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<NHK番組改ざん事件>知る権利に背を向けた最悪の最高裁判決 ― 醍醐 聡・東大教授

2008-06-27 02:34:36 | 憲法裁判
 <NHK番組改ざん事件>知る権利に背を向けた最悪の最高裁判決 ― 醍醐 聡・東大教授(しんぶん赤旗)

 さる十二日、最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)はNHK・ETV番組「問われる戦時性暴力」の改ざん事件に対して原告(バウネット・ジャパン)の訴えを全面的に退ける判決を言い渡しました。今回の最高裁判決はNHKの放送の自由は何のためにあるのかという根源的な問題への判断をはぐらかした最悪ともいえる内容です。

 判断をしたこと しなかったこと

 裁判では二つの点が争われました。一つはNHKによる番組改ざんに政治家の介入があったのかどうかであり、もう一つは原告がNHKに対して抱いた期待権――取材を受けた時の企画の趣旨通りに放送されるであろうと期待し信頼する権利――をNHKが侵害したのかどうかでした。しかし、最高裁判決は一つ目の争点には何の即断も示さず、二つ目の争点について要旨次のように判断しました。

 ①放送法第一条~第三条が定めた放送の自由は国民の知る壌利に奉仕するものとして表現の自由を規定した憲法二一条の保障の下にある。

 ②番組の編集に当たって放送事業者の内部で、さまざまな立場、観点から検討されるのが常であり、その結果、最終的な放送の内容が当初企画されたものとは異なるものになる可能性があるのは当然である。

 ③したがって、NHKから取材を受けた者が、取材の過程で提供した素材が放送に使用されると期待したり信頼したりしたとしても、そうした期待や信頼は原則として法的保護の対象とはならない。


 知る権利めぐる支離滅裂な判断

 放送法が定めた放送による表現の自由は最高裁判決の要点①にあるように、「国民の知る権利に奉仕するため」にあります。ところが、NHKが行った番組改ざんは、戦時性暴力の実態を伝えようとした元「従軍慰安婦」と元日本軍兵士が女性国際戦犯法廷で行った証言をカットするなどしたものでした。こうした証言は日本の歴代政府、与党政治家があいまいにしてきた日本の戦争責任を国民が判断する上で貴重な資料となるものでした。

 このような証言をNHKが切り捨てたことは放送の自由が奉仕するものとされた国民の知る権利に背く行為にほかなりません。このような番組改ざんまで「表現の自由」を持ち出して免罪した最高裁裁判官の憲法解釈の稚拙さ、自己矛盾はあきれるばかりです。

 レトリックでの政治介入の放免

 最高裁判決のもう一つの問題は、政治家の発言を忖度してなされた番組改ざんをNHK内部の自律的な検討の結果であるかのようにすり替えている点です。確かに番組改編のなかにはNHK内部の番組制作者相互の議論を経てなされた部分もないわけではありません。

 しかし、少なくとも番組放送の直前の二〇〇一年一月二十九日に行われた元「従軍慰安婦」らの証言場面の削除は、同日、安倍晋三氏(当時、官房副長官)と面会し安倍氏から本件番組を「公平公正」なものにするよう求められた松尾放送総局長や野島国会担当役員ら(いずれも当時)がNHKの制作現場に戻り、番組制作とは無縁な野島氏が主導・指示する形でなされたものでした。これも「NHK内部での」検討の結果であるかのように描いた最高裁の事実認定は番組改ざんの圧力をかけた政治家を放免する悪質なすり替えのレトリック(修辞)です。

 政治に弱い体質 監視への再出発

 以上をまとめれば、今回の最高裁判決は政治に弱いNHKを政治に弱い司法がかばい立てした判決といっても過言でありません。しかし、番組制作に関わった永田浩三、長井暁の両氏の勇気ある証言で浮かび上がった政治介入とそれを付度したNHK幹部の政治におもねる根深い体質は今後も視聴者の記憶から消えることはありません。視聴者はNHKの優れた番組には激励を送る一方で、政治に弱いNH打の体質を厳しく監視し、視聴者主権の公共放送を確立する運動を今後も粘り強く続けていくことが重要です。

 (だいご・さとし 東京大学大学院教授、NHKを監視・激励するコミュニティ共同代表)

(出所:「しんぶん赤旗」 08・6・18)
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