西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

負けた

2007年06月25日 19時32分00秒 | 関西ですねん!
 数年ぶりに阪神甲子園球場へ行った。

 セ・パ交流戦、阪神タイガースvs北海道日本ハムファイターズ。北海道の友人が懸賞で当てたチケットを譲り受けたのだが、同伴者も見つからず、結局独りで行った。

 しかし昨日は、朝からあいにくの雨。それも降ったり止んだりの微妙な天気。中止や試合途中のノーゲームを覚悟しながら、甲子園に向かう。

 試合開始に少々遅刻して球場入りすると、既に日ハムに1点をリードされていた。
 レインポンチョを頭からすっぽりと着て、アルプススタンドに陣取る。座席が小さいので、大きめの体でレインポンチョ姿の私としては、2座席独占できたのは、結果的には幸いだった。

 だが試合は、先発捕手の野口がバースデーホームランを打ったのみの1点だけしか取れず、3対1でタイガースの惜敗。

 普段からあまり球場に足を運ぶことが少ない私とは言え、それでも私が観戦した時のタイガースの勝率は8割程度。今回実に23年ぶりに、タイガース1軍の負け試合を目の当たりにしたことになる。


 まさか23年分の疲れと言う訳でもないだろうが、それにしても……、疲れた。

バーカヤロー!

2007年06月24日 02時02分00秒 | Weblog
 亡父は生前、よくこんな独り言を発していた。

「バーカヤロー!」

 家族で食事をしていたりテレビを見ていたり、そんな時に突然皆を前にして「バーカヤロー!」とやるものだから、母も兄も私も、その都度驚かされてしまっていた。

 そんな父に母は「誰がバカやのん? 何でバカやのん? びっくりするやないの、いつもいつも!」とぼやいていたが、母にそう突っ込まれても、父はいつも苦笑いをするばかり。結局その真意は分からないまま父は逝き、16年が過ぎた。


 最近、妻がパートに出始めて、部屋で独りになることが多くなった私……。

「バーカヤロー!」

 ……と、ついつい亡父とまったく同じ独り言を言ってしまっている自分に気がついた。

 分かった! ようやく理解できた。亡父の「バーカヤロー!」は、他人に向けられていたものではなく、自分自身に向けてのものだったのだ。
 今日発した言動や、昔々の行動に至るまで、自分自身の不甲斐なさを反省する気持ちが、ついつい「バーカヤロー!」という言葉になって口から洩れた、言わば自虐的ともとれる、独り言だったのだ。
 まったく、親の心子知らず。父が亡くなって16年……。知らなかったよ、お父さん……。

 あ、そう言えば……、父の日は、一週間前の日曜日であったな……。


 バーカヤロー!

北のカーテン

2007年06月22日 03時49分00秒 | Weblog
「うちは窓が北側なんで、カーテンも掛けられないんですよ」

 最近、ある知人から聞いた言葉であるが……、はてさて意味がまったく理解できない。

 何故、北側の窓にカーテンを掛けられないのか? 北側の窓にカーテンを掛けてはいけない理由や理屈が、いったい全体、どこにあると言うのだろうか?
 実際、我が家には北側の窓にカーテンを掛けているのだが……、何かいけないことをしているのだろうか?

 ……ふうむ、やはりどう考えても、まったくもって解らない。


 風水とかか……?

ママチャリに乗って

2007年06月20日 18時07分00秒 | Weblog
 妻がパートに出始めて、数日経った。
 
 今朝は7時過半には起床。朝飯も食わず妻のママチャリにまたがって、二、三百メートル離れた実家へ。8時からの廃品回収に備えて、ガレージからたくさんたまった古新聞や古雑誌などを運び出し、我が家に戻る。

 朝食をとって妻を仕事に送り出した後、昼過ぎまで眠る。
 起き出してまずPCのスイッチオン! ネットを見たりパズルゲームをしばらくして、頭をシャキッとさせる。

 妻が干していった洗濯物を取り込み、戸締りをして再びママチャリで実家へ。
 借りていたタッパーと小鉢を返し、青竹踏みみたいな用具をもらう(履き慣れない皮靴で、妻の足が悲鳴を上げている為)。
 その足で2キロほど離れた図書館へ行き、妻が借りていた本を返却。ママチャリにも、だいぶ乗りなれてきた感じ。

 帰宅してしばらく休憩をとりながら、今またパソコンに向かっている。
 これから流しにたまった食器を洗った後、さっき取り込んでいった洗濯物を畳む予定。


 これが……、自称世捨て人たる私という男の、結婚後のある日常である。

夜明けの中で

2007年06月12日 09時36分00秒 | Weblog
 妻の仕事が、ほぼ決まった。

 私たち夫婦にとっては朗報なのだが、なかなか良い結果の出ない私個人にとっては、いささか妻に先を越された感があって、切ない気もする。
 そんなことを考えていたら、なんだか眠れなくなってしまった。

 そして眠れぬままの午前4時。配達されてきた朝刊を取りに出たら、玄関の外はまだ真っ暗だった。
 新聞を読み始めて30分程経つと、その間に夜が明けてきて、段々に窓の外が白んできていた。

 私はふと夜明けの風景写真を撮りたくなって、カメラを片手にベランダに出てみた。するとどうだろう、ベランダのすぐ下に広がる田圃の真ん中辺りに、長い足をした背の高い鷺(サギ)が一羽、ひっそりと佇んでいるではないか。何か餌になるような虫でも、啄ばんでいたのだろうか?
 私は思わず、カメラのシャッターを切った。

 鷺は、しばらくすると大きな羽を広げて、北の方角へと飛び立っていった。
 鷺のいなくなった田圃の水面は、朝焼けに照らされて、少しずつ赤くなっていくのだった。

 朝8時半過ぎ、仕事の研修に出かける妻を見送りながら思った。
 私にも、いつかあの鷺のように朝焼けに向かって、大きな羽を広げて飛び立てる朝がやってくるであろうことを心から願い、またそうなることを信じたい。


 妻よ、ありがとう。私も頑張るからね。もう少しの辛抱だよ。

静かなる観戦

2007年06月11日 16時57分00秒 | テレビ
 妻が実家に帰った時は、テレビが私の話し相手になる。

 とは言え、テレビに出ることがひとつの仕事である私にとって、家庭でのテレビは少々うるさく感じてしまうこともある。

 そこで面白い番組を見つけた。CS放送、日テレG+(ジータス=http://www.ntv.co.jp/G/)の『練習中・直生』である。
 ジャイアンツの試合前の練習風景を、ただただダラダラと長時間生放送する番組だ。途中レポーターからの情報や、ここ数日の試合をVTRで紹介する時だけコメントは入るが、それ以外はコメントなし。あとは選手たちの声と球場内に控え目に流れるBGMと、カキーンとかいう打撃音やパーンという捕球音しか聞こえない。まったく静かな番組である。

 野球選手にとって、その日の練習は非常に大切。練習結果が、即夜の試合に反映することも多いからだ。

 例えば今日のイ・スンヨプ……。不調から4番を外されていた彼だが、新4番の阿部の昨夜の怪我で、また4番へ復帰するとの噂が高い。そんな今日の彼は、ステップを踏みながらの、ちょっと変わった形の打撃練習。果たしてそんな練習法が、今日のイ・スンヨプをどう変えるかが、今夜の見ものでもある。

 そんなことを考えながら、じっとジャイアンツの練習風景をテレビで見ていた私だったが……、タイガースファンの私故、本当は阪神の練習風景を見たいというのが、正直なところである。


主夫修行中

2007年06月09日 00時26分00秒 | Weblog
 妻が仕事を探している。

 毎日毎日、新聞の折り込み広告やネット検索等を駆使して職を探し、既に何件か試験や面接も受けにいっている。
 故に近いうちには、妻は恐らくパートに出ることになるであろう。

 そうなるとすれば、今後私が家で一人になる時間も多くなることは間違いない。家事能力ゼロに極めて近いこの私が……。

 そんな私が、妻に貰った誕生日プレゼント。それが洋服たたみボード「クイックプレス」だ!

 これさえあれば、何かにつけて不器用なこの私でも、洗濯物を簡単にたたんで片付けることが出来るという優れもの。これを使って衣服を奇麗にたためた時には、なかなか嬉しい気分になる。


 こうして私は、少しずつ少しずつ、主夫への道を歩み始めている……?

ミザリー

2007年06月08日 02時02分00秒 | Weblog
 妻は元来、私のブログのファンである。交際を始めた頃、急にブログの閲覧数が増えたことがあったが、あとで聞けば、どうやらそれも彼女の仕業らしかった。

 結婚して数か月。ネット環境もほぼ整って、毎日何度かは必ずパソコンの前に座るようになった。
 すると妻は私に「書いて書いて」と、毎日のようにややしつこくせがむようになった。

 そして、私は思い出す。スティーブン・キング原作で映画化もされた『ミザリー』を……。
 瀕死の重傷を負った作家が、ミザリーという女性の手厚い介護に助けられるも、やがて病床で書く彼の作品に注文を付け始め、凶暴化していく彼女が彼への虐待をエスカレートさせてゆくというあのストーリーを……。


 私は最近、妻がキャシー・ベイツに見えてきて、怖い……。

お墓がない!?

2007年06月07日 00時57分00秒 | 関西ですねん!
西野山古墓発掘へ 田村麻呂との関連裏付け 京都市(産経新聞) - goo ニュース


♪ 田村の森の わかみどり~

 私が卒業した小学校の校歌の歌いだし部分である。

 小学校のすぐ北側には、平安時代初期の武人で征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)の墓があり、その前にある広場とともに木々に囲まれ、その地域では「田村森」の名で親しまれ、小学校の校歌にも歌われ、我々子供たちの恰好の遊び場にもなっていた。

 1972(昭和47)年には、広場は「坂上田村麻呂公園」として整備され、公園のオープン記念式典には、私の在籍した当時の6年3組が学校代表として参列。児童会長らがテープカットを行い、クラス全員で校歌を斉唱した。

 そうして小学校のひとつのシンボル的存在だった思い出多きあの坂上田村麻呂の墓地が、実はそこにはなかったのだという。

 勿論今現在、小学校もずっと同じ場所に位置し、校歌の歌詞も昔のままである筈だ。あの校歌は、今後どうなるのだろうか? そして「田村森」を支えてきた地域の人々のロマンや、我々の思い出は……?


 まったく、歴史という学問は、罪な学問である。

HP閉鎖のお知らせ

2007年06月06日 01時18分00秒 | Weblog
 私のホームページ「私立カームラ博物館」(BBS「カームラ・Kの新南大阪紀行」を含む)は、ネット環境変更に伴い、休館閉鎖致します。

 長らくのご愛顧、誠にありがとうございました。


 尚、このgooブログ「西向きのバルコニーから」とmixi日記(内容はほぼ同じ)は、引き続き公開してまいります。

 今後とも、ご愛読宜しくお願い申し上げます。