西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

蟻に訊きたし 1

2005年12月27日 00時00分01秒 | 小説
 ほとんど一日中うるさく聞こえていた、近所の子供たちのはしゃぐ声が、最近少し静かになった気がする。多分、溜まってしまった夏休みの宿題に追われている子が、家で缶詰になっているせいであろう。一方、蝉のコーラスも、それまでのニイニイゼミやアブラゼミに変わって、そろそろツクツクボウシが、リードを担当し始めたようだ。
「ツクツクボウシが鳴き出せば、もう秋だ」と、亡くなったお婆ちゃんがよく言っていたらしい。なるほどそう言われてみれば、夜の空気が少し冷たく感じられるようになったような気もする。確かに、真夏日や熱帯夜の日数から芸能界のゴシップまで、<この夏の総決算!>と称した話題が、新聞、雑誌、テレビやラジオを賑わわせている。そして高層ビルや野球場などといった、大仏様でも使えないようなとてつもなく馬鹿でかい器が、例によってジョッキに見立てられるという、そう、この夏のビールの消費量を伝えるニュースを耳にするのも、恐らくもう間もなくであろう。だがそれなのに母や妹たちは、まだ相変わらず「暑い、暑い」を連発する。季節は、ほんとうにもう秋なのだろうか?
 今年の夏、坂上繁(さかがみしげる)は、あまり暑さを実感することがなかった。なぜなら繁は、この夏の大半を屋内で過ごしてしまったからである。つい昨年まで、殺人光線のような夏の日差しに挑むように大地を駈けていた日々を思えば、今年の夏は極楽であったかもしれない。だが繁にとっては、実際に陽の光を浴びることのない夏なんて、反対に地獄でしかなかった。そして今その夏がようやく終わりを告げようとしているのに、繁は、まだなお地獄の淵に佇(たたず)んでしまっている自分を感じていた。久し振りに帰った実家の縁側に腰をかけ、パチン、パチンと爪を切りながら……。

(続く)


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