日常

井上ひさし「この人から受け継ぐもの」

2011-03-27 23:35:18 | 
井上ひさしさんの「この人から受け継ぐもの」(岩波書店)を読んだ。
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内容紹介
多彩な文学作品と幅広い社会的発言を遺した作家、井上ひさし氏。
その深い関心対象となった人物をめぐる講演・評論を編む。
吉野作造の憲法観、宮沢賢治の生き方、丸山眞男の戦争責任論、そしてチエーホフの追求し続けた笑い・・・。
真摯でしかもユーモラスな同氏の胸の内が、小説・戯曲とは異なる直截な表現で率直に明かされる。
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井上ひさしさんが亡くなられたとき、テレビで特集をやっていた。
そのときに、サインを頼まれた時によく書くコトバというのがあって、


『むずかしいことをやさしく、
 やさしいことふかく、
 ふかいことをゆかいに、
 ゆかいなことをまじめに書くこと』

とよく書いていたとのこと。
この言葉が、すごく胸に響いた。


「この人から受け継ぐもの」という本には、同じ劇作家でもあるチェーホフへの深い愛情と深い尊敬がある。
村上春樹さんも、「1Q84」でチェーホフ『サハリン島』(買ったけどまだ読んでない)を引用していたので、チェーホフに関してはとても気になっていた。

アントン・チェーホフ(1860~1904年)は、ロシア生まれの医師かつ劇作家。結核で44歳の若さでなくなってしまった。
長編こそ小説だ!という当時のロシアの風潮に反して、短編小説というスタイルで革命を起こしたとされている。



チェーホフ
『風邪を引いても世界観は変わる。
 よって、世界観とは風邪の症状にすぎない』

という言葉は、養老孟司先生の「唯脳論」にも引用されてた気がする。


上のチェーホフの言葉はとても逆説的な言葉だと思う。
世界はありのままある。けれど、世界をどう観るか、世界「観」はその人次第。

自分がどんな状況であっても、貧しかろうと老いていこうとも病いになろうとも。いろんな何かを喪失しようとも。それこそ風邪をひこうとも。
まわりの環境がすべて変わってしまおうとも。
どんな状況でもつねに自分の世界観やコスモロジーをを保ち、同じコトバを発し続けることができのならば、それこそが自分にとっての「ほんとうのもの」だと思う。





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チェーホフ「三人姉妹」
『やがて時が来れば、どうしてこんなことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ。わからないことは何一つなくなるのよ。 
でもまだ当分は、こうして生きていかなければ・・ ただもう働かなくてはねぇ!』

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井上ひさし「この人から受け継ぐもの」
『チェーホフの時代の主調音は、流刑とテロと圧政と暴動である。落胆と絶望がその主旋律だった。 
その暗い時代にチェーホフはほがらかに現れ、笑劇や喜劇の方法でひとびとの心のうちに深くはいっていき、医療や学校建設の仕事を通してひとびとの願いを聞いた。

そしてチェーホフは、結局のところ、人間は生きる、ただそれだけのことなのだという真実を発見したのである。』

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『私としては、万人に通じ合う大切な人間の感情をたがいに共有し合って、他人の不幸を知っていながら知らんぷりをしないと説いたチェーホフを信じる。』

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『ユートピアとは別の場所の事ではなく、自分がいまいる場所のこと、そこをできるだけいいところにするしか、よりよく生きる方法はないという、チェーホフのことを信じるしかないのだ。』
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チェーホフの奥深い言葉には感じることが多い。
当時のロシアのように、テロと圧政と暴動が日々繰り返され、絶望と無力感にさいなまされようとも、笑顔でほがらかに生きていこうとする意思の力が好きだ。


自分の奥深くにダイレクトに到達してくるものに対して、
それを素直に受け入れることができるかどうかが第一段階、
その受け取ったものをこの複雑極まりない現実世界で実践できるかどうかが第二段階。  
ものごとは、そういう二段構えになっていると、ふと思う。 


チェーホフの言葉に対しても、素直に受け止め、それを現実世界でコツコツと実践することをしないといけないのかなと思う。


井上ひさしさんが受け継いだもの。
彼はすでに亡くなってしまったのだから、いま生きている人が引き継いで、さらにそれを引き継いでいかないといけないんだろう。


ひとりひとりの個体の寿命は有限であっても、「いのちの流れ」のようなものは永遠なのだと思う。
「流れ」は太古から未来永劫まで、続いている。
「流れ」はいろんなものに引き継がれながら、流れている。