日常

新学期

2016-04-01 13:59:36 | 雑多
今日は4月1日。新学期。
学期末は本職の仕事が多く、なかなか個人の内省的な時間をとれないのが残念でならない。


新学期に、あたらしい人が入ってくるのはとても喜ばしい。
なぜなら、「初心」に帰るきっかけがつくられるから。それは個人の心の中でも、集団の心の中でも。

どんな人でも、すべてのジャンルにおいて最初は新人であり素人だった。
慣れてくると、その新鮮な気持ちは忘却し、失われる。適応とも慣れとも言える。
慣性と法則に従って日々を送ると、自分の本質からずれていっても、その微妙なズレに気づくことは難しい。
だからこそ、「初心」というホームポジションの地点から今いる地図を見返す必要がある。「初心」というのはそういうことだ。




人が成長する時、「こころ」や「意識」いう場所に、ある種の構造化が起きる。

いのち、というのは、不定形で混沌としたものに、ある種の秩序や構造を起こす現象のことを言うらしい。
水が氷になるように、いのちの運動の中では、必然的にある種の構造化が起こるようだ。

「こころ」や「意識」も、経験を素材として、感情を接着剤として、構造化が起きている。
それは自分の心の中に建築物を建てる作業に似ている。家をつくり、街をつくる。
家づくり、街づくりには個性が出る。



自分の心という場所は、いのちの営みの中で、おのずから構造化していくみたいだ。

ただ、人生の中で受け入れることができない状況に遭遇したとき、心の構造は、改変を求められることがある。
一部を建て増ししたり、室内の一部をリフォームしたり、そういう小手先だけで解決することもあるが、時には土台そのものからの抜本的なリフォームを必要とされる。

建築物も、土台が揺れてグラグラしていたら、上に何を立ててもさらに大きくグラグラ揺れていく。


ちなみに、仏教の本質は、自分の心(=体)を安定させることをすべての前提として求めていると思う。
なぜなら、内界の土台が揺れていれば、外界を適切に受け取ることができないからだ。
経典も言語も哲学も、ありのままに適切に受け取ることができなくなる。











そうして、いのちは、こころや意識を構造化し、壊し、改変していくことを繰り返す。
それは、春が来ると桜が咲き、桜はいづれ散り、また一年後に桜が咲く、というようなもの。
リズムや脈動の中で起きているものだ。



人のリズムは、宇宙のリズムを体の中へと内部化して構造化したものだと思う。

それは、内臓のような植物性臓器も同じ。植物原理を内部化させ、内臓ができた。
それは、体液も同じ。海を取り込んで内部化させ、血液も体液もできた。

過去の人は、そうした宇宙と人間の在り方をマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙)と呼んだ。
この世界は、そうした入れ子構造を本質に持っている。その中で自己組織化していくグループを、いのち、と呼ぶのだろう。

人は成長においてそうしたこころや意識の構造化と改変を繰り返す。



自分が意識を構造化させる最初になった経験を、「初心」と呼ぶのだと思う。

世阿弥が言う「初心忘るべからず」も、そのことを言っていると思う。
初心とは、日々訪れるものなのだ。
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世阿弥『花鏡』
「しかれば当流に万能一徳の一句あり。
初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。
是非とも初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。」
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「初心」を思い出すには、外にいる「初心」の人と出会うことがきっかけになる。
自分にもそういう初心があったのだと、
人と出会うと、その心の古層を思い出す。



人には常に初心がある。

この世に生まれたとき、他者と初めて出会ったとき、ひとりで座れた時、ひとりで立てたとき、母子との分離が起きたとき、他者の感情にはじめて接触したとき、愛・怒り・喜び、憎しみ、感動、別れ、、、様々な感情を最初に学習したとき、はじめて嘘をついたとき、・・・・・・・・
学校にはじめて合格したとき、会社にはじめて合格したとき、会社にはじめて行ったとき、職場の人とはじめて接触したとき、・・・・・・


そうした様々なはじめてのときに、何かを暫定的に決める。
こういうものだ、と仮に決めて、自分の心や意識を構造化する。それは物の見方とも言えるし、偏見とも言える。

その個人的な仮の偏りを元に戻すのは、自分が初心に帰る事だろう。
初心の状態である他者とまっさらな「出会い」が起きる時、自分の初心の古層は振動して呼び起される。





4月1日は、そうした初心の方々が職場に大勢いて、とても面白い日となる。

会社や組織、という硬く構造化された集団の意識体系は、ユルユルとほどかれ、意識の組み換えや改変が起きていく。
それは個人の成長にもつながるし、組織の成長にもつながるはずだ。

そんなゆとりを失った組織は、集団の心の構造が硬く記号化している状態でもある。
防衛反応は行き過ぎると自分の首を絞めることになる。
そうなると時の変化についてゆけず、いづれ根元から崩壊してしまうのかもしれない。
もちろん、それも含めて、人は「無常Mujo」と形容した。



いづれにせよ、4月1日は、集団の中に一陣の風がふき、意識の組み換えが起きていることを感じる。
個人の心の中でも、組織という集団の心の中でも。

本来は毎日起きているのだが、4月1日は、組織の中ではその象徴的な1日となる。

そういう見えない場所で起きていることが、この現実世界にいい形で表出されることを願う。
そんな一日の始まりとなる。



2 コメント

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写真の光がきれい (スイッチ)
2016-04-02 09:14:16
Inaさんの写真は、本当に光がきれい。
こんな風に世界が見えてるのかと、
羨ましくなっちゃう。(笑)

最近、春のせいか
朝の光がとてもきれいです。
きれいな朝
これを感じることが私の、毎日訪れる初心かな?

(o^―^o)
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Unknown (INA)
2016-04-22 16:33:10
光って、太陽から宇宙空間を経て地球まで来ていて、しかも地球の空間の状態で色々な状態に変わりうる存在で、本当に本当に不思議ですよね。宇宙の中にぽっかり浮かんでいる地球の表面に、こうして光が到達してくる、、、という不思議さに、光の写真を撮りながらしょっちゅうしびれています。
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