行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

平成ウルトラシリーズ①

2008-10-25 22:26:31 | Weblog
 1996年9月『ウルトマランティガ』の放送が開始した。その後、ダイナ、ガイア、コスモス、ネクサス、マックス、メビウスと続く平成ウルトラシリーズの第一部作である。シリーズとしては1981年3月以来、15年振りの新シリーズである。15年の沈黙の間、映画や書籍を媒介に、下火のブームを支えていた。15年の沈黙に入る時のシリーズは、ウルトラマン80。最終話のタイトルが、『あっ!キリンも象も氷になった!!』であり、その後の沈黙を考えると非常に意味深いメッセージである。

 さて、平成シリーズはウルトラQやウルトラマン、セブンらを観て育った当時の子供らが、自分達の手で創りたい、という意気込みを感じる。当時の脚本家や監督らスタッフが彼等を後押ししたのも、平成シリーズの第一部ウルトマランティガが初期からのオールドファンに受け容れられ、個人的には成功作品と感じている。これまでと大きく異なるのは、M78星雲ウルトラの星出身ではなく、古代遺蹟から現代に甦った光の巨人である事。
 ティガの世界観は、『何のために戦うのか、怪獣は何故出てくるのか?ウルトラマンとは何か?』を追求しており、その苦悩を演じた主人公の演技は秀逸だった。主人公にジャニーズの起用、ハヤタの娘の起用は「どうかな?」と、当初思ったが、作品を見て、その疑問は不要だった。
 この作品を見始めたのは、終盤に差し迫った第37話『花』からだった。実相寺昭雄監督が撮った作品で、新聞のテレビ版で知った。その前からウルトマランティガの放送は知っていたが、自分が当時大学生でもあり、今更ウルトラマンは無いだろう、と期待していなかった。ところが、見始めると非常に面白く、今まで見なかった事を後悔した。第39話『拝啓ウルトラマン様』で、予知能力があるために周囲から受け容れられないキリノ・マキオから、ウルトマランティガに変身せずに怪獣を倒すよう、主人公ダイゴにメールが届く。約束通りにしないと正体を暴露するという。変身せずに戦うが…。同じような特殊能力がありながら、なぜティガは喝采を受け、なぜキリノは非難されるのか?キリノは納得できない。しかし、ダイゴの台詞に考え方を改めた。

 その後、最終回まで見続けたが、このウルトラマンの設定はどういうものなのか、それを確かめるためにレンタルで第一話から見直した。今見ても視聴に耐え得る良い作品だと思っている。
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