宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

緒方大太郎

2010-02-04 23:08:19 | 日記
  晴れた立春でした。が・・・とても寒い一日になりました。
  昨日の最高気温がマイナス9℃、今日はマイナス6℃でした。
  さすがに息も凍りそうなシバレです。それでも子どものころに
  比べたら暖かい方かもしれません。都市化のせいでたえず熱が
  放出されているのも一因でしょう。皆さま、暖かくしてお過ごし
  ください。もう少しで「冬眠」も終わりにしたいと思います。

  肥後細川藩を調べていらっしゃる津々堂さんのブログは、毎回
  興味深く拝読していますが、先日の「侍帳へ」の記事の中で
  「緒方大太郎」が取り上げられておりました。

  緒方大太郎・・・すなわち、のちの緒方夫門さんです。時習館
  での転昇の記録でした。ご先祖の若い頃の新事実が紹介され、
  発見できたことは驚きでした。

  緒方夫門さんのことについては、以前「宇野ルーツだより」で
  西南戦争での活躍などを紹介しましたが、それ以前の様子に
  ついては、「肥後人名辞書」などで簡単に紹介されているだけ
  で詳しいことは分かりません。それだけに今回の記録は貴重な
  ものと言えそうです。改めて江戸時代末の夫門さんの様子を
  以下に記します。

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  1.天保4年5月27日、熊本京町宇土小路に生まれる。
  2.幼少より時習館で文武を兼修し、居合・薙刀などで賞される。
  3.嘉永7年5月、家督を相続する。
  4.安政6年2月、江戸に上り、翌年9月に下藩し御番方となる。
  5.元治元年5月、京都に行役し、11月に下藩する。
  6.慶応2年、小倉に出張し、長州兵と戦う。
  7.慶応4年、宇土郡代、野津原鶴崎郡代を歴任する。

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  先の津々堂さんの記事では、嘉永2年(1849年)6月、緒方大太郎
  17歳の時の記録のようです。

  緒方夫門さんが、4度名前を変えているのも興味深いですね。

       緒方大太郎→誠之助→嘉右衛門→夫門

  緒方夫門さんの二女、キツさんは宇野家に嫁ぎますが、その長男の
  宇野貞誠の「誠」は、この緒方「誠之助」からいただいた一字では
  ないかとのご指摘をちょうだいしております。やはり、緒方と宇野を
  結ぶ役割を、貞誠さんに期待した表われだったのかもしれません。

   近所の公園の雪景色です。写真で寒さを伝えるのは
     難しいですが、肌を刺すような寒気に包まれています。