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八代将軍吉宗が目安箱設置 享保6年(1721)

2011-06-08 10:41:58 | 歴史隠れ話

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2006年08月02日




八代将軍吉宗が目安箱設置 享保6年(1721)

目安箱というのは、庶民が不満や要望を直接将軍である吉宗に直訴できるという、それまでには考えられなかったシステムである。この目安箱は、将軍吉宗自らの発案で、江戸城竜ノ口評定所の門前の腰掛の上に置かれた。いわゆる「享保の改革」の一つである。

多くの庶民がここぞとばかり、不満や要望をどしどし投書しただろうと思ってしまうが、実は投書にも決まりがあって、何でもかんでも投書するわけにはいかなかった。

決まりというのは、まず第一に「政治に役立つと考えられる意見を投書する」こと。ただ「あれが嫌、これが嫌」と不満だけを書いてもダメなのだ。また、第二に「役人などの悪事・不正の通報」、第三に「訴えたはずなのに、そのまま何も変わらず、放置されている場合の通報」。しかし、投書の際は住所と氏名を明記することになっており、役人の不正通報などの告げ口は、人によっては尻込みしてしまいそうである。

とはいえ、目安箱は錠をかけたまま将軍・吉宗の前まで運ばれ、そこで開錠。必ず吉宗が最初に目を通すことになっていたというから、吉宗なりに庶民のことを考えたシステムであったようだ。(ただし、決まりを守らない投書は全て焼却されることになっていた。)

他にも目安箱は、毎月、2日、11日、21日の3日間のみ設置されることになっており、武士の投書は禁止されていたりしたが、投書を活かした改革もいくつか行われている。その代表的なものとしては小石川養生所の設置が挙げられるであろう。

養生所の設置についての懸案を投書したのは、江戸小石川伝通院前で町医者をしていた小川笙船という人物であった。彼は、江戸にいる身寄りのない人や貧困者のための医療施設を建てたいと考えたが、自分だけの力ではどうにもならず、目安箱へ投書したのである。

この投書を見た吉宗は、さっそく意見を取り上げ、町奉行大岡越前(忠相)に設置の検討をするよう命じた。大岡越前は、投書した小川笙船と何度か話し合いながら、計画を進め、ついに小石川養生所の開設に至ったのである。

他にも、江戸は火事が多いので、街割りごとに江戸市中の防火方針を定めたり、上総と下総に新田開発可能な土地があるということで、さっそく調べさせてそれを発見し、新田開発にとりかかったというような例もある。また、目安箱は「庶民の意見を聞く」というもともとの目的以外にも役立っている。役人たちが「庶民に自分のことを投書されたら処罰されてしまう」と恐れていたらしい。つまり綱紀粛正に役立っていたわけである。

しかし、目安箱の設置で必ずしも庶民の不満が取り除かれたわけではなく、設置当初こそ採用されるような建設的な意見もあったが、以降はあまりいい意見は挙がらなかったようである。しかし、制度自体はその後も続けられ、京都、大坂、駿府、甲府などにも目安箱が置かれていた。

ちなみに目安箱は、吉宗が和歌山藩主だった時代にも和歌山城の門前に置かれていたという史料もあるが、これは事実かどうか疑わしいという。


※写真は『吉宗と享保の改革』。「享保の改革」と将軍吉宗がよくわかる入門編としても適当な本です。エピソードまじりでそれなりに読みやすいですよ。

※目安箱については、やはり研究本『目安箱の研究』です。かなり細かく研究されています。使用史料も豊富。クソ高いので、目安箱にかなり興味のある人向きかもしれないですが、全部通しで読んでみたい本ではありますね。(私はパラパラ立ち読みしただけです…。)


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(キーワード)

●享保の改革(きょうほうのかいかく)

江戸徳川幕府八代将軍、吉宗が行った改革。
年貢の取り立て法を検見法から、定免法に改め、目安箱の設置や、足し高の制の制定、上米の制、また、公事方御定書を作らせるなど、新感覚の政治に富んでいた。
この改革は吉宗自身の質素倹約の志も功を奏し、一時的に幕府の財政の建てなおしに成功した。


(まめちしき)

●定免法(じょうめんほう)

年貢の取り立て方の一種。江戸時代に用いられた。
一定の率を決めて、毎年、その分だけ取り立てるということ。例えば、年貢率を4割とすると、その年にとれた米のうち4割を年貢として納める。豊作の年は例年並の年より、多く農民の所に残るってことだね。これが、検見法だと、その年の豊作・不作によって、年貢率が変わるのだ。ちなみに定免法の場合、不作の場合も、年貢率は一定なの?という疑問が出るが、不作の場合は貸し付けを行ったりするので、心配はいらないらしい。
でも、その場合は、もともと貧しい人たちには、やはり重税となるってこと…?…合掌。


●足高の制(たしだかのせい)

享保の改革の政策のうちの一つ。能力のあるものならば、その身分よりも高い職でも与え、その職についている間は給料もあがるよ、という制度。
幕府の役職につくには、能力もそうだが、ある程度の地位が必要で、そのために、能力のあるものが、高い地位につけないような事態もあったため、これの改善を狙った。これも概ねは成功したといえ、町奉行の大岡越前守忠相も、この足し高の制で、取り立てられたクチ。


●上米の制(あげまいのせい)

享保の改革の政策のうちの一つ。幕府が米不足のために、一万石以上の各大名に百石の米の差出を命じた政策。代わりに、参勤交代の江戸在府期間が半年になる。
多少おいしいだろうが、江戸まで行き来するための交通費は、今まで通りにかかるので、手放しで喜んでいる場合ではない。どうせなら、「江戸にこなくてもいい!」、とか「交通費支給!」の方がウケがよかったかもしれない。


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目安箱は、最初は「訴状箱」と呼ばれていたそうですね。そのまんま…。あまりにひねりのない名前…。「訴状箱」だと、役人の不正の告げ口はしづらさがアップするなあ。だから「目安箱」なんていう当たり障りのない名前に変えたのかな…。

吉宗の改革は、成果のないものもあったそうですが、結果的には傾きかけた幕府財政を一時的にとはいえ立て直したそうです。この将軍様自らの「質素倹約」の志…。この志を赤坂にドカンとでかい議員宿舎建てて、家賃6~7万で入ろうとしている国会議員に特に見習っていただきたいですな。内閣府のHPにメールで投書しよかな…。


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