乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

妖怪画談 / 水木しげる

2006-07-13 | 読書全般(古典など以外の一般書)
妖怪画談 / 水木しげる




      著者    水木しげる

      1992年7月20日  第1刷
     
      岩波書店

      岩波新書(新赤本)238

      850円(本体825円)





 水木しげるの画が中心で、文は説明程度にとどめられていた。

 鬼太郎も出てきました…

 12,13ページの田県神社は少し行ってみたい気もいたします。

 理由?

   それは…
 
     内緒です。

 


コメント (2)
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永遠(towa)の語らい / Um Filme Falado 

2006-07-13 | 映画
永遠(towa)の語らい

   Um Filme Falado 






       満足度   ★★★★☆

       感動度   ★★☆☆☆








        2003年

        ポルトガル・フランス・イタリア 

        1時間35分

        監督・脚本・台詞  マノエル・ド・オリヴェイラ 

            キャスト  レオノール・シルヴェイラ
                  フィリパ・ド・アルメイダ
                  ジョン・マルコヴィッチ
                  カトリーヌ・ドヌーヴ
                  ステファニア・サンドレッリ
                  イレーネ・パパス     








 ポルトガル人の母子ローザ=マリア(レオノール・シルヴェイラ)とマリア=ジョアナ(フィリパ・ド・アルメイダ)は、パイロットであるローザ=マリアの夫と落ち合うボンベイに向かう。

 歴史学者のローザは自分の目で各地を確かめたい思いから、地中海を渡る船に乗った。
 
 ローザは停泊する各地で娘に史跡を丹念に説明。




 マルセイユでは夫と同じ名前の魚屋(ミシェル・ルプラノ・ディ・スブラリオーネ)と出会い、ポンペイでは噴火により埋もれた文明を観る。

 ポンペイでの世界一といわれるモザイクの『狂犬注意』は、後々の物語の導きともいえよう。

 アクロポリスでは演劇を研究するギリシア正教の神父(ニコス・ハツォプーロス)に導かれてアクロポリスやディオニソス劇場を巡った。

 マリア=ジョアナは母の言葉にじっと耳を傾け、素朴な疑問を投げかけてくる。まるで自らの知識を吸収させるように、ローザ=マリアはゆっくりとその言葉に応えていった。




 各地を訪れ、共通点が二点。

 全てが最後は破壊の一途をたどっていることと、ローザがポルトガル人であるがためにどこのヨーロッパにも所属せずに、孤独感を味わうがために優位な立場を保とうと、各人各国各ガイドを小ばかにした冷ややかなまなざし。







 そんな彼女の心理状態に気づいた船長。

 彼はアメリカ人であるジョン・ワレサ船長。

 ポルトガルである彼女を含めて、ヨーロッパをまとめようとする。





 晩餐のあと、は船長に声をかけられた。

 船長は片言のポルトガル語を使って挨拶し、娘は好感を持つ。

 全員異なる言語のヨーロッパ三女性の中にマリアを誘う。

 実業家はフランス語、元モデルははイタリア語を、女優兼歌手はギリシア語。

 マリアは「娘とふたりで過ごしたいから」とやんわりと断る。







 たまたまベンチにいた三人は少し見下した視線を彼女に投げかける。

 この映画では、ポルトガルの位置を明確に示す。

 





 船旅はヨーロッパを出てイスラム圏に差し掛かる。

 親子はここで始めて娘の服を買い、着替えさせる。

 一方船長は女のこのために人形を買い求める。

 親子と船長はバザールから言えば目と鼻の先であるはずなのに、ここでもすれ違いを起こす




 夕食の時、船長は子どもへのプレゼントといって、自分のテーブルに半ば強引に進める。

 人形を手渡され、喜ぶ女の子。

 家族に恵まれない三人はそんな親子を複雑な思い出みつめ語る。

 しかし地位も名誉もある彼女たちは、露骨ないやみは言わない。



 

 マリアはそんな彼女たちの気持ちも考えず、夫自慢などを話し出す。

 ただ、今までは各国言葉で自由に話し合っていた彼女たちは、マリア同席によって英語に変える。








 船長はその場の空気を察し、女優兼歌手でギリシア神の女性に、
「古い歌を…」
と勧める。

 女性はしんみりと歌う。

 唄い続ける…



 途中船員が船長に連絡に来る。

 女性はしんみりと唄い続ける…


 
 緊急事態の様子で、船長は席をはずす。

 女性はしんみりと唄い続ける…




 女の子だけがマリアに尋ねる。
「千兆三はどうしたの?」

 女性はしんみりと唄い続ける…




 そして…

 舟に時限爆弾が仕掛けられたことを知らされる。




 あわてる乗客。

 直ちに部屋に戻り、救命装置をつけ甲板に出て船から脱出するという支持が下される。



 親子も同様、救命装置をつけ甲板に出酔うとしていた。

 人ごみの中、女の子はみんなとは逆流して部屋に戻る。

 船長からもらった人形を忘れてしまい、そてをとりに行く為に…



 母のマリアは急がせる。

 急いで甲板に駆け上がって、二人は愕然とする。

 予備のみんなを乗せた船はすでに出た後…






 船長の顔のアップ。





 船長は、
「船を戻せ。」
「時間が間に合いません」



「飛び込め!飛び込むんだ!!!」
叫びながら、彼は海に飛び込もうとする。



 そして…

 本船は二人を乗せたまま爆発。




 船長の顔のアップ。

 ここで初めて、ジョン・マルコヴィッチ特有の表情で幕を閉じる。







 興味深いのは中立役の船長以外の顔はぼやかせて映さない。





 あくまでも<全てが最後には破壊の一途をたどった運命の諸国を訪れた、孤立したポルトガル人の親子の非運的立場。

 ふとしたことから大きな出来事(歴史)に巻き込まれた皮肉な運命の一線上の人間(親子)を描いた深い映画でした。

 ポルトガルとは日本人にはなじみがないほどに、ヨーロッパから閉ざされた位置にありました。
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王は踊る / LE ROI DANSE

2006-07-13 | 映画

     王は踊る

      LE ROI DANSE







        満足度    ★★★★★

        感動度    ★★★☆☆

        俳優の素適度 ★★★★☆






        2000年  ベルギー・フランス・ドイツ

        原作   フィリップ・ボサン
                『リュリ、もしくは太陽の音楽家』より

        キャスト
            ブノワ・マジメル
            ボリス・テラル
            チェッキー・カリョ
            コレット・エマニュエル
            セシール・ボワ





 実話に基づいた作品。

 一見絢爛豪華だが、重厚へ気品があふれた秀作。





 バロック音楽に合わせて若い王がリュリの音楽に合わせて、美しく可憐に踊る。

 



 話はベッドに横たわるリュリの回想から始まります。

 年老いた彼は追うの来ない室内音楽を指揮し、居らダリを抑えきれずに、槍のような杖のような指揮棒で荒々しく床をつき、自分の足を刺してしまいます。

 彼は破傷風になり、足を切らねば死ぬと宣告されますが、
「この脚は嘔吐踊った大切な脚。切るわけにはいかない。」
と、周りを困らせます


 そしてここから、若き日の思い出のの回想が始まるのです。






 イタリア人のリュリは心底したい愛するフランスの国王であるルイ14世のために、志の高いバレエ音楽を創作。

 王もフランスの為また王たる威厳、自分が自分自身である人間らしさを保つためにリュリの曲に合わせて踊る。

 そのバロック音楽の調べは人間の血液の流れをやや早くしたテンポの良さで心地が良い。

 私はバロック音楽も好きな尾で、かなりリズム仁乗りながら、この映画を楽しんでいました。




 若き王のために合計3,000曲余の曲ををつくり、一生と彼の精神を尽くす。


 リュリの王に対する愛情、芸術に対する信念、しきたりや宗教の矛盾に対するジレンマを表に出せない苦悩、彼の根本的男色、彼のイタリア人であるが故のコンプレックスとフランスへの憧れ、フランス人のイタリアに対する差別感、解雇及びイタリア強制返還に対する恐怖、表面上婚礼を挙げた妻に対する愛情のなさに対しての後ろめたさ、モリエールとの共感と行き違い…


 彼の苦悩は王室に従事する限り付きまとうのですが、王と芸術に対する愛に支えられて、作曲を続ける。


 



 5歳で王になったルイは、実権を母親や宰相たちに握られ、形ばかりの王。

 ルイに与えられた喜びは、踊ることとギターを弾くくらいのこと。

 類はいつしかバレエや音楽といった芸術で、フランスをまとめようという野望に燃える。




 ダンスそのものはかなり上手いとはいいがたいシーンもわざと作られていましたが、気持ちの良い踊りでした。

 ダンス部分は吹き替えらしいのですが、完璧な踊りでないところがまた、心憎いですね。

 ルイを太陽のように崇めたたえてつくった作品は見事で、彼自身の存在に芸術性を感じる。
 全身を70年代のアングラ劇のように金粉を刷くし、まじめに正面を向いて踊る姿は美しい。





 一端王の心は離れるものの、リュイの芸術の説得力にほだされ、ルイはまた、芸術性を求めたフランスオペラを志します。


 その一方リュイからみるならば、芸術論や社会批判を目指し語り合っていたモリエールは、今では観客を笑わせるだけの堕落した舞台に成り下がった金儲け主義の彼を裏切り、真のフランス芸術を目指そうとします。








 モリエールは舞台の上で自分の信念に基づいて喜劇を続け、その舞台で喀血し、
「とうとうお迎えが来たようだ…」
と静かに息を引き取ります。


 その顔は自分の仕事を着実に置かれた立場でこなしてきたという満足感に満ちていたように思います。

 死に行くモリエールがこれほどまでに美しく感じたのは、彼の仕事の功績と、役者の演技力によるものではないのでしょうか…





 色々な回想にさいなまされて、場面はリュイの寝室に戻ります。





 彼は思い出深い足、また今となっては抜け殻と化した精神苦から開放されるべく、脚を切り落とすことを強引に拒んだようです。





 妻は駆けつけたオペラ歌手であり姪である愛人仁向かって、
「間に合ってよかった。さっきから、嘔吐、モリエールの名ばかりを読んでいるのよ。」
と悲しく伏せ目がちに伝えます。

 姪は、
「本当に愛してらっしゃったのですね。」

 妻は床を離れ、姪は彼の元に駆け寄ります。

 そして、彼は息を引き取ります。





 一方王は、最近ではリュイの音楽に足を運ばなくなっていたにもかかわらず、音楽が始まる定刻に、窓に向かってつぶやきます。

「今日は音楽は始まらないなぁ…」

 王は僕を連れていつものように録かを静かに立ち去ります。










 ここで忘れてはならないのが…

 リュイ役のボリス・テラル。

 中世のバロック音が訓作曲家役なのですが、彼がとてつもなく美しい。

 衣装とヘア・スタイルがとても似合っていました。

 昔の作曲家はカツラをかぶっていたようですが、モーツアルトにしても他の作曲家にしても、両脇がくるくるよ回っていて、まるで名古屋巻きの変形のようなヘアスタイルが多い。

 ところが…

 リュイのヘア・スタイルはまるで70年代前半のハード・ロックのアーティストのようなかっこよさ。

 ロンゲでくるくる細かいウエーブでまるでクイーンや83年のボンジョビをみているよう。

 目元もくるくるしていて、男前で愛くるしい。

 とてもかわいらしい彼に見入ってしまったのであります。
 
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