平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

花街・上七軒

2009年07月20日 | 平安時代

 京都には 「祇園甲部」「先斗町」「上七軒」「宮川町」「祇園東」の五つの花街があります。 「上七軒」は北野天満宮のすぐ東にあり、「上七軒くろすけ」、「上七軒文楽」、「上七軒四季」、「上七軒ふた葉」などが並び、それぞれの花街の舞妓・芸妓さんにお目にかかることができます。 そして上七軒歌舞練場の日本庭園にて毎年この季節に催されるのがビアガーデンです。 舞妓さんは二十歳までの娘さんに限られ、それ以上の歳になると芸妓さんと呼ばれるのが通例なのですが、最近では年齢に関係なく舞妓さん、と呼んでもさしつかえはないそうです。 平安時代を感じるには、はやり舞妓さんを見に行くのが一番です。

 

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サンバ・バードイエロー

2009年07月20日 | メッセ 台北 Dora Lora Yoyo Yuna Tina 妙

衣装:バードイエロー

 

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神戸祭り サンバ・バードオレンジ

2009年07月20日 | メッセ 台北 Dora Lora Yoyo Yuna Tina 妙

神戸サンバチーム 衣装:バードオレンジ

40m程の布を縫込んだ衣装を跳ね上げて踊る姿は一際華麗です

 

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2009神戸祭り サンバコステロロイヤル

2009年07月20日 | メッセ 台北 Dora Lora Yoyo Yuna Tina 妙

衣装:コステロロイヤル Royal色の羽を背負

 

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2009神戸まつりサンバ・コステロライム

2009年07月20日 | メッセ 台北 Dora Lora Yoyo Yuna Tina 妙

 サンバの衣装で極めて一般的なのがコステロといわれるもので、色とりどりの羽を背負って軽快におどります。ブラジルサンバの場合にはもっと過激なTバックを使用しますが、神戸のサンバチームは抵抗なく着用できるように水着のデザインをベースにし、羽にはピーコック、キジの羽を織り交ぜて豪華に仕上げたりもします。 また、バードといわれる大きな衣装を翻して圧倒的な存在感を与える衣装も多く見かけます。次は子供用の衣装でスカートといわれるもので羽は無く、かわいさを強調します。

衣装:コステロライム ライム色の羽を背負

 

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藤原詮子と真如堂

2009年07月20日 | 平安時代

 少し東には哲学の道があり、南には比叡山の黒谷に篭っていた法然上人が草庵を結んだことから「黒谷さん」と親しまれている金戒光明寺があり、 北には吉田山という聖なる領域があるのは、真如堂というひっそりとした風情のあるところである。 真如堂の境内は丘の上にあり、丘は神楽岡とも呼ばれ、よろずの神々が神楽を舞われたという聖地である。 山門を抜けて真如堂の境内に入ると寺の東には白川が流れ、比叡山、大文字如意ヶ岳、鹿ヶ谷、清水谷、伏見稲荷山とつづく東山三十六峰が連なっている。 本堂の南側からは皇室、将軍、武将などの墓碑が並んでいて、藤原家、冷泉家、油小路家などの墓も多くある。 また、衆生救済の菩薩を祀る千体地蔵堂や三重塔も聳えている。 本堂に祀られる本尊は阿弥陀如来である。 うなずき阿弥陀として名高い立像で、もともと比叡山の常行三昧堂の本尊であった。 慈覚大師円仁は天台宗をおこした伝教大師・最澄の弟子であった。834年に円仁は仁明天皇の命で遣唐使に同行し、五台山にのぼったときに生身の文殊菩薩に出会い、浄土念仏の教えを授かったという。 帰国後、自刻の阿弥陀立像に 比叡山をおりて都にいき一切の衆生を、ことに女人をお救いください というとうなずかれたという。うなずき弥陀の所以である。 984年、比叡山で修行をする戒算上人は、 洛中にでてあらゆる衆生を救いたいから山からおろしてほしい という夢を見たために、阿弥陀像を背負って山をおり、お告げに従って神楽岡あたりの真正極楽の聖地へ行ったという。  当時、神楽の地は円融天皇の女御であり、藤原道長の姉にあたる藤原詮子962-1001の離宮であった。後の東三条院である。 藤原道長の栄華は仲の良かった姉・詮子の存在があったからに他ならない。 この離宮に阿弥陀を安置することが許され、祀られたのである。 戒算上人は阿弥陀を安置するための真如堂創建にとりかかり、2年後に完成する。円仁から100年以上たった頃、円仁が開いた延暦寺の横川の堂宇にこもり、念仏による極楽往生の方法を書き記したのが恵心僧都源信である。 往生要集には浄土の原点が記され、法然、親鸞へとつながっていく。 法然の頃の延暦寺は権力の象徴であり、法然が若くしてこもった黒谷別所は延暦寺の傍流であり、ここで浄土教にであった。 比叡山をおりると真如堂にこもって阿弥陀仏に祈願し、真如堂のすぐ近くに庵をつくり、浄土宗を開いたのである。 この庵が金戒光明寺である。 この界隈が黒谷さんと呼ばれるのは、こういった由縁による。

 

 

   藤原守仁娘・(伊予守) 
兼家  ┣ 道頼971-995(兼家養子) 藤原為光娘(忯子の妹)花山法皇狙撃事件
┗┳ 道隆953-995(中関白家)        ┣ 
 ┃        ┣━┳伊周コレチカ974-1010┳道雅(三条帝娘・当子内親王と恋愛)
 ┃ 高階成忠┳タカシナ貴子┃        ┣大姫
 ┃(高二位殿)┃ -996 ┣隆家979-1044  ┗小姫 
 ┃ 923-998 ┣信順マサノフ┣御匣殿985-1002(定子亡き後、養母として入内) 
 ┃     ┣明順  ┣頼子姫(敦道親王師ノ宮の妻) 
 ┃     ┗光子  ┣原子姫980-1002(居貞親王女御) 
 ┃      (定子乳母)┗定子977-1000 里邸二条 
 ┣ 道兼961-995┳兼隆985-1053┣脩子内親王   996-1049
 ┃             ┣兼綱     ┣敦康親王    999-1018
 ┃          ┣尊子984-1022┣よし子内親王1000-1008
 ┃   繁子(師輔娘)┃    ┃
 ┃  66一条帝980-1011(乳母は橘徳子) 
 ┣ 道長━┳ 頼通━┳ 師実━━ 師通━━ 忠実━┳ 忠通
 ┃    ┃ ┃ 宇治殿 ┗ 寛子(後冷泉后)     ┗ 頼長
 ┃┏源倫子┣ 教通(996-1075 和泉式部娘・小式部を妾とする。本妻は公任・娘)
 ┃┃(鷹司)┃      ┣ 歓子(1021-1102後冷泉后)   ┣信長  
 ┃┗時中 ┃      ┣ 真子(後冷泉女御)      公任娘 
 ┃父:雅信┃920-993 ┗ 生子(1014-1068後朱雀女御)         
 ┃  重信┃-995         ┃延子(藤原頼宗娘)
 ┃    ┃             ┃ ┃嫄子(敦康親王娘)1016-1039 1076-1103
 ┃    ┣ 彰子988-1074上東門院┃ ┃┣祐子内親王,禖子内親王  藤原苡子
 ┃    ┃ ┣敦良親王(69代後朱雀)1009-1045━┳良子、娟子    賢子┣鳥羽
 ┃    ┃ ┣敦成親王(68代後一条)1008-1036┓┣尊仁親王(71後三条)┣堀河天皇
 ┣ 道綱 ┃ 66代一条帝980-1011       ┃┃┃┣貞仁72白川帝1053-1129  
 ┃    ┃ 67代三条帝976-1017         ┃┃┃藤原茂子(公成娘) 
  ┃        ┃ ┣禎子内親王1013-1094陽明門院  ┃┛┃
  ┃974-1004┃ ┃                ┣馨子内親王1028-1093斎院
 ┣ 綏子 ┣ 妍子994-1027(枇杷殿)      ┣章子内親王1026-1105 
 ┃  ┃ ┣ 威子998-1036         ━━━━━┛ ┃藤原教通娘・歓子1021-1102
 ┃  ┃ ┗ 嬉子1007-1025(産後死去,後冷泉母)┣- ┣ - 
 ┃  ┃        ┣親仁親王70代後冷泉(紫式部部娘賢子が乳母) 
  ┃  ┗━━━━┓69代後朱雀                 ┣ - 
 ┃954-982       ┃娍子972-1025(堀河女御 済時娘)   藤原頼通娘・寛子1036-1127
 ┣ 超子(ゆきこ)┃ ┣敦明親王994-1051小一条院
 ┃  ┃    ┃ ┃ ┣敦貞親王
 ┃  ┃    ┃ ┃延子985-1019(顕光娘、一条帝女御元子の妹) 
 ┃  ┃    ┃ ┣敦儀、敦平、師明親王、当子(斎宮)、子内親王
 ┃  ┣居貞イヤサダ親王67代三条帝976-1017 
 ┃  ┣為尊親王977-1002(弾正ノ宮:和泉式部を寵愛)
 ┃  ┣敦道親王981-1007(師ノ宮:和泉式部を寵愛) 
 ┃ 63冷泉帝
 ┗ 詮子(東三条院 兼家娘)962-1001出家後土御門第へ移り、道長は一条院へ。 
    ┣懐仁カネヒト親王(66代一条帝)
   64円融帝959-992

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