おばが、亡くなった。
一度は持ち直したものの、徐々に坂を下るように様態が悪化していき。
胃からの出血が止まらなくなったのだという。
よほどに自分の状態がストレスになっていたのかもしれない。
聞こえてくる病状のはしばしから、もうこれはいけないかな、と思うことがあった。
だからこそ、覚悟もそれなりについていると思っていた。
ついているものだと思っていた。
それでも。
人の死というのは何度体験してもやりきれぬものである。
ワタクシメですらそうなのだから、もっと近縁の身内たちは、まだ涙すら出ないのだろう。
おばの冥福を祈りたい。今は。
合掌。
一度は持ち直したものの、徐々に坂を下るように様態が悪化していき。
胃からの出血が止まらなくなったのだという。
よほどに自分の状態がストレスになっていたのかもしれない。
聞こえてくる病状のはしばしから、もうこれはいけないかな、と思うことがあった。
だからこそ、覚悟もそれなりについていると思っていた。
ついているものだと思っていた。
それでも。
人の死というのは何度体験してもやりきれぬものである。
ワタクシメですらそうなのだから、もっと近縁の身内たちは、まだ涙すら出ないのだろう。
おばの冥福を祈りたい。今は。
合掌。
或る有名な本からの抜粋です。
『今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。』
この言葉を胸に、私は見送り、存え、そして瞑りたいと思っています。
おば様の御冥福を御祈り申し上げます。
引用の原典を寡聞にして存じ上げませんが、いい言葉ですね。
今はまだ、何をどう書いてよいのかわかりません。
ただ、sae様のコメントを拝見した時。
sae様にとっては見も知らぬ人間ですが、冥福を祈っていただけたワタクシメのおばは、幸せ者だなと自然に思うことができました。
ありがとうございました。