1262年に90歳でこの世を去ったとき、葬儀は娘の覚信尼がとりしきり、遺骨は京都・大谷の地に納められた。 10年後には覚信尼は東山大谷に六角の廟堂を建て、その中に親鸞の墓を移した。 これが現在の本願寺の元となる大谷廟堂のはじまりである。 権威の象徴ではなく覚信尼と東国門徒が協力して建てたものである。 覚信尼は廟堂を守護する役目・留守職に就き、 親鸞の遺族である覚信尼・長男の覚恵、覚如へと継承された。 親鸞が僧侶として初めて妻帯したことで住職の位を世襲で受け継いでいったのである。 しかし、血族である大谷家の内紛などから、覚如は鎌倉幕府に本願寺創設を願いいれたことで、寺院として世に認められるようになり、やがて最高位としての宗主へと発展していった。 大谷廟堂が本願寺となった頃はそれほどの勢力はなかったが、本願寺第八世である蓮如上人の登場により画期的な改革が実行された。 延暦寺からの影響を一掃して本願寺からの重荷も取り去り、動乱の時代の農民や庶民に呼びかけを行ったことで本願寺自身も飛躍的に発展することとなった。
京都駅のすぐ北に東本願寺はあり、壮大な御影堂門をくぐると世界最大の木造建築である御影堂と南側には阿弥陀堂が並んでいます。御影堂には親鸞聖人の自刻と伝えられている御真影を安置し、阿弥陀堂には本尊の阿弥陀如来像が安置されています。 親鸞聖人御真影には本願寺が東西に分裂して、第12代の教如上人が現在の地に移った(1602年)翌年に、徳川家康の斡旋により群馬の妙安寺から移され御影堂に安置されたという。 御影堂は念仏の根本道場で、東大寺の大仏殿を上回る世界最大の木造建築である。 また、本尊阿弥陀如来立像が安置されている須弥壇の右には聖徳太子、左には法然上人の御影が配されている。(古寺を巡るより)
親鸞1173-1263
┣範意
┣小黒女房 ┏如信1235-1300(本願寺第2世)
┣善鸞1217-1286
┣明信
┣有房 小野宮禅念
┣高野善尼 ┣唯善1253-1317
┣覚信尼1224-1283
恵信尼1182-1268 ┣覚恵1239-1307
┣光玉尼 ┣覚如1271-1351(本願寺第3世)
日野広綱 中原某娘┗善如1333-1389(本願寺第4世)
┗綽如1350-1393(本願寺第5世)
┗功如1376-1440(本願寺第6世)
┗存如1396-1457(本願寺第7世)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗蓮如1415-1499(本願寺第8世:中興の祖)
┣順如1442-1483
┃
┗実如1458-1525(本願寺第9世)
┗円如1489-1521
┗証如1516-1554(本願寺第10世)
┣顕如1543-1592(本願寺第11世) ⇔ 織田信長
庭田重直娘┣教如1558-1614(東本願寺第12世)
┃ ┣尊如
┃ ┣観如
┃ ┗宣如1602-1658(東本願寺第13世)渉成園は隠居所
┃ ┗琢如1625-1671(東本願寺第14世)大谷大学を創設 九条道房養子
┃ ┣常如1641-1694(東本願寺第15世)
┃ ┃┗真如1682-1744(東本願寺第17世)
┃ ┃ ┗乗如1744-1792(東本願寺第19世)
┃ ┃ ┗達如1780-1865(東本願寺第20世)
┃ ┃ ┗厳如1817-1894(東本願寺第21世)
┃ ┃ ┗現如1852-1913(東本願寺第22世)
┃ ┃ ┗彰如1875-1943(東本願寺第23世)
┃ ┃ ┗闡如1903-1993(東本願寺第24世)
┃ ┃ ┗興如1925-1999(東本願寺第25世)
┃ ┃ ┗聞如1965- (東本願寺第26世)
┃ ┗一如1649-1700(東本願寺第16世)
┃ ┗海彗
┃ ┗従如1720-1760(東本願寺第18世)
┣顕尊
┣准如1577-1631(西本願寺第12世)
┏如春尼(三条公頼娘)
┗三条の方(武田信玄室)