うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

日本の反民主主義メディア

2012-09-02 06:44:51 | 政治・行政
過日、NHKが報じていた。今後のエネルギー政策をめぐるパブリック・コメントで、原発ゼロの意見が90%以上だったと。
またしても、日本のメディアのお粗末さが露呈してしまった。パブリック・コメントと世論調査の区別がつかない。パブリック・コメントとは、政策案に対して賛否を問うものではなく、政策をよりよいものにするために意見を求めるものだ。求められるものは、賛否ではなく、ロジックだ。また、ネット投票も世論調査ではなく、一部の関心層のみの見解を表すものだ。いずれも、公の電波を利用して報ずるものではない。
日本のメディアの編集デスクは、基本的な統計知識がまったく欠けているようだ。あるいは、お頭が悪いふりをして、実は狡猾に世論操作をねらったものか。
日本では、学校でディベートの訓練がない。ロジックや統計理論を展開して人を説得する技術を、文部省も日教組も軽視してきた。変わりに、特定の思想を無批判に信奉することを教育の基本原理としてきた。結果、日本人は、世界でも稀な思考停止・説得力欠如人種と化してしまった。
また、ディベート文化の欠如は、議論に白黒の決着をつける態度を弱めた。ロジックが交わり少昇華・発展することなく、言いっぱなしのままだ。議論は平行線で、明らかに破綻した主張が、そのまま継続する。だから、菅直人などの居直りも簡単に許してしまう。
民主主義とは、多様な意見を尊重することではない。多様な意見から、ある手続きを通して、その集団自らの多数決断を下すことだ。アメリカでは、それを「思想の自由市場」と呼ぶ。自由市場では優れた思想のみが、生き残る。民主主義社会では、破綻したロジックの唱道者は、速やかに退去させるべきだ。そして、それを行なうのが、民主主義国家におけるメディアの役割だ
思想の適者選択を可能なあしめる前提条件が、適正手続きだ。民主主義とは特定の価値観ではなく方法だ。手続き根幹を成すのが、このブログで前にも論じたヒアリングとディベートだ。
原発政策の意見聴取会で、原発廃止派は、電力会社社員を問答無用で追い出した。これは、反民主主義だろう。また、以前九州電力のやらせが問題になったが、それは、原発ヒアリングおける労組などの「職業市民団体」の大衆動員運動に対するやむを得ない自衛行動だったのは、関係者なら皆知っている。それを報じないメディアを偏向していると言う。
政策選択を行なう行政も同じだろう。行政は、パブリック・コメントの意見にロジック上意味があれば、政策を修正し、意味がなければ排除する。寄せられた意見の数には影響されるべきではないだろう。時に意見は割れるだろう。しかし、その場合でも、決断を下す。
決断には過ちもあるだろう。しかし、時は待たない。取り返し可能の程度によって、決断時期は若干ずれるだろう。しかし、不確実性の中で、将来を切り開くのが決断だ。留まらない時間の前では、不決断も決断の一種であることを理解しなければならない。誤った決断は、決断者が責任を明確にとる以外にない。とりわけ、リーダーの責任は重い。
行政上の決断の的確性を行政内部で確保するための仕組みが、行政委員会だ。行政委員会の決定の仕組みは、裁判所と同じと考えていい。委員会は、ヒアリングを含めた適正手続きにより、決定を下す。手続きを実質的に生かす能力がディベート能力ということになるだろう。
アメリカでは、大学のジャーナリズム学部卒業者が記者となる。そして、メディアの言論の自由は、思想の自由市場を守るためにあると教えられる。こういうことを全く理解しない日本のド素人記者には、表現の自由は猫に小判だ。日本の記者には、記者としての基礎的能力が全く欠けている
ディベート文化が欠如する日本の言論空間で、メディアはやりたい放題だ。なにせ、言いぱなしで、批判に晒されることがない。朝のバラエティー番組は、どの局も八つぁん熊さんのお粗末な意見に満ちているが、裏では特定の見解に誘導するよう筋書きがある。最もわかり易いのはNHKだ。御用達の内橋克人や姜尚中をみれば、何を吹き込みたいのか自明だろう。その他の専門化の解説者も、阿吽の呼吸で筋書きに合わせる茶番の立役者だ。なにせ、本音を言えば、たちまちお呼びがかからなくなる。
日本人がディベートが苦手なのは、古来からある言挙げせぬ文化の影響もある。しかし、これは、神への不遜を戒めるものだ。ディベートとは関係ない。沈黙は金との格言もある。しかし、これも、現代社会では、百害あって一利なしだ。沈黙は、適正手続きや国際社会では無視されるのみだ。その上、自己の見解が批判に晒されることが回避されることで、自己向上の機会も奪われる。
日本のメディアが社会に貢献できることがあるとすれば、論争番組の提供だろう。現状、意見を言い合う番組はある。しかし、論点整理がない言いぱなし番組だ。議論を論点ごとに整理して、事実を確定し、最後に総合的に決着をつける。その論点整理の仕方こそアの本来の腕の見せ所だ。
日本の反民主主義メディアに国民はNOをつきつけるべきだろう。