宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

春を探しに

2009-04-04 08:16:56 | 日記
  昨日も今日も本当によい天気で春らしくなりました。
 前回お知らせしたように、近くの公園に「春のきざし」を探しに行ってきました。

 見つけました。「ふきのとう」(写真)です。まだつぼみでした。

 熊本城内は桜が満開とのこと。
 こちらはやっと雪が消え緑が芽吹きだしたところです。「氷割り」という作業があちこちで見られます。
 桜の時期は、あとひと月先になります。


 今、江戸時代を離れて明治の初めにいます。宇野冶部太夫さん関係がひと段落したので、
 西南戦争と宇野・緒方の関係を尋ねています。

 皆様ご存じのように、緒方夫門氏は熊本隊参謀として積極的に関与しましたが、宇野はそうではなかったようです。
 このとき宇野貞也氏は多分病の身だったようですし、宇野貞度氏はまだ13歳の少年でした。
 というわけで、思うところがあっても関与できない事情があったのでしょう。

 この西南戦争では、宇野とつながりのある友成正雄氏が重要な存在として浮かび上がってきました。
 緒方夫門氏と同じ熊本隊の一員として参戦して重傷を負い延岡近くの長井村で官軍に降伏しました。
 そして斬刑に処せられました。27歳という若さでした。なぜ友成は極刑だったのか?

 このあたりの事情については、佐々友房や古閑俊雄が「戦袍日記」として残していますので、
 緒方・友成に関する部分を調べて報告できると思っています。とくに友成の言動を見ると、

 この戦争が一般に言われているような「不平不満士族の反乱」などというような単純なものではなかった!

 ということがひしひしと伝わってきます。現代では忘れ去られがちな若者の気概を感じます。
 それは、次の辞世の詩の一節に表れていました。

         請見千秋論定後、当時国賊却忠臣

 何という歴史観でしょう。感激しました!