うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

日本のPR

2012-09-24 18:56:21 | 政治・行政

尖閣をめぐる報道が盛んだ。日本では、中年の脂ぎった叔父さんが、意味不明の言葉を羅列している。これに対し、チャイナでは、壮年の外務省報道官が、チャイナの新たな行動を紹介するとともに、チャイナの基本的立場を明確に繰り返し歯切れよく報道発表している。世界の人は、当然尖閣の何たるかをご存知ないので、今回の騒動は、日本の一方的行動に対するチャイナの反撃と解する向きが多いという。日本のメディアが伝えるように、世界世論は、必ずしも日本の味方ではない。

我々日本人が不思議と思わないもので、世界からみると不思議なものが多々あるが、この報道官の活用もその一つだ。毎日、チャイナと日本の政府の発表振りが画像に出るが、我々には、その対比をしようとする意識すらない。実は、世界標準はチャイナで、日本の対応は、世界の非常識だ。

さらに、この非常意識は、政府だけではなく、民間企業にも共通するものだ。アメリカの会社組織を見ると日本と異なる二つの特徴があることに気づく。一つは、法務部長(Genaral Coucel)、もう一つはPR部長だ。この二つの組織が、膨大なラインの業務組織の上に社長に直属でぶら下がっている。CEOは、常にこの二人と社長レベルのラインの経営課題を協議する。トップダウンの要素が強いアメリカ組織では、CEOは自らの判断を法務とPRの観点から精査するということだ。

日本の組織では、両者とも総務のごった混ぜの業務の一部となっている。社長は、ラインのいうことをそのまま承認することを期待されている。これは、日本の社長の多くが、ボトムアップ原理の上に乗っかっているだけで、ラインの長におんぶに抱っこの現実を反映したものだ。社長は組織の中だけをみている。内部調和さえ維持できれば組織が成長していた時代の名残だ。

広報室は、総務の一員で、報道関係者とのロジ対応がメインの仕事だ。また、特に期待されているのが、歩道関係者とねんごろになり、報道内容を事前に入手し、都合の悪い記事は、差し止めるよう働きかけることだ。総会屋対策と同じだ。

日本社会に欠けるもの、それは、PR概念自体だ。PRとは、パブリック・リレーションのアクロニムだ。日本では、正式には、広報と訳すが、一般には、PRというと広告と思われている。しかし、英語では、その言葉どおりの意味、即ち、公共関係だ。世間一般との関係を如何にマネジメントするか、それが、PRということだ。メディアが高度に発達した現代では、世間との関係は、メディアを通じて規定されることが多くなっている。そこから、PR活動全般のなかで、メディアとの関係を如何にマネジメントすりかが、PRの中心的課題となってきた。しかし、本来の意味からすれば、それは副次的な役割だ。

現代では、いかなる組織体も世間の動向とは無関係に活動を行なうことはできない。民主主義と株式会社制度の普及が、その傾向を後押しする。世間との関係全体、これが組織のトップの主要関心事になるのは当たり前だ。アメリカの大学では、PRの講座があり、PRの専門家が組織的に育成されている。日本では、PRの代わりに情報発信という言葉が使われている。これは、情報発信さえすれば世間は判ってくれる、という極めて原始的な思考だ。日本では、世界であたりまえのPR概念自体が存在しない。

アメリカの大統領報道官は、大統領と四六時中接触しており、大統領のすべての考えを理解している分身といってもいい存在だ。そうでなくては、記者会見での容赦にない質問に耐えられないであろう。また、報道官は、政策そのものに関しても、PRの観点から影響を及ぼす。現代では、政策は、公衆に受容されることが必須の要請だ。故に、政策自体をPRの観点から形成する必要がある。魅力のない商品をいくら宣伝しても、時間と労力の無駄だ。いかに、魅力的な商品、施策、政策を展開するか、むしろ、PRの真骨頂は、そのプロセスで発揮される。

このPR概念の欠如が、尖閣をめぐる報道であらわになっているということだ。世界を見渡して見て、広報の専門化でない官房長官が報道対応する体制そのものが異常だ。そして、この非常識を誰も非常識とも気づかないことこそが、日本の非常識だ。内閣の広報官、外務省の報道官にPRの専門家を起用すると共に、その地位を首相、大臣直属の事務次官相当とし、PRの観点から政策調整できる体制の整備が必要だ。

尖閣をめぐる報道に限らず、あらゆる国際紛争において、日本は、PR合戦い負けている。更に都合の悪いことに、それが広報予算ではなく、戦略の不在にあることすら気づいていない。しばしば、日本は国際的情報発信力が弱いと指摘される。そして広報宣伝費の予算が要求される。しかし、広報概念も未熟なまま予算を増やしても、無駄使いに終わるだけだろう。

世界標準のPR組織を形成すること、それは、また、政府部内のセクショナリズムを克服することにも資するだろう。明確な世間に対するメッセージがでれば、各部局で、これに反する行動はとりにくくなる。現状では、首相の方針にも拘わらず、末端では反対の事項を推進していることがまま見られる。

また、広報体制の整備と併せて、メディア対応の慣行を改めることが必要だろう。広く指摘されているように、日本の記者クラブの閉鎖性が、記者の特権意識と政府の緊張感のない報道対応や政府高官の失言の元凶だ。アメリカでは、記者は、一般人に知りうること以外のことを知ることはできないという基本原則が確立している。記者会見は一般にオープンが原則だ。記者をスパイ代わりに使ったり、揉み消しの連絡役に使う癒着体制と決別しなければならない。また、「ぶら下がり」も廃止すべきだ。いやしくも、国家の政策を、ぶら下がりの一言で議論する愚にマスコミは気づくべきだ。

なお、韓国では、国家ブランドを向上させるために2009年、大統領直属の国家ブランド委員会を設置した。この委員会は、ねつ造した朝鮮史を宣伝するとともに、ディスカウント・ジャパン計画に沿い、日本の国際的信用を失墜させるPR計画を戦略的に遂行している。また、韓流ブームを流行らせるため、組織的に日本のメディア工作を積極的に行っている。日本政府は、韓国に学ぶべきだろう。そして、フジTVやNHKは、韓国のブランド委員会に思うまま操作されていることを恥じるべきだろう。