日常

司馬遼太郎「十六の話」

2011-04-14 15:00:58 | 
司馬遼太郎「十六の話」(中公文庫)という本を読んだ。 

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二十一世紀に生きる人びとへの思いをこめて伝える「歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことども」。
山片蟠桃や緒方洪庵の美しい生涯、井筒俊彦氏・開高健氏の思想と文学、「華厳をめぐる話」など十六の文集。
新たに井筒俊彦氏との対談「二十世紀末の闇と光」を収録。
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司馬遼太郎が井筒俊彦さんを回想しながら書いている文章と、過去のふたりの対談が本に書かれている。

井筒俊彦先生は、イスラム学者・言語学者の先生。対談を読んで、ほんとにたまげる。 
司馬遼太郎自体も相当すごい人なはずなのに、司馬さんが「20人の天才がひとりになった人だ」と、井筒先生を心の底から尊敬していて恐縮しきりの様子が出てくる。
すべてのエピソードが超人的ですごい。

井筒先生は、『意識と本質―精神的東洋を索めて』(岩波文庫)『イスラーム文化-その根柢にあるもの』(岩波文庫)『コーラン』(岩波文庫)などを書かれている。
本の数こそ少ないものの、ひとつひとつが恐ろしく濃密。 桁違いに難しい事柄を、簡潔にして美しい文章で書かれている。

イスラム教の聖典であるコーランも、ほんとうはほかの言語に翻訳してはいけないとされていたけれど(アラビア語の原語で音読して読まないといけならしい)、「Izutsu、オマエナラ、ヤクシテモヨイ!」と、イスラム学者からお墨付きをもらった唯一の日本人ということで、和訳することを許されたらしい(というエピソードをどこかで聞いた)。


近代言語は簡単すぎて面白くないと言って、数十ヶ国語の古代言語と現代言語をあやつりながら原書をよみ、自分の頭で考え続けたのが、井筒俊彦という人だ。 


司馬遼太郎「十六の話」(中公文庫)に井筒先生のエピソードが出てくる。
古典アラビア語を日本で教える人がいなかったから、勉強したくて勉強したくてしょうがなくて、不忍池ほとりに住んでる100歳の仙人のようなな韃靼人(ダッタン人)に毎日教わりに行った話。
その先生から、「モウ、オマエニ オシエルコトハ ナイ」と言わしめて、つぎに全ての古典を暗唱して教えてくれる天才イスラム学者のタタール人を紹介されて教わる話も出てくる。
学問とはこうあるべきなのかと、思わず襟を正して読んでしまう。

この人に学びたいという個人的に尊敬する先生がいるから、そこで個人的なつながりを努力してつくり、頭を下げて敬意をもって、学ぶ。


そのイスラム学者も、金を持たずに世界を放浪するイスラムの大学者で、見知らぬ日本人の行為で、貸し家の押入れにタダで住ませてもらっているというエピソードにも、たまげた。


イスラムの学者は世界を漫遊する。 
その理由を井筒先生が聞くと
「神の不思議な創造の業を見るためだ。それがほんとうの体験知だ。 
本を読むのは2次的なものだ。
まず、生きた自然、人間を見て、神がいかに偉大なものを想像し給うたかを想像するのだ。」
と教わったとのこと。



その学者が井筒先生の本棚を見て、
「おまえみたいなのは本棚を背負う人間のカタツムリだ。 火事になったら勉強できないようなのは学者じゃない。 
何かを勉強したいなら、基礎テキストを全部頭の中にいれて、それを縦横無尽に働かせるようではないと、そんなのは学者でも何でもない」
と、言われたとのこと。


井筒先生自体もとんでもなくすごい人なのだけれど、その井筒先生に古典アラビア語を教えたタタール人も、仙人のようですごすぎてたまげた。



井筒先生の編集者が井筒先生を評してこう言っている。
「井筒先生は下品なということがかけらもない方です。 
上品という以外、申しあげようがありません。」

司馬遼太郎も
「人間とは何かということを、言語以前の深層で把握されて体系づけている方はこのような透きとおり方になるのか。」
と称している。


井筒先生のように(自分にとっては心理学者で故人の河合隼雄先生も同じような存在)、あらゆるものを突き抜けて宇宙の果ての高みのような場所から、あらゆるものを突き抜けて存在の底の底の深みのような場所から、この世界を優しく笑顔で見つめている人を思うと、自分の中の何かが大きく拡大され深められる気がする。
そして、その無限の広がりの中で、こころの余裕のようなものも生まれてきて、底知れないエネルギーのおこぼれを頂けるような気がする。 

そうして自分が変わるから、きっと、この現実やこの世界も変わっていくのだと思う。



井筒先生のエピソードは突き抜けていて、本当にいろいろと刺激を受けた。
なんだか、不思議と元気が出た。
自分は、ほんと甘いなぁと反省しつつ。
勉強したり仕事したりできる環境にいるだけで十分しあわせなのだから、ちゃんと真面目に勉強して、コツコツ真面目に真摯に生きていかないといかなぁと、改めて思ったのです。




P.S.
井筒先生は既に亡くなられてしまったお方(1914~1993年)なのだけれど、最近、慶應義塾大学出版会から、『アラビア哲学―回教哲学』『神秘哲学―ギリシアの部』『読むと書く―井筒俊彦エッセイ集』・・・などが遺稿として連続で発売されていることもあって、<特設サイト「井筒俊彦入門」>というのが慶應義塾大学出版会で開設されています。井筒先生に興味を持ったら、是非時間あるときにでもご覧ください。とんでもなくすごい人が日本にいたもんだと、きっとたまげると思います。  このサイトにある『二人のタタール人』というところにも、上で書いたエピソードが紹介されています。

このサイトから、井筒先生の紹介文をご紹介します。
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『井筒俊彦とは誰か?』
1914(大正3)年-1993(平成5)年東京都生まれ。
1931(昭和6)年、慶應義塾大学経済学部予科に入学。のち、西脇順三郎が教鞭をとる英文科へ転進。
1937(昭和12)年、同大学文学部英文科助手、1950(昭和25)年、同大学文学部助教授を経て、1954(昭和29)年、同大学文学部教授に就任。
1967(昭和42)年(-1982年まで)エラノス会議に正式講演者として参加。
1969(昭和44)年、カナダのマギル大学の教授、1975(昭和50)年、イラン王立哲学研究所教授を歴任。哲学的意味論における碩学として世界的評価を受ける。
1979(昭和54)年、イラン革命のためテヘランを去り、その後は日本に研究の場を移した。
1982(昭和57)年、日本学士院会員。同年、毎日出版文化賞、朝日賞受賞。
主な著訳書に、『神秘哲学』(1949年)『ロシア的人間』(1953年)翻訳『コーラン』(1957-58年)、『意識と本質』(1981年)。Language and Magic (1951年)をはじめ、英文著作も多数。

井筒俊彦は確かにイスラーム学の世界的碩学、日本人でありながら、イラン人に先んじて、テヘラン王立哲学研究所に迎えられたイスラーム学者だった。
イスラームの神秘家イブン・アラビーと老荘思想の研究、Sufism and TaoismーA Comparative Study of Key Philosophical Concepts をはじめとする著作は世界を驚かせた。
しかし、井筒俊彦は、自らイスラーム学者だと名乗ったことはない。

 30に迫る言語を理解した言語学者、ギリシア神話時代からプラトン、プロティノスまでを論じた『神秘哲学』の著者、屈指の19世紀のロシア文学論『ロシア的人間』の作者、若き日には自ら詩作し、詩人論を書く批評家、コーランを原典から全訳した最初の翻訳者、エラノスが彼を招聘したのは、哲学的意味論の専門家として、だった。

 主著は『意識と本質』である。そこで彼は、ユダヤ、ギリシア、中東、インド、中国、日本、さらにはヨーロッパに生まれながらも「東洋的主題」を生きた詩人、哲学者、宗教者たちを包含する「東洋哲学の共時的構造化」を試みた。
唯識論においてはアラヤ識の奥に「言語アラヤ識」を布置し、空海を論じながら、独自の意識/存在論的言語哲学を展開した。
ジャック・デリダは井筒俊彦を「巨匠」と呼んだと丸山圭三郎は伝えている。
『大乗起信論』における意識の形而上学を論じつつ、彼は逝った。「20人ぐらいの天才らが1人になっている」と司馬遼太郎は井筒俊彦の異能を表現している。
井筒は、自らを言語哲学者だといったことがある。しかし、そのとき彼がいった言語哲学とは、「言葉」の、ではなく「コトバ」の哲学である。

 『意識と本質』以降、井筒俊彦は、術語として「言葉」と「コトバ」を明確に使い分ける。
井筒俊彦のいう「コトバ」は言語学でいう言葉を包含しつつ、力動的に超越する。それは万物の根源的エネルギー。
個々の物質、精神、想念、人格に、意味と名前と実在を付与する働き。
密教の曼荼羅に示されるイマージュ、深層心理学でいう元型を決定するのも「コトバ」だと彼はいう。

 イブン・アラビーは、超越的絶対者を「存在」と呼び、自らの哲学を展開した。
『意識と本質』には「神のコトバ。より正確には、神であるコトバ」という記述もある。
ある講演で井筒俊彦はいった。「存在はコトバである」。
井筒俊彦の哲学は、いつもこの一節に帰ってくる。「コトバ」の神秘哲学者、彼をあえて一語で表現するとそうなりはなしないか。

 彼は、哲学者になることを運命づけられたところに生まれ、育ったのではなかった。
父親は文学を学ぼうとした息子を強く戒めた。
驚嘆すべき語学力、多次元を見据える哲学的洞察、詩の精神に裏打ちされた文章力、論理的思考に随伴する豊穣な創造的想像力。
彼は確かに異能に恵まれていたが、それを開花させるべく積み上げた営みは、さらに常人の想像を超えていたのである。

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