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マッカーサーが占領軍として来日 昭和20年(1945)

2011-06-14 19:54:52 | 歴史隠れ話


歴史かくれ話と今日は何の日


2006年08月30日


マッカーサーが占領軍として来日 昭和20年(1945)

ダグラス・マッカーサーは、米陸軍元帥。太平洋戦争開戦時は、極東軍司令官としてフィリピンにいた。
日本は開戦間もなくシンガポール上陸作戦を中心とする南方作戦を展開。マッカーサーはこれの撃滅にあたったが、マッカーサーの軍は訓練の行き届いていない兵が多く、一週間足らずでマッカーサーはマニラから兵を引き、オーストラリアに退くことになる。

この際に、言い残した「アイ・シャル・リターン(私は再び戻ってくる)」という言葉はあまりにも有名で、実際、マッカーサーは昭和19年(1944)にフィリピンを奪回している。

終戦後は連合国軍最高司令官として、昭和20年(1945)のこの日、厚木基地に降り立った。この後、占領軍はおよそ40万人が来日して、マッカーサーの指導のもと、占領政策を実行していく。

まず、9月17日に東京日比谷の第一生命ビルに連合国軍総司令官総司令部(GHQ)を置いたマッカーサーは、日本の「非軍事化」と「民主化」に主眼を置いて占領政策を進めた。そして9月27日にはアメリカ大使館で昭和天皇の訪問を受け、この場で天皇の「先の戦争の全責任を負う。」という発言に深く感銘を受けた。

当時は連合国からは「天皇の戦争責任を追及すべきだ」という声があがっていたが、マッカーサーは、それらの声に反して「天皇制の維持」を掲げて、その後も天皇陛下に占領政策についての意見や助言を求めたのである。ちなみにこの会談の時の記念写真が、有名なマッカーサーと昭和天皇が並んで撮影されている写真である。
陛下は正装で直立であられるのに対し、マッカーサーは軍服姿で腰に手を当て力を抜いた格好で写っている。日本では、戦前、戦中は天皇陛下を現人神として奉っていたので、この写真は不敬であるとされたが、GHQはこれの掲載を許可したため、朝日新聞などがこれを掲載し、当時の人々もこの写真を目の当たりにしたという。

マッカーサーは憲法改正にも取り組み、また、時の首相・幣原喜重郎に、民主化のための五大改革指令を出した。また、極東国際軍事裁判(東京裁判)を開いて、戦犯の裁判を行ったり、農地改革に着手するなど、日本の復興にあたった。

※写真は『実録日本占領―GHQ日本改造の七年』。おなじみ歴史群像シリーズです。相変わらず写真や図も豊富で、解説も読みごたえあり。入門編には最適です。


※こちらはマッカーサーの占領政策は詳述した『マッカーサーの二千日』。上記の「日本占領」と合わせて読めば、占領政策について、マッカーサーについての理解もより深まります。


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(キーワード)

●連合国軍総司令官総司令部(れんごうこくぐんそうしれいかんそうしれいぶ)

通称GHQ(General Head quarters of the Supreme Commander for the Allied Powers)。東京日比谷の第一生命ビルに拠点が置かれた。最高司令官は米国陸軍元帥のダグラス=マッカーサー(のちリッジウェイが後任)。「連合国軍」の名を冠しているが、事実上はアメリカ合衆国の単独機関である。

GHQは、最高司令官のマッカーサーを中心として、高級調官にB=M=フィッチ、最高司令官軍事秘書にB=F=フェラーズを配し、参謀長にR=K=サザーランド、以下人事、情報、作戦、補給の各部、さらにその下に民政局や法務局など9つの局を置いた一つの組織で、通常は2千名のスタッフで構成されていたという(一時は6千人とも)。

基本的には占領政策を行うが、目的としているのは日本国の米国への隷属化ではなく、日本の民主化と非軍事化であった。ただし、はじめは連合国による日本の分割統治案も出ていたという(アメリカ、イギリス、ソ連、中国で日本を4分割して占領するというもの)。また、軍政統治案もあったというが、これも予算や準備期間の関係でお流れとなった。ただ、沖縄だけは米軍のアジアの拠点として、沖縄本島の20パーセントほどは今も米軍軍用地のままである。


●五大改革指令(ごだいかいかくしれい)

1945年10月に、連合国軍総司令官であるマッカーサー元帥が時の首相・幣原喜重郎を呼び出して、口頭で伝えた日本民主化のための方針指令。

「五大改革指令」だから、内容も5本の柱で成り立っている。
①婦人参政権の導入による婦人の解放、②労働組合の結成の奨励、③学校教育の自由主義化、④秘密警察などの全廃、⑤財閥、地主制度などを解体し、独占的な経済機構を民主化すること。
以上の5項目。戦後日本の方針はこの指令の中に集約されているといえる。ちなみに⑤については、この後大々的に財閥解体、農地改革が行われていくことになる。


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日本の民主主義化は連合国軍の方針で行われたというわけで、結局あの殺伐とした戦前の軍事国家時代からすっぱり足を洗えたのは、太平洋戦争で敗れたおかげともいえるんですかね。

私なんかは戦争とか嫌いですし、徴兵とかされて行きたくないですから、この流れは歓迎ですが、最近は多少秩序が乱れ始めてきたなあという気もしますね。毎月毎月未成年者の放火とか犯罪とか起こりまくってるしね。


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