最高気温が10℃を超えるようになり、やっと春らしくなってきました。
4月になって新しい生活リズムで、という方もいらっしゃるでしょう。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
最近、書店や書評などで「聞く力」に関する本が目につきます。人の
話を聞かない、聞けない人が増えてコミュニケーションが成り立ち
にくくなっているというのですが・・・
ある本の指摘では、次のようなケースがよく見られるといいます。
1.自分に都合の悪い話は、はなから聞こうとしない。
2.自分と考えの違う人の話は、どんな内容であっても聞こうとしない。
3.自分はそんな話は、もう分かっているからといって聞こうとしない。
4.自分は違う考えを持っているので、相手の話(考え)を最後まで
聞こうとしない。
このほかにもいろいろあるでしょうが、思い返すとあてはまる経験が
多々あって耳が痛いものです。せっかく同じ時間を共有して話をしていて
何か「学ぶこと」があるはずなのに、話を聞かないことはもったいないと
いうのです。
このようなコミュニケーション不全の状況は今に始まったことではない
ように思います。少し前に売れた「バカの壁」も「話せばわかる」と
いう内容を掘り下げたものでした。相手を思い遣る心、相手から学び
自分が変わろうとする自覚がないと、本当に「聞く」という姿勢では
ないのだと思います。
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この「聞く力」に関して、以前紹介した小橋一太氏の一文を思い出して
います。「我等の熊本」という本(昭和9年)に掲載された「我熊本の
事思出の一節」(前文部大臣・小橋一太)という文章です。肥後人気質
について、氏の考えの一端を述べていました。「宇野ルーツだより」に
載せましたので詳しい内容は省略しますが、肥後気質として「宣伝がま
しきこととでしゃばりを嫌う傾向があり、そこからくる自己宣伝や軽佻
浮薄な言動を冷眼視し独善孤高になりやすい」というような見方でした。
すべてにあてはまるとも思えませんが、当時からこのような傾向があった
のだと思います。「そんなことは分かっている」といって相手の話を聞い
ているようで聞いていない、また「言わなくても分かるだろう」という
思い込みが強い気質があったのかとも思います。「肥後もっこす」と
言われる下地になっているのかもと・・・勿論、偏見はいけませんが。
こうした気質は遺伝するものでもないでしょうが、独善孤高にならない
よう、もう少し「聞く力」が発揮できたらと自戒しています。
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こうした「聞く力」の養成は子育てにも大切との指摘もあります。聞く力
の足りない大人に囲まれて育った子は往々にして乱暴な言葉遣いになり
がちだといいます。自分の話に真剣に耳を傾けない大人に対して関心を
向けるには、より強い言葉にならざるを得ないからです。子供は本来、
より自然物に近く大人の思う通りにはならないわがままな存在です。その
話・要求を受け止めるには、やはり「聞く力」が必要になってきます。
子供を思い遣る心、子供の話からも学ぼうとする姿勢を持った大人に
接する機会が多いほど、乱暴な言葉遣いは減り「聞く力」を持った大人に
成長していくのでしょう。
NHKの「龍馬伝」は順調に放送が進んでいるようですね。坂本龍馬の
「聞く力」は相当だったようです。龍馬は多くの手紙を残していますが
その具体的な内容は、自身の好奇心や観察力もさることながら、人の話を
聞く力がないと書けないものだといいます。確かにコミュニケーションが
うまくできないと、まとまるもののまとまらなかったでしょう。幕末の
出来事に「龍馬の聞く力」が大きく関わっていたのかもしれません。
三角山のふもとのエゾヤマザクラの花芽です。まだかたいつぼみです。
花見の真っ盛り、あるいは散り始めという所もあるでしょう。ここでは
開花は5月の初旬になりそうです。「宇野ルーツだより」の印刷版、
しばらく送付できていないことをお詫びいたします。もう少し時間を
いただきますようお願い申し上げます。