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未来を信じ、未来に生きる。

今に流されず、正論を認識し、社会貢献していく人生を切り拓くブログ道。

社会の規律のこと。家庭教育・学校教育・社会教育・企業教育。

2006-09-28 22:41:51 | 国内教育
 基調報告 

規律の問題ですね。あきらさんも僕も基本的に同じだと思っているのですよ。実は。

 つまり、社会規範とは個人の社会性であり、個人の社会性が内心に留まれば道徳規範です。ゆえに、自らの道徳を表わした態度に社会性があれば社会規範だということで、そのような規律が社会には必要だということですね。

 身勝手に自分の生活だけが向上すればよい、という拝金主義とエゴイズム、ギャンブル生活、アルコール依存症、薬物中毒、悪質商法の横行、あるいは、尊属殺人、児童虐待、児童売買春、性生活の不倫、乱交的退廃、無気力な勤務態度、どうなっているのだ、と。

 家庭教育、学校教育はどないなっとるのか、と。同感なんです。

 ただ、僕は「話し合って分からせる」ことが教育だと考えるのですが、あきらさんは「現実を見ろ、と。話して分からん奴が犯罪を犯し、犯罪じゃないと言う理由で無気力な勤務態度、アルコール依存、政治無関心、しらけ、ギャンブル三昧、娯楽と遊興にあけくれている、と」そういう奴はどこから発生するのか、と。

 家庭と学校である。だから、学校と家庭で規律と道徳精神を強力に恐怖を与えてでも体得させねばならない、と。無規律な者が、豚箱に行く前に。国土を中共に強奪される前に。本土を命がけで戦争する一億総民族の国家への帰属意識を叩き込まねばならない。

 敵前逃亡するものは不道徳の典型であるから死刑にする、と。いくぞっ、と。覚悟を決めろ、と。祖国を裏切る者には、こうでもしないと規律は維持できない。本来は自ら志願して特攻して当たり前である。それができない奴は軟弱である。道徳教育、しつけの愛情がたりないからである。

 「話し合い」などという無責任な奴らは、自由、自由と騒ぎ立てて、国家権力、会社権力、親の権力、教員の権力などすべてを否定して子供を放任するだけだ。

 そんな無責任な親と教員の態度と思想が今日の日本国の荒廃の原因である。よって、子供に規律を体得させるには国家権力、会社権力、教員の権力、親の権力、年長者の権力、男性の威厳と威力・腕力によって、厳しく子供、女性をしつけていく、と。

 そのことで子供と女性たちは規律を体得し、国家権力、男性の腕力などの威厳と誇りに対して、尊崇し、敬愛し、態度と思想で心から男性と権力に献身し、尽くし続けるようになる。ああ、美しく、整然とした日本国の魂と伝統が復活した。ジェンダー教育と自由教育の息の根を止めた。さあ、新しくすばらしい日本国へ、と。

 結局、子供・女性の自由とは子供・女性にすべての責任をとらせる権力と男性の命がけの腕力・威力によってでのみ実現する、と。

 あきらさんの言いたいことはこんなところでしょう。 

 家庭と学校で具体的に起こる社会問題について、どのような態度と言論で解決していくか、という議論をしないと拉致があかないと思います。

 ちなみに、僕は祖国を捨てて、中国の日本国を明渡すことが道徳などとは微塵も思っておりません。真の道徳は侵略国家に対しては専守防衛で受けて立つことが当然である、強く考えております。が、逃げ出すものを軽蔑しても強制することはできません、誠に遺憾で悲しく情けないと思い、怒りを覚えますが人権尊重の限界なんです。

 僕もあきらさんも祖国を捨てて自己保身の存在も、同じ人間という事実がある限り、きっと僕とあきらさんが認識した地点に人間は到達するのではないですか。

 どう考えても、オウムの麻原・北の金正日ですら同じ人間だという事実は不動なんです。

 あんたも俺も同じ人間だろう、わかるだろう、と。この魂のぶつかりあいとしての話し合い、時には激論、罵詈雑言もあるでしょう、しかし、強制は教育ではなく、魂の闘論を手段として成立するのが人間教育なんだと考えます。

 エピソード始まり

 報告1

 地裁判決が出たのに「石原都知事」は判決に従わないで、校長会を招集したみたいですが、規律違反者は石原都知事の方ではないですか。判決に従わないのは何故ですか。彼がただの唯我独尊の自己中心だからでしょう。

 石原都知事の言う社会規範とは「俺が法だ」ということであり、ルイ14世のいう「朕が国家なり」と同じですね。そんな者が教育を語る資格などないのです。

 反論1

 石原都知事の独裁ってのはどうでしょうね? 都教委は知事の命令で動いてるんでしょうか? 校長会は、判決に左右されることなく従来通りの立場を貫くよう決定したようですが。

 回答1
 
 教育長は知事が任命します。テレビでも都知事が出てきて回答していましたね。従来どおりにするということは、判決が違法としたやり方ですから、それを執行停止することを決めることが規律を守る知事だということです。それを無視するから、独裁者だと言っているのです

 反論2

 まあ熱弁を振るって右派を貶めてみたところで、現実社会では君たち左派の見解は到底、多数意見とは言えまい。これは厳然たる事実であろう。違うかね?

 回答2
 
 現実社会の多数は右か左かではなくで「あいまい」「わからない」ですね。「日の丸・君が代」で言えば、別に立っても、立たんでも、歌っても、歌わんでも、どっちゃでもいいというのが厳然とした多数説ですね。

 処分してでも歌わせ、立たせるという説は現実社会では違法であり、極めて少数の説ですね。

 エピソード終わり

 質疑応答

 さて、規律についてですが、早速、今現在、学校と家庭で具体的に問題となっている規律違反として、どのようなものがあるでしょうか。あきらさんが問題視していることについて、お聞きしたいのですがよろしくお願い致します。子供のことで議論いたしましょう。労使関係、職務命令、通達の法的拘束力の問題は置いておきましょう。

 質問
 
 「わかりました。では…最近特に心配なのは不登校児童が増えたこと、また学校での子供が同級生を刃物で傷つける事件の多発です。これは勿論子供が悪いわけではなく社会や親の責任だと思います。ほかに何かありますか?」

 回答

 僕は中高生の中絶と性教育、また、勤労による社会貢献よりも金儲けを優先させる風潮、つまり、他人の人命に対する愛情と勤労の社会貢献性をもっと教えて行くべきだ、と考えています。

 拝金主義、株価至上主義、賭博が健全な勤労意欲を殺ぎ落とす存在だと言うことをもっと子供たちに教えて、勤労による社会貢献のすばらしさ、デイトレード、公営ギャンブルでの不労所得のあぶく銭の害悪性を教えて、金はなくとも誇りをもった勤労者を育成せねばならない、と考えています。

 人命と勤労への愛情と社会性についてです。

 そこで、「学校での子供が同級生を刃物で傷つける事件」についてです。

 やはり、「自分が責任をとれば何をしてもよい」という自己中心主義を批判し、「他人の命、財産、思想」そのものを尊重していく公共性、社会性を育成する必要があります。

 要は、「死刑になる覚悟があれば何人殺してもよい」などいうハイリスク・ハイリターンの自己中心的なドグマを共に学校生活し、家庭生活し、話し合う中で、改善させる必要があります。

 次に、「不登校児童が増えたこと」についてですが、この点は、例えば、「イジメ」「授業がわからない」などの理由が一般的です。しかし、①「朝起きるのが嫌だ」②「先生の容姿が嫌いだ」「だれだれ君、だれだれさんがなんとなく嫌だ」などという理由であれば、学校へ行かせるべきです。

 ①については、まさに規律です。朝起きて、将来、勤労者として社会貢献し、家庭を持って子育てし、国家・自治体の主権者として社会貢献していかねばならない。そのことを学習しに行くことをさぼろうとするとは何事なのか、と怒らねばなりません。お父さんもお母さんも含めて、みんなが勤労して社会貢献して建てたみんなの学校なんだ、と。だから、みんなの社会に貢献するような人間に成るようにみんなで協力して学習しなさい、ということです。

 ただ、現実は受験競争制度でバラバラにされているし、保護者の間でもギスギスしています。受験制度は教育的には完全に悪ですよ。

 ②については、容姿だとか雰囲気だとかで人間を排除することは差別だと教えなければなりません。それは個性なんだということです。容姿とか雰囲気はそれぞれであって当たり前だという寛容性を認め合いなさい、ということです。

 例えば、給食の時間に、正面の人が「ぐちゃぐちゃ」ならして食べるのが気持悪い、とか牛乳を拭いた雑巾を洗わないでそのままにしておく、などということは、確かに行儀の悪いことです。

 でも、行儀の悪い子を学校から追放するか、自分が不登校になるかではなく、先生と行儀のよい子が協力して、長い目で、お行儀を体得させていくという寛容性が教育の実際ではないでしょうか。

 質問

 「あなたも指摘された通り、公共性への感覚は、まぁゼロに近いですね。私は極論を言えば、子供を教育する親を教育しないといかんように思います。今、アパートやマンション住まいで近隣との付き合いがどれほどあるでしょう。昔は隣組があり、引っ越してきた人は必ず挨拶に行くことが当たり前でした。インドネシアではまだその習慣が残ってる地域があるように聞きます。拝金主義は個人主義社会では 当然そうなるでしょうね。カネは魅力的だし、詐欺だろうがなんだろうが、オレの勝手…ですからね。まぁ言い出したらきりがないですよ」

 回答

 僕の言うレベルのことは僕が小学校・中学校に行っていたときから先生たちはがんばって指導していました。だから、職務怠慢な教員など実際はほとんどいない、ということですよ。

 各教科の授業・宿題・テストを授業して、成績表をつけて、保護者懇談会を開き、家庭訪問までする、クラブ活動の顧問、引率。遠足、社会見学、林間学校、修学旅行、文化祭、体育祭、運動会、入学式、卒業式、始業式、終業式朝礼等の準備・指導。給食、掃除の指導。

 さまざまな問題行動の相談、話し合い、生活指導、進路指導など激務を極めているのではないでしょうか。

 ただ僕はそのような先生たちのことを今、振り返り恩師に感謝の念を持っております。学校にいる時間の方が家庭にいる時間よりも長く、さまざまな気苦労をおかけしたであろうし、本当にお世話になりましたという気持ちです。僕の社会性を支える大きな根拠の一つです。

 ただ、①中絶と性教育のこと、②拝金主義と勤労の社会性・公共性の関係、③「朝起きて、将来、勤労者として社会貢献し、家庭を持って子育てし、国家・自治体の主権者として社会貢献していかねばならない。そのことを学習しに行くことをさぼろうとするとは何事なのか、と怒らねばなりません。お父さんもお母さんも含めて、みんなが勤労して社会貢献して建てたみんなの学校なんだ、と。だから、みんなの社会に貢献するような人間に成るようにみんなで協力して学習しなさい、ということです」

 以上の三点については、集中的に教育された経験がないので、その点が今現在、学校教育、家庭教育に必要なことかと感じています。

 賭博は勤労意欲を殺ぐから犯罪ですね。このことをもっと教えるべきだということですよ。

 で、証券取引所自体が賭博開帳ではないか、という所まで問題意識が発展すれば成功ではないか、と。

 「今、アパートやマンション住まいで近隣との付き合いがどれほどあるでしょう」

 僕はマンションに住んでいるのですが、子育て世代のお母さんたちはマンションの自治会で子供祭りをしたり、下で子供らを遊ばしたり、お互いの家に招待したりして、交流を深めて雑談している姿をよく見かけますよ。

 元気よく、ギャ-ギャ-わめき散らしながら、走り回っていますね。ほほえましい光景です。昔の僕たちの頃を思い出して、笑ってしまいます。

 ただ、ごく一部ですが、大人らをにらみつけるような根拠のない反抗的な態度で失礼極まりのない者がいます。(このようなチンピラは、だいたい、原付、タバコ、セックス、恐喝、窃盗、ナイフ、木刀等の所持等の要素を揃えており、その品性・道徳の下劣性を集団で実現しています)が、そのような者に威圧的な態度で臨めば刑事問題へと直ちに発展し、問題の教育的な解決にはなりません。そこで、大人の役割が求められます。

 つまり、教員とチンピラ集団の親の力を中心に友達やその保護者らの力でチンピラを更正させていくことが教育です。

 鎮圧、没収、補導というのは社会分業の下で、警察の役割となっています。子供のことですから、極力、教育の力で「話し合い」を手段として、本人らの自発的な社会性・公共性を育てることになります。
 
 が、明らかな犯罪行為については警察へ通報することになるのは当然ですが、その場合においても少年法の理念である教育刑主義で対処していく必要があります。

 質問

 「そう、問題山積みですね。受験制度は狭き門ではなく、入り口は大きく、出口を狭くすべきです。これは、言われ出して久しいことです。学校については、あなたは勤労者の努力で建てたとの意識が第一義のようです。ま、確かにそうなんですが、私らはお国が建てたくれたって気持ちが強くありますね。だから教科書などもそれは大事にしたものです。今の高齢化社会は三層からなる断絶の構造があるように感じます。75歳以上の人口は国民の一割を占め、65歳以上は二割となっています。私は一割の中の一人ですが、今の活気がない日本を見ていると、このさきどうなるのか心配になりますよ。日本は労働者の集合体の共和国なのか、天皇を象徴として戴く立憲君主国なのか…あなたはどちらだと思いますか?またどちらが理想でしょうか?」

 回答

 受験制度の解決策として、入り口を広くする、つまり、「希望者全員入学を実現する」には賛成です。

 しかし、出口を狭くする、つまり、「卒業できる生徒、学生を少なくする」ということであれば、卒業を巡って生徒間、学生間、保護者間で競争が起こることになり、ギスギスした人間関係(協力するよりも自分が勝ちぬけようとする、他人を出し抜いて自分が勝ち残ること、みんな自分がかわいいという自己中心主義を正当化する制度上の根拠)は維持、存続されるのであり、問題の解決にならず、賛成できません。

 ゆえに、「①朝起きて、将来、勤労者として社会貢献し、家庭を持って子育てし、国家・自治体の主権者として社会貢献していかねばならない。そのことを学習しに行くことをさぼろうとするとは何事なのか、と怒らねばなりません。お父さんもお母さんも含めて、みんなが勤労して社会貢献して建てたみんなの学校なんだ、と。だから、みんなの社会に貢献するような人間に成るようにみんなで協力して学習しなさい、ということです。

 ②ただ、現実は受験競争制度でバラバラにされているし、保護者の間でもギスギスしています。受験制度は教育的には完全に悪ですよ」

 ①を実現する阻害要因である②を除去するには、「希望者全員入学」と同時に「希望者全員卒業」制度を実現せねばなりません。

 このような公正・公平な民主主義教育制度に対し、戦後一貫して受験競争、差別・選別・競争の財界・国家主義教育制度を頑なに維持・実現し、子供・保護者を苦しめ、ギスギスした人間関係(自己中心主義、他人より自分、自分が責任をとれば何をしてもよい、競争原理至上主義)の要因をつくってきたのは財界と自民党であるのは感情・ドグマ・偏見・思い込みではなく今も昔も変わらない財界・自民党の事実であり、等身大の実像なんです。

 質問

 「試験は何も入試だけではありません。試験を全て廃止したら、成績評価はどうするんですか? 競争は官において無さ過ぎたため、様々な弊害が生じたことは国鉄のケースを見ればよくわかります。一般に社会主義の国柄は暗い感じは否めません。ギスギスした関係ってのが、よくわかりませんが、努力した者がしない者より報われることは当然かと思います」

 回答

 ①試験は子供の弱点診断のためにします。当然です。

 ②あきらさんが言っているのは競争でなくて、賃金評価のことですね。あきらさんの言うとおり、賃金評価は必要です。金額に差をつけて当然です。ベテランと若手は労働能力に高低があるので賃金額に高低をつけて当たり前です。

 ③僕はあきらさんのいう社会主義を完全に否定しています。すなわち、人間社会である限り、諸個人の労働能力の格差はあり続けるのであり、賃金の金額も当然異なるということです。これを無理に同じにしようとすれば強力な国家権力による人民抑圧が必要となり、いわゆる悪平等の共産主義社会となり、結局は、反人間的、反社会的な分配思想であるから、国柄は暗い感じとなることは否めません。

 ④「ギスギスした関係」

 みんなで教えあって協力して学習するのではなくて、出来る子と出来ない子に分けて学校生活を過ごすということがギスギスした関係です。

 出来る子の間や保護者の間でも、進学校の椅子とりゲームでギスギスするということです。自分が教えたことで他人が合格すれば自分は損するからお互い隠しあってギスギスするのですよ。

 これは教育問題ではなく、賃金・労働条件の問題ですが、参考までに言えば、賃金体系は終身雇用・年功序列が一般的だったのは、仕事を教えあうような関係が阻害されないからです。

 今現在、解雇競争、つまり不安定雇用、それと下剋上の成果主義賃金制度が会社と公務員に導入されてきているのでチームワークが取れなくなって個人主義が横行し、メンタルヘルス、技術承継等で社会問題化しています。

 僕は終身雇用・年功序列賃金制度がベストだとは思いませんが、不安定雇用・成果主義賃金制度と比べて、よりましなベターな選択で終身雇用・年功序列賃金制度に戻すべきだと考えます。

 質問

 「学校で、出来る子出来ない子を振り分けるんですか? それこそ揉めませんか?かつて経験がない手法ですね。まぁ知恵遅れの子の特殊学級はありましたが。問題ありすぎなように感じますが」

 回答

 いや、出来る子と出来ない子が一緒に学校生活を協力して過ごすということです。

 「ギスギスした関係」というのは、出来る子と出来ない子の学校に分けるシステムで学校間格差という受験制度です。進学校と底辺校ということですね。これが今の偏差値による受験競争システムです。

 今、習熟度別編成といって、学校間格差を教室にまで拡大してきているのが自民党と公明党の教育政策です。

 このような偏差値・学校間格差・習熟度別教育は受験競争制度の貫徹であって、あきらさんの言うように「揉めること」になるし、出来ない子に恐ろしく暗く惨めな劣等感をうえつけますし、出来る子も転落したくないので、過度の競争のストレスから、うさばらしで弱者を見下すような無残な犯罪行為に走ることすらあります。

 質問

「なるほど…ま、主要五科、技術四科の教育はその手法も考慮に値するかと思います。しかし学校教育で最も大事なのは道徳(修身)教育ではないでしょうか?

  徹底した個人主義の考え方で、豊かな教育が可能でしょうか?家族とは何かを真剣に考えてゆけば、国家と言う概念も理解できるでしょう。家族とは単なる個人の集まりではないですよね。夫婦、親子その他親戚どとの付き合いも関係しています。そして家族の歴史も当然あります。国家もまた単なる個人の集まりではなく、共通の文化、言語、伝統を有する共同体なんです。

 国家を愛せないような教育で家族愛が養われるとは思えません。何しろ戦後の憲法論は国家と政府を区別しないままなおざりにしてきたと言わざるを得ません」

 回答

 そのとおりだと思います。

 特に、政府と国家の区別については、今現在であれば、政府とは自公政権のことであり、国家とは日本国に生活し、勤労する人民全体と民族文化のことであり、両者は区別せねばならない、と考えます。

 で、政府(時の国家権力)ではなく、国家、すなわち、日本国に生活し、勤労する人民全体、民族文化に社会貢献していく人間を育てることが道徳(修身)教育だと言えます。

 その場合に、まず、社会の最小単位である家族に対して、自らが自発的にどう社会貢献していけるかを考えて、生活していくことを教えることが教育の始まりだと言えます。

 学校教育でも、同じです。あきらさんの言うように、個人主義で自分勝手で無規律な反社会的または非社会的な消極的な人間は自主独立した積極的な活気ある元気な社会人とは言えません。

 そこで、こうしたことの対策として、家庭教育でも学校教育でも①ボランティアの奨励だとか、②勤労の社会貢献性、③自治体・国家を所有し、運営する主権者としての自主独立した積極的な社会貢献性、公共性、勤勉性などを子供らに体得させて行く学習環境と教育がなされねばならないと思います。

 こうしたことの大切さを①拝金主義の個人主義②非行・犯罪行為、中絶③政治的無関心、無気力などの反社会的、非社会的な、あらゆる個人主義的行為と比較しながら、大人たちを先頭に子供の間でもわかりやすく社会性、公共性を教え合い、積極的に学習していく道徳教育・学習を家庭、学校、地域、企業、報道等あらゆる場面で実践していく必要があります。

 知徳体の個人主義的な無規律、身勝手を排し、知徳体の社会的、公共的な実践者を育成することが人格の完成を目指す教育です。

 








 
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1254 コメント

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Unknown (もふもふ)
2006-09-30 01:47:49
社会規範という言葉の意味がわかっていないと思われる。

他人から言われなくても自らが自発的に態度で示す社会貢献としての道徳である、ということですよね。

規範とは、当事者の意思に関係なく慣習化、常識化されるものであって、自発性が伴わないことがままある。道徳は社会規範の中で個人が内的にもちえる法である。

頭が異常な言動が多い

>都教委は知事の命令で動いてるんでしょうか? 校長会は、判決に左右されることなく従来通りの立場を貫くよう決定したようですが。



命令の正当性を考えないアフォはこうやって問題をぼかす



>まあ熱弁を振るって右派を貶めてみたところで、現実社会では君たち左派の見解は到底、多数意見とは言えまい。これは厳然たる事実であろう。違うかね?



多数であることが正当性を保障しない。多数であることの優位性は民主主義においては存在しない。これは全体主義を否定した現代の国際情勢で明らかである



>やはり、「自分が責任をとれば何をしてもよい」という自己中心主義を批判し、「他人の命、財産、思想」そのものを尊重していく公共性、社会性を育成する必要があります。



意味不明である。責任を取っているならばそう言及するに問題ないが、責任を取った形跡もない。同時に自己中心主義という批判は害してすべてに該当する。全体を重要視する人間は、その全体を擁護するから非全体を批判する構造になるからである



>要は、「死刑になる覚悟があれば何人殺してもよい」などいうハイリスク・ハイリターンの自己中心的なドグマを共に学校生活し、家庭生活し、話し合う中で、改善させる必要があります。



脳内妄想でしょうか?死刑になる覚悟が刑罰を憂慮した事例があるのでしょうか?脳内妄想の世界です。



>私は極論を言えば、子供を教育する親を教育しないといかんように思います。今、アパートやマンション住まいで近隣との付き合いがどれほどあるでしょう。昔は隣組があり、引っ越してきた人は必ず挨拶に行くことが当たり前でした。インドネシアではまだその習慣が残ってる地域があるように聞きます。拝金主義は個人主義社会では 当然そうなるでしょうね。カネは魅力的だし、詐欺だろうがなんだろうが、オレの勝手…ですからね。まぁ言い出したらきりがないですよ」



頭が悪い。「子供を教育する親」を教育するというが具体的にどういう教育を行うべきなのだろうか?そのような抽象的な議論は自慰である。建設性がないのではなく、自己陶酔であり見苦しい。それに、近所付き合いは、過去の教育を受けた人間でもしないことがままある。同時に親を教育することの必然性の事例になっていない。証左になってない

「拝金主義は個人主義社会では 当然になる」というが、そもそも拝金主義は金の価値に由来するものであり、封建時代でも存在する思想であり、個人主義だけに関わる問題ではない。逆転的にいえば、金の価値よりも個性やバイタリティーを尊重する社会は個人主義が許容されないとできないわけである。この部分で個人主義と拝金主義の関係性よりもその逆のシステムの方が色濃いと言える。

>「カネは魅力的だし、詐欺だろうがなんだろうが、オレの勝手…ですからね。まぁ言い出したらきりがないですよ」

あなたたちのような妄想な発言こそ霧が無いです。詐欺であろうと拝金主義が許されるわけはありません。どこぞの宗教団体にでも看過されたのですか?

selfさんの指摘とおり、稚拙な脳みその議論のようです。もう少し、理論や思考学、選考などの普遍的だと想定される論理を示してください。あまりにも、反証できるものが多い上に、論理的な正当性がないものばかりで、どうしようもありません。さすがにselfさんでもお手上げ状態のお二方です。

馬鹿って色々な意味で免罪があってうらやましいです。できるなら、自分もあなたたちのような無責任な言動をしてみたいものです。怒られるでしょうが



返信する
ありがとうございます。 (東西南北)
2006-09-30 06:35:45
 これからもいろいろコメントでエントリーを検証していただきますようお願い申し上げます。



 ①社会規範の定義についてですが、道徳と社会の区別と関連を明確にせよ。ということで理解しました。そこで、以下のように書き換えます。



 「社会規範とは個人の社会性であり、個人の社会性が内心に留まれば道徳である」



 ②自己中心のくだりについてですが、主旨は「小泉総理が殺されてもいい」と言いながら、諸政策を実行したこと、応報刑、復讐・報復、いじめられるのが嫌だからいじめる方にまわるなどを想起してください。反社会性や非社会性のことです。



 死刑の抑止力については、僕も個別的(犯行の瞬間に死刑を覚悟した確信犯は思想・政治犯以外ではまれでしょう)には疑問視しています。が、一般論として自己中心主義を説明するにはわかりやすいと考えます。



 ③「他人の命、財産、思想」そのものの尊重についてですが、利己的ではない個人の利他的な行動と思想のことです。
返信する
続き (マーク)
2006-10-08 08:28:43


あのー、NHKの世界遺産という番組を僕はよく観るんですけど、何かそれに似た考え方のような気がしてならないんですが、公務員なら何でもありなのでしょうか。



民間なら社章付けなければ注意されますし、起立と言われれば起立します。会社からの金で喰ってる訳ですから、それを拒否したら、厳重に注意されます。当然だと思うんですが。



どうも今回の裁定に賛成されておられる方は、公務員やめて主張されるならまだ理解できるのですが、



いいなぁ、公務員さまは何でもありで、民間企業に勤めているマークの素朴な感想です。

返信する
しつもんです (マーク)
2006-10-08 08:32:47
あのう、公務員というのは国民の税金で食っているわけですよね。そう主張されるなら、公務員も日本人もやめて外国に行ったほうが宜しいのではないでしょうか、この考えっておかしいでしょうか。



この際、国歌を変えるかどうかば別問題として、何か公務員でありながら自由自由と自由という意味を勘違いなさっているのではないでしょうか。



例えば、通常の場合、株主総会などで社訓などにつばはくようなら処分されます。



どうもよく理解できないんですが。
返信する
はじめまして。 (東西南北)
2006-10-08 10:03:24
 ご質問の点ですが、「業務命令」一般に対する公務員または教職員あるいは民間の従業員の服務義務についてではなく、個別具体的な「業務命令」に対する、教職員または民間の従業員の服務義務についてのご質問だと理解して回答致します。



 ①まず、この点、今回の「日の丸・君が代」強要裁判において、東京地裁は次のように判決しております。



 「学校長の職務命令(教育行政権ではなく、学校教育の自主性としてのそれ)に基づく教職員の服務義務については原則として認めねばならないが、職務命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合はこの限りではないとの最高裁判例も確立されています」



 他方で、判決は「国歌・国旗について教えなくてよいと言う判決ではなくて、これを積極的に教えて行くことが国際社会に生きる日本人民として重要な素養だということです。

 

 しかし、①国旗、国歌をどう教えるのか②入学式・卒業式以外のどの行事に国歌、国旗を導入するか③どのような方法で国歌・国旗を斉唱・掲揚するか、は現場の各学校の裁量だという判断です。その具体的な方法にまでは学習指導要領及び通達の法的拘束力は及ばない」としています。



 最後に、地裁判決は「今回のケースでは職務命令が教職員の精神的自由権を侵害する重大かつ明白な瑕疵があると認定しました。世界観の違いによる不快感は日本人民としてお互いに寛容である必要があるということでした。



 こうして、教職員に「日の丸・君が代」を起立、斉唱させる被告(都教委)の行政行為について違法だと結論しました」



 ②民間企業の職務命令と従業員の服務義務の個別具体的な関係ですが、これも絶対的なものではなく、具体的な業務の内容が社会的かどうかが基準となります。



 判例では、具体的な業務命令の社会性の判断基準は社会通念を根拠にしています。



 ゆえに、ご質問の件ですが、



 a:「株主総会などで社訓などにつばはくようなら処分されます」

  

 これは妥当な処分ではないでしょうか。もっとも、減給、停職、免職となれば行き過ぎた処分となるでしょう。なぜならば、つばを吐く行為によって、会社は経済的に具体的な損害を被ってはいないからです。



 厳重注意処分が妥当だと考えます。



 b:「社章付けなければ注意されますし、起立と言われれば起立します。会社からの金で喰ってる訳ですから、それを拒否したら、厳重に注意されます」



 これも妥当な懲戒処分ではないでしょうか。



 c:業務命令と服務義務の関係で重要なことは「会社からの金で喰ってる」とか「国民の税金で食っている」とかいうような「拝金主義」にあるのではなく、個別具体的な業務内容が社会的などうかにあります。



 例えば、民間では悪質商法だとか雪印偽装申請だとか「整理解雇の4要件」を満たさない従業員解雇等の社会的だとは言えない業務命令には服務義務はありません。



 むしろ、従業員には内部告発権、労働三権があります。



 要は、会社の業務命令権は絶対ではなく、個別具体的な労使関係における説得と納得の人間関係を基礎とし、業務の社会性があるかないかで具体的に決定されることです。



 もちろん、就業時間の始業・終業時間を破るなどの行為は業務命令違反であることは当然で、雇用契約そのものの違反行為となりますので、懲戒処分が妥当です。



 就業時間の違反を繰り返すようならば、解雇事由にもなってくるでしょう。



 他方、就業時間違反を繰り返す経営者に対しても、なんらかの制裁措置が必要となりますが、これは労働組合に相談されるとよいでしょう。



 追記:現実は受験制度の下での教育となっていますから、どこまで「日の丸・君が代」を通して自国と他国に対する敬愛の念を育成する教育活動が行えるかは疑問ですが、ともあれ、国旗・国歌についての教育活動は学校教育で行われても当然だと言うことですね。

返信する
Unknown (マーク)
2006-10-09 17:53:12
何か判ったような?感じもするし?どうもちょこっと未だ合致してない気がするので、出直します。有り難うございました。



返信する
Unknown (マーク)
2006-10-09 20:59:51
何だか僕分らなくなってしまって。あったま悪いのかなぁ。あんなウソばっかりの日ケイ新聞なんか隅々までなんか一度も小学生からみてないもんで。頭がちがちじゃないもんで。



お父さんが言うには、公務員になれば、時間もとれるし、楽?だから目指しなさいといって、財務省キャリア目指せって。



でも、今この運動やってる人たちはその財務省キャリアじゃないんでしょ??



時間もたんまりありそうだし、何でもありらしいですし。僕は先生と相談して何処を目指して勉強したら良いのか迷っております??
返信する
Unknown (マーク)
2006-10-10 04:51:51
実は私、国歌は君が代でなくてもいいと思っているんです。皆が国歌として馴染めるものであれば、

でも、国の税金で食わせてもらっている公務員職員がですよ、国の将来を担う子供たちの前で違憲論争を目の前で行うのは、如何がなものか?

そんなに権利、自由をふりかざすなら、公務員やめて日本から外国に行きなさい!という意見です。



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Unknown (マーク)
2006-10-10 04:56:57
実は、昨日、日本がアブナイ!!というブログにいっちょもんでもらおうかとコメントしたら、管理人さんの後ろから教祖さまみたいのが、

やれ目が疲れただの

日経新聞隅々まで読めだの

サイバーテロしてやるだの

日ケイなんてうそうそ新聞隅々まで読むなんて、小学生だってしないですよ。あれウソばっか。

顧客リストなんて某国営放送から簡単に入手できるのに。

気が短い、怒りっぽい、脅迫する。公平な立場でのブログでしょう??

今日僕のPCがおかしくなってた。サイバーテロ??ノートン先生に診察してもらって5時間も手術。あぁ、こわいこわい。

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Unknown (マーク)
2006-10-10 07:36:25
日本から外国に出てけは言い過ぎでした。議論を重ねてと訂正。

公務員もいろいろな方が居られます。財務省キャリアに先輩が居られますが、もう仕事に追われて、寝泊まりしてるらしい、土日返上で、

公僕(パブリックサーバント)だから、俺を支えてる精神論だと言ってました。凄い尊敬できる先輩キャリアです。

今の公立小学校、中学校が荒れるはずです。こんなあんな教師が教えてるんですから、いやはや。おい、どう考えてんのさ、子供たちの教育を!! 自分の子供の教育では、国旗、国歌についてお風呂の中でちゃんと教えてるんだろうね。お父さんは起立しないんだ、何故なら、権力強制はおかしいからと。うぁ、すごい大人に育ちそう。まあ、関係ないけど、ラテン系だから、私。



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