冷たい雨になりました。20℃を超えた地域もあったようですが、こちらの
最高気温は10℃に達しません。春本番へ足踏み、といったところですが、
宇野ゆかりの皆さま、お変わりはありませんか?
前回紹介した小橋一太氏の文章が掲載されている「我等の熊本」という本を
精読していて、宇野公幹さんに出会うことができました。同書に角田政治と
いう方が、「肥後の人物について」という題の一文を寄せておられ、その中に
宇野公幹さんが紹介されていたのです。熊本の偉人の一人として選ばれて
いました。「偉人!?」というのは「すごい!」のですが・・・角田氏の記述では
「剣技故実和歌茶道皆その奥を極める」とありました。
宇野公幹さんとは、宇野家の4代目の当主だった宇野甚五郎さんのことです。
細川藩の家臣でしたから、「先祖付け」が残されていて、その中の記述では
概略、次のようになっています。
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宝暦11年(1761年)2月、御目見えお仕え
安永5年(1776年)、34歳で知行相続、坂崎一角組に召抱え、御納戸役
安永6年、時習館にて「大日本史」書写を仰せつけられる
安永7年、江戸詰め。同9年に肥後に帰国
天明元年(1781年)、参勤交代の御供
寛政4年(1792年)、御物頭、清源院様御付となる
文化元年(1804年)、病気につき62歳にて隠居
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宇野公幹さんの嫡子が、5代目宇野騏八郎さんですが、騏八郎さんの郡代など
としての功績はいろいろ出ているのですが、公幹さんについての記述は多く
ないと思いますので、思いがけず出会った200年前のご先祖に感激しています。
宇野公幹とは、隠居後の号のようです。宇野甚五郎・宇野貞卿とも名乗って
いたようです。文化5年(1808年)閏6月16日に、66歳で亡くなられました。
室は宇野千勢子さんでした。
先日、用事があって近郊の野幌森林公園に出かけました。開拓記念館があり
北海道の開拓の歴史がよく分かる展示となっています。また、開拓の村では
当時の北海道の風物を肌で感じることができます。札幌にお越しの際は、
見学をお勧めします。この日は、肌寒く雪が各所に残っていました。