葉(画)

   「これはいかな

    事、堪忍

    袋の尾が

    切れました、   

 

  四丁裏中 心に喉を掻っ切られ、立ちすくんだ男の言葉

 「堪忍袋

  の尾が

  切れければ

  今まで身を

  守りたる、堪

  忍ども、何處けか、

  たちたる

 

      四丁裏中 心に喉を掻っ切られる男は錨(いかり)に乗って立ちすくんでいる

    錨(いかり)に

    乗っては

    心の

    落ち付かぬ

    ものじや、

    あゝ、目が

    まうまう

 

 

五丁表 吉良上野介に切りつける浅野内匠頭を思い浮かべる姿を写す鏡の文字

     は (にん)  の かがみ

     破忍之鏡

  

 

    五丁表下

    堪忍袋を切りて

    家を失い、身を滅

    ぼす事、此鏡に写す

    狂言の如し

 

錨(画 いかり)

 怒り

破忍

 忍を破る

堪忍

 1 怒りを抑えて、人の過ちを許すこと。勘弁。「悪かった、堪忍してくれ」

 2 肉体的な痛みや苦しい境遇などをじっとこらえること。我慢すること。忍耐。

「且 (かつ) 力を尽し且―して時節を待つ可きなり」 福沢諭吉『学問の進め』

 

 

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仮名手本胸之鏡 上 5  三丁裏 四丁表

2020-07-17 | 疫病:疱瘡心得草 他

仮名手本胸之鏡 上 5  三丁裏 四丁表

早稲田大学所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01505/

仮名手本胸之鏡 上

山東京伝 作

歌川豊国 画

早稲田大学デジタル図書

通油町(江戸)  [蔦屋重三郎]

寛政11 [1799]

黄表紙

仮名手本胸之鏡 上 5  三丁裏 四丁表

三丁裏上

人のつゝしぶべきハ、よくのかハなり、

人おほくハ、よくのためにみをうし

のうなり、きん/″\ハたれも

ほしがる

ものにて

たつとき

ものなれ

ども、また

きん/″\の

ために

わきに

ひおこり、

人をかいする

こと、すくなからず、

みにあたわぬよくを

かハくなはだハくはだなは、だあるく

「いかにどぶにんそうなる

 ものも、かねのいくわう

 にてハ、たちまち わらふ

「いひつなりなるものへ

 うつしてみるときハ

いかほど、ぶにんそうなる

 ものもかねのいくわう

 にてハ、たちまちわらふ、

「いひつなりなものへ

 うつしてみるときハ

 いうほどみにくき

 おとこもいろおとこに

 みゆる、これみな、かねに

 まよふ人、ごくろなり

   

 

 三丁裏中

 ゐくりやう ゐくりやう ゐくりやう ゐくりやう

   ゐくりやう 画:小判人間(異形) ゐくりやう

 ゐくりやう ゐくりやう ゐくりやう ゐくりやう

 

 

   画:婆様  笑い

    わたくしがむすめ

    でござります

    とうぞ

    おめかけ

    られて

    くだ

    さり

    ませ

 

四丁表上

男女   徳差万左衛門

  奉公人

 

  四丁表下

  晋(しん)の魯嚢(ろほう)が銭神論(せんしんろん)に

  ぜにハあやふきをもやすからしむべし、

  心するもいかさ表むべしといへること

  あり、うべなるかな、きん/″\をもつて

  人をまどわし、いちめいにおよぶ

  べきわざハ、ひもしりぞくること

  此かゞみにうつすきやうげんの

  ごとし、人のりよくにまよふ

  こと、こゝをもつてさとるべし、

 

四丁表下 丸(鏡)の中に、役人と力持つものの利権、癒着の画の題

   りよくのかゞみ

   利欲の鏡

   

仮名手本胸之鏡 上 5  三丁裏 四丁表

三丁裏上

人の慎むべきは、欲の皮也、

人多くは、欲の為に身を失し

のう也、金銀は誰も

欲しがる

物にて

尊き

物なれ

ども、又

金銀の

為に

脇に

引き起こり、

人を回する

事、少なからず、

身にあたわぬ欲を

かわくはだはくはだなは、怠く

「如何にどぶ人相なる

 者も、金のいくおう

 にては、たちまち 笑う

「言いつなりなるものへ

 写してみる時は

 如何程、ぶにんそうなる

 者も金のいくおう

 にては、たちまち笑う、

「言いつなりな者へ

 写してみる時は

 言う程見にくき

 男も色男に

 見ゆる、これ皆、金に

 迷う人、ご苦労なり

   

 

 三丁裏中

   幾両   幾両   幾両   幾両

   幾両    画:小判人間(異形)  幾両

   幾両   幾両   幾両   幾両

 

 

   画:婆様  笑い

    私が娘

    でございます、

    とうぞ

    お目かけ(妾)

    られて

    下

    さり

    ませ

 

四丁表上

男女   徳差万左衛門

  奉公人

 

  四丁表下

  晋(しん)の魯嚢(ろほう)が銭神論(せんしんろん)に

  銭は危きをもやすからしむべし、

  心するもいかさしむべしと言える事

  有り、うべなる哉、金銀を以って

  人を惑わし、一命に及ぶ

  べき技は、ひもしりぞくる事

  此鏡に写す狂言の

  如し、人の利欲に迷う

  事、ここを以って悟るべし、

 

四丁表下 丸(鏡)の中に、役人と力持つものの利権、癒着の画の題

   りよくのかがみ

   利欲の鏡

   

 

だハるく

 怠く

かわくはだはくはだなは、

 、、、

どぶ人相

 どぶ(排水のために設けたみぞなどで、汚れた水がとかく淀(よど)みがちな(小さい)流れ。)

 人相

 ① 人の容貌。 「 -の悪い男」
 ② 顔面に表れた、その人の性質や運命。また、それによってその人の運命・吉凶などをうらなうこと。 「 -を見る」 「相人にてよく-するおぼえありき/愚管 5」
 ③ 近世、遊里で客のふところ具合をうらなうこと。 「一もの前やふたもの前おくれたとて-することはねえ/洒落本・玉の幉」
 
ゐくりやう(幾両)
 
 いくら?と、問うている。
 
晋(しん)
 ①周代の侯国 前1106〜前376
 ②六朝時代の統一王朝
 ③五代の王朝の一国 936〜946
山西が中心。周の武王の孫,燮 (しよう) のとき晋と称した。前7世紀後半,文公が春秋の五覇のひとりに数えられたが,権臣の韓・魏・趙 (ちよう) (三晋)に滅ぼされた。
西晋(265〜316)と東晋(317〜420)からなる。西晋は三国の魏の権臣司馬炎(武帝)が魏を滅ぼして建てた国。ついで呉を滅ぼして天下を統一(280),洛陽に都し,占田法を施行するなど治績があがったが,八王の乱と五胡の侵入によって衰え,匈奴 (きようど) の劉曜 (りゆうよう) に滅ぼされた。東晋は一族の司馬睿 (しばえい) (元帝)が江南に移り,建業 (けんぎよう) (現在の南京)に建てた国。淝水 (ひすい) の戦い(383)で前秦の苻堅 (ふけん) を破って江南を確保し,華北から移住してきた貴族と土着の豪族の上に政権の基礎をおき,流民の処置にからんで土断法をしいた。貴族文化が栄え清談が流行したが,宋の劉裕 (りゆうゆう) に滅ぼされた。
通称後晋 (こうしん) または石晋 (せきしん) 。石敬瑭 (せきけいとう) が遼 (りよう) の助けをかりて建国。遼に滅ぼされた。
 
魯嚢(ろほう)
〔魯褒ろほうが「銭神論」を著して「人が孔方(=銭)に親しむさまは、まるで兄に親しむのと同じようだ」といったという「晋書魯褒伝」の記事より〕
 銭ぜにの異名。孔方。
 
銭神論(せんしんろん)
 中国,西晋の風刺文学。魯褒の著。司空公子,き母先生という架空の人物の問答を通じて,銭がこの世のなかで万能であることを皮肉な調子で述べたもの。
 
 
 

 

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