2013年5月2日
去年は雨で行われませんでした式衆・稚児などによる練り行列ですが、今年は転向に恵まれることができ、夫とふたりで楽しませて頂きました。
まずは、おととしの行列の様子です。 ↓
東大寺 聖武天皇祭 「式衆・稚児による練り行列」1 先駈、道楽を奏でる楽人・稚児(14景)
東大寺 聖武天皇祭「式衆・稚児による練り行列」2 物詣女・小野小町・ミス奈良・聖武講役員(写真12景)
東大寺 聖武天皇祭「式衆・稚児による練り行列」3 僧兵・会奉行・式衆・華厳宗管長・侍僧(18景)
ここから下は今年の行列です。
写真をほとんど撮らず、申し訳ございません。
かろうじて写したものをのせますので、見て下されば嬉しいです。
僧兵の方々をおおく写しております。
複数の絵巻物では、僧兵の方々が寺の前で左右に別れて討論(けんか)している場面を多く見かけます。
そんな時の台詞をご紹介いたしましょう
僧兵 左右に分かれ
寺
尤 尤 尤 尤 尤
尤 尤 尤 尤 尤尤尤
尤尤尤尤 尤尤 尤
寺は門前、「尤」と叫んでいるのは僧兵姿が凛々しい集団です。
「尤」は「そうだ」という意味ですから、宗派?によって「そうだ」「そうだ」と言い争っていることになります。
傘持ちの方たちは、奈良の某学園生。
なつかしくて、親しみがわいてまいります。
お勉強も傘持ちもがんばってね!
と内心応援しておりました(*^ー^*)
この行列の途中には舞楽が有り、祭典(神事)が無事終わったあとには鏡池で東大寺慶讚能が行われました。
「奈良の大仏さま」として知られる東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)は、今から1250年前の奈良時代に、聖武(しょうむ)天皇、良弁(ろうべん)僧正、行基菩薩などをはじめとして、多くの人々の力の結集によって造顕された。
しかしこの盧舎那大仏造顕という国を挙げての難事業は、「若し朕が時に造り了るを得ざるあらば来世に於て身を改めて猶作らん」とまで述べられ、また自らを「三宝(”さんぼう”、或いは”みほとけ”)の奴(やっこ)と仕えまつる天皇(すめらみこと)」とさえ称された、聖武天皇の熱意と信仰心が原動力となってはじめて可能であったともいえる。
この法要は、 天平勝宝 8年(756) 56歳で崩御された聖武天皇の御忌法要で、8時から、聖武天皇をおまつりしている天皇殿で論議法要が行われる(11時半頃まで)。
この法要中に限り、日ごろは公開されていない天皇殿を参拝することが出来る(南大門を越えてすぐの大仏殿参道東側、勅使門より入って突き当たり。ただし法要中なので建物の中へは入れません。無料)。
また、13時から式衆・稚児などによる練り行列が行なわれる。
行列は奈良県新公会堂を出発し、南大門を経て参道を大仏殿に向かう。