宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

宇野公幹さん

2010-04-21 19:26:46 | 日記
 
 冷たい雨になりました。20℃を超えた地域もあったようですが、こちらの
 最高気温は10℃に達しません。春本番へ足踏み、といったところですが、
 宇野ゆかりの皆さま、お変わりはありませんか?

 前回紹介した小橋一太氏の文章が掲載されている「我等の熊本」という本を
 精読していて、宇野公幹さんに出会うことができました。同書に角田政治と
 いう方が、「肥後の人物について」という題の一文を寄せておられ、その中に
 宇野公幹さんが紹介されていたのです。熊本の偉人の一人として選ばれて
 いました。「偉人!?」というのは「すごい!」のですが・・・角田氏の記述では
 「剣技故実和歌茶道皆その奥を極める」とありました。

 宇野公幹さんとは、宇野家の4代目の当主だった宇野甚五郎さんのことです。
 細川藩の家臣でしたから、「先祖付け」が残されていて、その中の記述では
 概略、次のようになっています。

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     宝暦11年(1761年)2月、御目見えお仕え
     安永5年(1776年)、34歳で知行相続、坂崎一角組に召抱え、御納戸役
     安永6年、時習館にて「大日本史」書写を仰せつけられる
     安永7年、江戸詰め。同9年に肥後に帰国
     天明元年(1781年)、参勤交代の御供
     寛政4年(1792年)、御物頭、清源院様御付となる
     文化元年(1804年)、病気につき62歳にて隠居

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  宇野公幹さんの嫡子が、5代目宇野騏八郎さんですが、騏八郎さんの郡代など
  としての功績はいろいろ出ているのですが、公幹さんについての記述は多く
  ないと思いますので、思いがけず出会った200年前のご先祖に感激しています。

  宇野公幹とは、隠居後の号のようです。宇野甚五郎・宇野貞卿とも名乗って
  いたようです。文化5年(1808年)閏6月16日に、66歳で亡くなられました。
  室は宇野千勢子さんでした。


  
  先日、用事があって近郊の野幌森林公園に出かけました。開拓記念館があり
  北海道の開拓の歴史がよく分かる展示となっています。また、開拓の村では
  当時の北海道の風物を肌で感じることができます。札幌にお越しの際は、
  見学をお勧めします。この日は、肌寒く雪が各所に残っていました。