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西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

蟻に訊きたし 7

2006年01月07日 00時02分31秒 | 小説
 6回の裏、繁は自分がどうやってマウンドまで行ったのか、よく憶えていない。それはまるでコンピューターにインプットされたプログラミング通りに、自分の体が自動的にその場所へと運ばれてきたみたいだった。要するに、自分の意思が薄くなってきていた。今度こそ繁は、誰かに指先だけで操られる、テレビゲームの登場人物になってしまいそうであった。
「……あかん、あかんがな! 何を考えてんねん俺は……。そ、そや、親父や! 親父……、親父、助けてくれ!」
 落ち着きを全くなくしてしまった繁は、慌てて助けを求めるべく、バックネット裏に自らの視線を巡らせ、父を捜した。が、必死の思いで捜せど捜せど、父の姿は見つからなかった。
「なんでや親父……。どこや……、どこへ行ってしもうたんや……?」
 屋根を打つ豪雨の音が、また一段と激しさを増した。そして父の姿を見つけるのを諦めた繁の視線は、恐らくその梅雨空とほぼ同じ色であろう、鈍色をしたドームの天井に釘付けとなった。
「プレイ!」
 球審の甲高い声が、ドームの内部全体に木霊した。もうボールを投げるしかない。繁は仕方なく視線を天井から正面に落とし、キャッチャーの出すサインを覗き込む。するとキャッチャーは、インサイド低めの直球を要求している。繁の直球は、特に最近目覚しく速くなってきていると、チーム内ではもっぱらの評判であった。そして繁は、その評判だけを信じて、ゆっくりとモーションを起こし始めた。
 サウスポーの繁が、ワインドアップから右足を上げ、体を一塁側にひねったその時、一瞬彼の視界に、思わぬ光景が入ってきた。一塁側ベンチの脇で腕を組んで立つ小林繁ピッチングコーチと、それをベンチすぐ横のスタンドの最前列で、顔をネットに押し当てて食い入るように覗き込んでいる父の姿があった。そのとき父の視線は、我が息子繁にではなく、父にとって憧れの神様繁様、小林繁コーチに注がれていたのであった。

(続く)

蟻に訊きたし 6

2006年01月04日 00時02分07秒 | 小説
 繁の父は、昔から熱狂的なタイガースファンだった。実は「繁」という名前も、繁が生まれた年、昭和五十四年からタイガースで活躍した小林繁(こばやししげる)投手にちなんで名付けられたのだ。父は結婚前までは、未来の息子には「満(みつる)」と命名するつもりであったらしい。その出所はまたも『巨人の星』。主人公星飛雄馬のライバル、タイガースの花形満(はながたみつる)である。ではなぜ父は、息子を花形満のような強打者に育てようとせず、星飛雄馬と同じ、ピッチャーに育てたのだろうか? そんな繁の疑問についての父の答えは、「うちは金持ちとちゃうさかいや!」の一言だった。何とも説得力のある屁理屈だと思いながら、やや首を傾げつつも、繁は大きく頷いてしまった自分を憶えている。余談ながら、繁の三歳下の双子の妹たちの名は、「真弓(まゆみ)」「若菜」(わかな)」という。この調子でいくと、昭和六十年生まれの「バース」」なんていう名の弟がいてもおかしくないぐらいだと、ご近所や親戚の人たちの、笑い話のネタになっていたこともよくあった。

「あ、あの人や……」
 三塁側のダッグアウトの奥から、チームメイトの肩越しにその人を見付けた繁は、思わず呟いた。自分が物心ついた頃には、既にあの人の躍るようなピッチングフォームのポスターが、家のあちこちの壁に貼られていた。玄関、居間、応接間、そして台所やトイレにまであの人がいた。あの人を見ながら育った。そうしてポスターでは毎日毎日見ていたが、ご本人の姿をこの目で実際に見るのは初めてだった。父の話によれば、あの人は元ジャイアンツにいたらしいが、何でもゴタゴタがあったとかで、タイガースに電撃トレードされたのだが、その後はタイガースのエースとして、それまでのゴタゴタを吹き飛ばすような大活躍をしたのだそうだ。そのゴタゴタの詳しい内容までは、父は教えてはくれなかった。しかしとにかく、あの人は繁の父にとって神様のような存在で、そしてその父の思いはまた、そのままの形で繁にも受け継がれていた。そう簡単には手の届かないはずの神様が、今、すぐそこに居る。繁の頭の中は、真っ白になった。そして鈍色(にびいろ)の天井も青い観客席も緑色の人工芝をも、白一色に塗り替えてしまった。それはまるで雪景色みたいであった。この雪景色の与えた自己暗示が、繁の肩を徐々に徐々に、冷やしていった。

(続く)

蟻に訊きたし 5

2006年01月03日 00時03分20秒 | 小説
「他のことは気にせんでええ。親父のことだけ思うて投げたらええんや」
そう思うことで、繁は落ち着きを取り戻した。ピンチを向えれば、繰り返し繰り返し、またネット裏の父に目をやった。そうすれば、豪雨の音も派手な効果音も、何も聞こえなくなって、ただキャッチャーのミットめがけて投げることだけに集中できた。そうして何度かのピンチを切り抜け、五回までを散発の五安打、無失点に抑えた。一方、好調の味方打線は、既に三点をリードしている。つまり繁は、この時点で勝利投手の権利を得たわけになる。二軍は、ファーム(農場)という呼び方があるように、本来育成や調整をその主な目的としていて、勝敗はあまり重視されない。とは言え、このままいけば記録上は間違いなく勝利投手となる。繁にとっては、その勝利こそ、正にプロ初勝利となるはずであった。
 回は変わって六回の表。味方打線は、あっさりと二者凡退。だが野球はツーアウトからとはよく言ったもので、その後ツーベースヒットとタイムリーで一点追加。なおランナーを一塁に置いて、ツーランホームランが飛び出した。点差は六点。いよいよ繁のプロ初勝利が濃厚になってきた。五回までなんとか三点に抑えてきた相手方ピッチャーもついに力尽き、がっくりと肩を落としている。すると次の瞬間、一塁側のダッグアウトから勢いよく、ピッチングコーチが飛び出してきた。誰あろうそのピッチングコーチこそ、実はもう一人の繁であった。

(続く)

蟻に訊きたし 4

2006年01月02日 17時44分48秒 | 小説
 繁を野球の道に送り出したのは、父である。生まれて間もない繁にこの父が与えた玩具は、消防自動車でも飛行機でも、キューピーさんでもクマさんでもなく、プラスチック製のバットとボール、それにビニール製のグローブだった。そして繁は小学校三年の時、やはり父の勧めで、地域のリトルリーグに入団。野球漬けの毎日が始まった。繁自身、最初は嫌だった。自分の意思ではなく、父に乗せられて言いなりになってしまったばっかりに、毎日のように厳しい練習に耐えねばならなくなった。いつだったか、以前父が物置の中から引っ張り出してきて見せてくれた、古いコミック本の『巨人の星』みたいだった。父にしてみれば繁は星飛雄馬(ほしひゅうま)、自分は星一徹(ほしいってつ)気分であったのだろう。繁には、初めはいい迷惑でしかなかった。何度も何度も、辞めたいと思ったこともあった。だが繁は辞めなかった。もし辞めれば、どうせ近所や学校の友達と同じように、塾に通わされることになる。それを思えば、まだ野球の方がマシだと思った。それと父は、学校のテストや通知簿の成績が良くても悪くても、何も言わないくせに、野球のこととなると違った。特にエラーや凡ミスなど、良くないプレーをしてしまった後の反省会は、帰宅して入浴時から夕食時、そして時には、繁がその日夜眠る間際まで続くこともあった。もうそれはただ野球の反省というより、父の人生塾のようであった。繁は、父と野球から、人生を学んだ。
 やがてバットは金属製から木製に、ボールはゴム製から皮製に、そしてグローブも勿論皮製にとそれぞれ材質は変わり、玩具だった道具も、用具に変わった。ユニフォームもグラウンドも、チームメイト達の顔も皆変わった。しかしバックネット裏で繁を見守る父の、厳しくてそして温かいその眼差しだけは、昔のままだった。

(続く)

蟻に訊きたし 3

2005年12月30日 02時36分42秒 | 小説
 ドームの中には、雨だけでなく、風もない。太陽も雲も月も星も、それらを満たす空もない。そして暑くもなく寒くもない。つまり朝でも昼でも夜でもなく、春でも夏でも秋でも冬でも、そのどれでもなかった。
 その代わりドームの中には、音がいっぱいあった。何万人という観客の声援に占領される一軍の試合の場合と違って、多い時でも二、三百人程度のお客しか入ることのない二軍戦は、とにかく野球のナマ音が聞こえやすい。ベンチやコーチからの指示や野次、プロの選手たちが投げる音打つ音、走る音守る音は勿論、ボールが空を切って飛ぶ音さえ聞こえる。それはもう、野球アニメでも観ているかのような臨場感で、その独特の臨場感を味わいたいがために、足しげく球場に通う二軍戦ファンも多くいる。そしてドームの屋根や壁は、こうしたすべての音を増幅させ、残響音となって木霊(こだま)する。その上ホームチームであるバファローズの選手が登場する度、テーマミュージックが流れ、またヒットやホームランを打つ度、或いはピッチャーが三振を奪う度、いちいち派手なファンファーレが響き渡る。ここまでくれば、それぞれの音は本来の自然な領域を超え、やけに大げさに演技演出された効果音となって、主役であるはずの選手たちの名演技をも、翻弄させてしまっているかのようにもみられた。繁は思った。
「なんや、これ、テレビゲームみたいやないか……」
 一方、派手な演出とは対照的に、観客席は冷めていた。もっとも、バックネット裏のボックス席の背もたれの後ろに仕込まれたエアコンが、効き過ぎていたせいかもしれないが……。繁は、球審のプレイボールがかかる直前、そのバックネット裏に父の姿を見つけた。やはりまた今日も、息子の晴れ姿を観にきてくれていたのだ。ドームという、何もかもがいつもと違う条件の下で、観客席には今日も父がいる。ただそのことだけが、いつもと同じだった。

(続く)

蟻に訊きたし 2

2005年12月29日 03時22分49秒 | 小説
 初夏、繁は大阪ドームのマウンド上にいた。プロの世界に入って二年目。初めてのドーム球場は、夢のような空間であった。しかし確かに夢ではなかった。紛れもなく、彼はそのマウンドに、ピッチャーとして立っていた。
 夏の終わりにはビールジョッキに例えられるであろう大阪ドームという器にも、さすがに昼間は、観客席の一部の飲んだくれオヤジを除いて、アルコールの匂いはほとんどしない。ただ繁が気になったのは、その大きなジョッキの蓋ともいうべき、大屋根を打ちつける豪雨の音だった。「梅雨のフィナーレ」といったところであろうか、ゴーという雨音が時折激しくなる度、思わず天井を仰いでしまう。どうも落ち着かない。だいたい、今朝は一時大雨洪水警報が出ていたというのに、そんな日に野球ができること自体、何かしっくりこなかった。気が付けば、いつの間にか大雨の中をバスに乗って、野球場に向かっていた。しかも二軍とはいえ、プロ野球の試合のマウンドに立つために……。それもこれも、とにかく何もかもが、しっくりこない繁であった。
 五日前、監督に先発を言い渡されて以来、ずっと舞い上がってしまっていた。昨年高卒でドラフト外入団。一年目は養成期間ということでトレーニング中心の毎日。僅かに試合に出たのはシーズン後半。それも敗戦処理程度のが五、六回あっただけだった。しかし今シーズンは、一軍二軍共に新監督が就任したこともあって、ひょっとしたら自分にもチャンスが巡ってくるのでは、と期待はしていた。そして今シーズン。開幕当初はまだ昨年と同じようなリリーフ起用ばかりであったが、繁はそこでまずまずの出来を見せ、こつこつと良い成績も残していた。それが晴れて監督や首脳陣の目にとまり、今回の先発起用となった。でもまさか自分のプロ先発デビューが、大阪ドームになるとは、夢にも思っていなかった。だからこそ舞い上がってしまって、まずそこからして、リズムがくるってしまっていた。おまけに当日はこの大雨。繁が小学校三年の頃から野球を始めて十数年、雨の日に雨に打たれることなく試合をしたことなんて、ただの一度もなかった。雨が降れば試合は中止。替わりに屋内で軽めの練習をして上がる。それが常識だったのに……。体が自然と憶えた常識を、まず否定することから始めなければならなかった。だがドーム球場には、今までの野球の常識―――少なくとも繁の中にあった野球の常識―――を、ことごとく覆してしまうような要素が、まだまだたくさんあった。

(続く)

蟻に訊きたし 1

2005年12月27日 00時00分01秒 | 小説
 ほとんど一日中うるさく聞こえていた、近所の子供たちのはしゃぐ声が、最近少し静かになった気がする。多分、溜まってしまった夏休みの宿題に追われている子が、家で缶詰になっているせいであろう。一方、蝉のコーラスも、それまでのニイニイゼミやアブラゼミに変わって、そろそろツクツクボウシが、リードを担当し始めたようだ。
「ツクツクボウシが鳴き出せば、もう秋だ」と、亡くなったお婆ちゃんがよく言っていたらしい。なるほどそう言われてみれば、夜の空気が少し冷たく感じられるようになったような気もする。確かに、真夏日や熱帯夜の日数から芸能界のゴシップまで、<この夏の総決算!>と称した話題が、新聞、雑誌、テレビやラジオを賑わわせている。そして高層ビルや野球場などといった、大仏様でも使えないようなとてつもなく馬鹿でかい器が、例によってジョッキに見立てられるという、そう、この夏のビールの消費量を伝えるニュースを耳にするのも、恐らくもう間もなくであろう。だがそれなのに母や妹たちは、まだ相変わらず「暑い、暑い」を連発する。季節は、ほんとうにもう秋なのだろうか?
 今年の夏、坂上繁(さかがみしげる)は、あまり暑さを実感することがなかった。なぜなら繁は、この夏の大半を屋内で過ごしてしまったからである。つい昨年まで、殺人光線のような夏の日差しに挑むように大地を駈けていた日々を思えば、今年の夏は極楽であったかもしれない。だが繁にとっては、実際に陽の光を浴びることのない夏なんて、反対に地獄でしかなかった。そして今その夏がようやく終わりを告げようとしているのに、繁は、まだなお地獄の淵に佇(たたず)んでしまっている自分を感じていた。久し振りに帰った実家の縁側に腰をかけ、パチン、パチンと爪を切りながら……。

(続く)

トイレの魔人

2005年12月24日 03時01分50秒 | 小説
 昨年の秋のこと。近くの小学校で、地域対抗の運動会がありました。うちには子供がいないので、運動会なんてずっとずっと関係なかったのですが、去年は町内会の役員が当たっていたので、仕方なく参加しました。
 運動会では、役員として場内整理などの仕事の他、うちの町内を代表して、パン食い競走や綱引き、リレーなどの競技にも参加。文字通り、忙しく走り回っていました。
 さてそんなさなか、私は久し振りの運動会に緊張したのかどうしたのか、おなかが痛くなってきました。しばらくは様子をみていたのですが、もうどうしても辛抱できなくなってきて、お弁当を食べていたうちの町内会長の奥さんの持っていたポケットティッシュを「これ、ください!」と一方的に奪い取り、そのまま学校のトイレに駆け込みました。トイレの大をする方の個室に慌てて飛び込み、やれやれと用を足していますと、個室の外から「誰や? 誰が入っとんねん?」と言う男の子の声。
 私は昔のことを思い出しました。私が小学生の頃、やはり同じようにトイレでしゃがんでいると、きまって悪ガキどもがやって来て「誰やトイレ入っとる! ウンコしとる! くっさ~。ベンショベンショ、鍵しめた~!」などとはやされ、よくいじめられたものでした。
 いつの時代にも、こんな悪ガキがいるんだなあ、と思っていると、突然ガタンという音がしました。馬鹿なことにその悪ガキは、私の入っていた個室の壁に外から飛びつき、よじ登り始めたのです。どうやら上から覗くつもりのようです。お尻を捲ったままの私は一瞬慌てました。が、すぐに名案が浮かびました。
 申し遅れましたが、私の本業は声のタレントです。数多くのラジオCMに出演し、声だけでいろいろな役柄を演じてきた経歴の持ち主です。
 私はしゃがんだまま、しばらく息を潜めて上を眺めていました。そしてトイレの壁の上からニョキリと腕が出てきて、いよいよその悪ガキの顔が覗こうとした次の瞬間、私は思いっきり低く図太く大きな声で「誰が入っとったかて、ええやないかい!!」と怒鳴りました。するとバタズッテンガッタン、ドッシーン! と、大きな音がしました。どうやら悪ガキは、鬼のような魔人のような、恐ろしい私の声に大層驚き、トイレの壁をずり落ち、床の上に叩きつけられたようでした。
 私はおよそ三十年振りに、いじめっ子に仕返しできた気分でした。あ~スッキリした。


小説、次回はスポーツ人間ドラマ『蟻に訊きたし』をお届けします。

BW(ブルーウェーブ)6

2005年12月12日 00時06分08秒 | 小説
 マモルが家の玄関を入ると、ちょうど電話が鳴り出した。急いで出てみると、母であった。今病院で湿布薬(しっぷやく)をたくさん貰って重いので、K駅まで迎えに来てくれと言う。K駅までは徒歩で十二、三分で行けるが、母の足なら、三十分近く掛かってしまう。ましてや重い荷物を持って歩くなど、年寄りには自殺行為に等しい。駅前からタクシーに乗ればいいのに、「勿体ない」とかなんとか言って、乗らない。まったくしょうがない、年寄りには世話が焼ける。そう思って、マモルはさっき入ってきたばかりの玄関で、今度はスニーカーを踵までスッポリと履き、また鍵を掛けて家を出た。
 家から駅までの道の周りには、緑色が目立つ。田圃や畑も多く、ちょうど田植えの作業を終えて、帰っていく耕うん機と擦れ違った。<太閤園ネオポリス>の周辺は、どこも皆長閑である。五分ほど歩いたところに、交通量の多い旧国道が通っていて、そこの押しボタン式信号機を青にしてから、横断歩道を渡る。つい二、三年前までは、ここには信号機も横断歩道もなかった。だが数ヶ月前に建った薬品会社の外塀で見通しが悪くなってしまったある日、道端に生花と、缶ジュースが供えられていた。「警察に頼んでも、──死人が三人以上出ないと、信号機を設けるわけにはいかない――って言われてしまって……」と訴えている人を、いつだったかテレビのニュースで観たことがあったが、まったくおかしな世の中である。マモルはこの横断歩道を渡る度、いつもそんなことを思い出す。
 旧国道を渡って農道に入ると、正面を左右に走る線路が見えてくる。K駅はもうすぐだ。
 その時、突然マモルのの後ろで、チャリチャリチャリン! という鈴(りん)の音が、けたたましく鳴り響いた。とっさに道の右端に避けたマモルのすぐ脇を、一台の自転車が猛スピードでビュンと走り抜けて行った。その一瞬、マモルは信じられないものを見た。今尋常とは言えない速さで自分を追い越したその人の、まるでキャッチャーのように後ろ向けに被っていた青い野球帽の鍔(つば)の上に、黄色いBWの文字があった。後ろ姿とはいえ、ついさっき移動図書館の帰りに見た、あの同じシャツ同じズボン。それに何より、青い青いBWの野球帽。その自転車の人は、草谷さんのお爺さんに間違いなかった。くどいようだが、そのスピードは、九十歳を過ぎたよちよち歩きの老人の出すものとは、とても想像できかねる速さであった。
 この光景に、マモルははっとさせられた。同時にマモルの頭や胸や腹の内で蠢(うごめ)いていたもやもやしたものが、たった今あの老人のもたらした風によって、何もかも全部吹き飛ばされていったような、清々しい気分になった。ふと見上げれば、梅雨の空を覆っていた灰色の雲は切れ切れになり、その雲の切れ間からは、青い青い空がのぞき始めていた。そういえば、あの気象予報士も言っていたっけ。
「明日は梅雨の中休み。青空が広がって、皆さんハレマッ!、なんて驚かないようにしてくださいね」って……。
 マモルは、電車を降りてくる母をK駅で待ち受け、母が重たそうに持っていた、湿布薬のたくさん入った手提げを受取り、二人して家路についた。その途中、マモルは本屋に立ち寄って、珍しくも一冊の文庫本を買った。本屋から出てきたマモルの手にあった文庫本を見て、母は声を上げて笑った。本の表紙には、夏目漱石『坊っちゃん』、という題字があった。

(完)


小説、次の作品は、ミステリー『アジサイ~地下鉄の声~』をお届けします。

BW(ブルーウェーブ)5

2005年12月11日 00時01分56秒 | 小説
 公園のある希望ヶ丘町の真ん中の道を、スニーカーの踵を踏んづけたまま、マモルは歩いた。道の両側に建ち並ぶ同じような形をした家家の前には、白や紺といった、比較的地味な色をしたクルマばかりが、キチンと列を成すように路上駐車されている。ある家では鳥籠のブンチョウが囀(さえず)り、またある家の門柱には、銀色のふさふさの毛をしたペルシャ猫が、狛犬のように、気取った顔で座っている。誠に絵に描いたような、閑静な住宅街である。マモルは希望ヶ丘町を南の端まで歩いて、手すりのある緩やかなスロープを登った。このスロープの上に、マモルの住む石ノ川町(いしのがわちょう)がある。
 石ノ川の西の岸辺を底辺に、三角形に伸びる石ノ川町は、約六十世帯。<太閤園ネオポリス>の中では、希望ヶ丘町に次ぐ大きな町である。
 左手に石ノ川町、そして右手に希望ヶ丘町を見ながら、マモルはその町と町を隔てる、幅の広い道を歩いていた。すると、道のずっと先の、左側の石ノ川町の、二筋目の通りの角辺りから、一人の老人が姿を見せた。老人は角を曲がって、マモルの方に向かってゆっくりゆっくりと歩いて来る。遠視のマモルには、その老人が自分と同じ石ノ川町内に住む、草谷(くさたに)さんのお爺さんであるということが、すぐに判った。マモルは、以前にも何度か、このお爺さんを見掛けたことがあった。最初に見たのは、もう一年ほど前になる。やはりその日と同じく、移動図書館に母の借りた本を返しに行った帰りだった。お爺さんは、荷物運びにでも使うような台車を押していて、その上には十冊ほどの本が、高く積み上げられて乗っかっていた。よちよち歩きの赤ちゃんみたいな、おぼつかない足取りで台車を押すお爺さんの頭には、青空よりも鮮やかな、青い青い野球帽があって、そしてその帽子の中央には、黄色いBとWの大きな文字が並んでいた。あのプロ野球界のスーパースター、イチロー選手と同じ帽子であった。お爺さんとイチロー選手、その違和感がもっとも強烈な印象となって、マモルの記憶に残っていた。それからも何度か、マモルはこのお爺さんを見掛けた。移動図書館の来ないある日には、杖に頼って歩いていたこともあった。だがいつもいつも、やはりあの青い野球帽を被っていた。そしてまた今日も、である。
 マモルが、同じ老人会に所属する母に訊(き)いたところによると、草谷さんのお爺さんは、もう九十歳を過ぎているのだそうだ。九十歳代にしてあの読書意欲は何だろう? 歩くこともままならない老人の、どこにあれだけ多くの本を読む、読書力が隠されているのだろうか? 本などはほとんど読んだことのないマモルには、到底想像も着くはずはない。きっと歳をとると、そんなことぐらいしか楽しみがなくなってしまうのだろうと、マモルはただ思うのだった。

(続く)


BW(ブルーウェーブ)は、次回第6話、完結拡大版でお届けします!ご期待ください!