西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

チャリンコ漕いで1時間

2010年04月25日 21時29分00秒 | ステンショから
 妻がパートや買い物等に出かけていたり、一緒に自転車で出かけたりする時には、これまでわざわざ私専用のマウンテンバイクを実家まで取りに行かねばならず、この点がいささか不便で面倒であった。

 そこで、下駄代わりに気軽に使えるような自転車をもう1台、購入することになった。

 まずはなるべく安価な中古品はないものか、探してみる。ネットでは1台五千円以下の商品も出ていたが、出来れば実際にこの目で見て乗り心地を確認してから購入したい。しかし近所で中古自転車を扱っている店を探してみても、常時何台かの在庫があって、メンテナンス的にも信頼出来そうな店が見つからない。
 そうしてようやく探し当てた店は、堺市の新金岡にあった。

 
 大阪市営地下鉄御堂筋線「新金岡(しんかなおか)」駅。



 自宅から新金岡までは、直線距離なら10km弱。車なら20~30分もあれば行ける距離ではあるが、南北の線が中心の電車にジグザグ乗り換えて、1時間近くかかった。

 そしてそして、予定通りの店でお目当ての中古自転車を購入。帰りは勿論自転車で、1時間余りかけて帰宅した。


 おにぎり3、2個分のカロリー消費だったらしい……。


Mapion「キョリ測(ベータ版)
http://www.mapion.co.jp/route/

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宇治市のフタ

2010年04月23日 20時51分00秒 | マンホール
 京都府宇治市(うじし)のマンホール。




 宇治川に架かる宇治橋の三の間と、市の木・イロハモミジが描かれている。
 三の間は、豊臣秀吉が茶を淹れる湯を汲み上げさせた場所として知られている。





 真ん中に市章。
 周りには、宇治の名産品であるお茶の葉の意匠化されたものが描かれている。

 市章は、宇治の「宇」の字が図案化されたもので、昭和26年1月22日に制定された。(宇治市のホームページ参照)。
 
 ちなみに宇治市には、市の木の他に「茶の木」が「市の宝木」に制定されている。
 「ほうぼく」と読むのか「たからぎ」と読めばいいのかは定かでないが、いずれにせよ伝統産業であるお茶が、市にとって特別な存在であることが分かる。


 2008(平成20)年7月18日、同市六地蔵にて(写真上)、及び2010(平成22)年4月5日、同市蓮華にて(写真下)、それぞれ撮影。

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次回は鵜飼を見たい

2010年04月20日 05時05分00秒 | ステンショから
 京阪宇治線「宇治(うじ)」駅。

 


 この駅を初めて利用したのは、私が小学4年生か5年生だったと思う。
 母に「10円玉の鳳凰堂ぐらいは見とかんと……」と言われて連れてきてもらった時のことである。

 それからも2度3度、訪れている。
 中学生時代に友人を案内し、そしてまた大学時代にも友人を案内してここに来たことがあった。

 そして今月5日、今度は花見がてら妻と二人で宇治に行った。実に19年ぶりの訪問となった。

 


 帰り道、平等院の参道にある宇治茶の店で買った焙じ番茶が、その美味しさの所為か、早くも底をつきそうである。

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夜のYouTube 25(今日のホームラン)

2010年04月18日 04時14分00秒 | 夜のYouTube
 我が家が加入しているケーブルテレビでも、この4月から「フジテレビONE」と「フジテレビTWO」が新たに基本チャンネルに加わり、視聴出来るようになった。

 で、毎日楽しみなのが「プロ野球ニュース2010」!
 昔ながらの「プロ野球ニュース」がそのまま復活したような番組で、プロ野球ファンとしては、純粋に楽しめる。


 勿論「今日のホームラン」コーナーもある!


James Last - Vibrations


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奈良市のフタ

2010年04月16日 14時48分00秒 | マンホール
 奈良県奈良市(ならし)のマンホール。




 中心に市章。鹿。市の花「ナラノヤエザクラ」が描かれている。
 鹿は国の天然記念物に指定されており、春日大社では神の使いとされている。

 




 JIS企画模様の真ん中に市章。
 奈良市に市制が施行されて5年後の1903年(明治36年)5月に制定されました。
 天平の昔から奈良にゆかりの深い名花奈良の八重桜をかたどり、花芯に奈の字をえがいています。この奈良の字「示」は、日・月・星の三光にかたどられています。
 昔、三笠山で鶯に三光の鳴き声を習わせたという伝説にちなんだものです。

 ナラノヤエザクラ。
 「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」(伊勢大輔)と古歌にも詠まれた八重桜。ナラノヤエザクラは、4月下旬から5月上旬にかけて白色ないし淡紅白色の花を咲かせ、花びらは22~79枚で、直径は4~4.5cmです。大正12年3月7日に東大寺知足院のナラノヤエザクラが国の天然記念物に指定されており、多くの人々に大変親しまれています。

 以上「市章」「ナラノヤエザクラ」の解説は、奈良市オフィシャルウェブサイトからコピー。
 奈良市オフィシャルウェブサイト
 http://www.city.nara.nara.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html


 2010(平成22)年3月31日、同市下御門町(写真上)、角振新屋町(写真下)にて撮影。

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人力車と桜

2010年04月16日 05時53分00秒 | ステンショから
「体調管理にはお気を付け下さい」

 テレビの天気予報で再三注意を促されていても、こう何度も寒暖の差が激しくなると、どうしても体調不良になってしまう。
 3月の下旬には今シーズン3度目の風邪をひいて、その後は胃腸の調子が悪くなり、花見の飲み会もキャンセル……。しかし何とか花だけは見たいものだと、まずは奈良へ行ってきた。





 JR関西本線「奈良(なら)」駅。

 奈良にはこれまで何度も訪問しているが、近鉄を利用するケースが多く、JR奈良駅の利用は今回が3度目。
 1度目は10数年前に友人と散策に行った時。そして2度目は5~6年前、母が女学校の同窓会に出席した際、付き添って行ったことがある。
 自宅から奈良まで、電車での所要時間的には、近鉄よりJRの方が早くて良いのだが、JR奈良駅から近鉄奈良駅までは数百メートル距離があるので、歩くのが苦手な方には、あまりお薦め出来ないJR奈良駅ではある。

 今回は妻と二人、3月31日に東大寺大仏殿へ。



 その日は温泉付きのホテルに1泊して、4月1日は興福寺、春日大社に参拝。
 折しも奈良は今年遷都1300年祭。その準備か、まだまだあちこち工事の真最中。道路も舗装が剥がれていたりするところも多く、健脚の私達夫婦でも、珍しく疲れて重い足を引き摺るようにして大仏殿前まで戻ってきたところで、観光人力車の車夫さんに声を掛けられ、生まれて初めて人力車に乗ることに。お陰で志賀尚哉旧居や新薬師寺などを見て回ることが出来た。



 人力車のえびす屋
 http://www.ebisuya.com/

 
 あ……、猿沢の池の畔、かぶと虫にも、桜が咲いていた。



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向日市のフタ(100枚目)

2010年04月06日 16時38分00秒 | マンホール
 京都府向日市(むこうし)のマンホール。

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 亀甲模様の中心に、市の紋章。 

 向日市の紋章は、市民の花ヒマワリを軸に、太陽に向かって飛躍する向日市を表したものです。
市のシンボルカラー「スカイブルー」やマスコットマークとともに、市制施行10周年を記念して、昭和57年10月1日に制定したものです。(向日市HPよりコピー。)

 「市章」ではなく「紋章」であったり、「市の花」ではなく「市民の花」といった呼称が、他の市町村と違っている点が面白い。



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 亀甲模様の中心に市の旧紋章。
 向日町時代から使われてきた紋章かと思われる。
 「向日(むこう)」の「ム」を意匠化したものか。


 2010(平成22)年3月19日、同市寺戸町にて撮影。

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仏壇から饅頭

2010年04月04日 14時07分00秒 | ステンショから
 阪急京都本線「東向日(ひがしむこう)」駅。




 父の弟である叔父が、生前住んでいたの家の最寄り駅。

 私としては、この叔父の家で行われた祖母の告別式の際の光景が、ぼんやりと記憶に残っている。当時私は2歳。恐らく私の記憶としては、一番古いものと思われる。

 ただ最近改めて母や兄に当時のことを確認してみると、どうやらこの時はこの駅を利用していないらしい。なんでも喪服の母と同行することを私が嫌がり、仕方なくタクシーを使ったのだそうだ。そんなことで人目を気にしていた2歳の私って……? まったく気色悪い2歳である。


 叔父とは、じっくり話し合った記憶はない。しかし晩年、私が電話に出た際、よく叔父は話をした。特に戦時中、加藤隼戦闘隊の整備兵だった頃の自慢話をよく聞かされた。元来話好きだった叔父にとっては、生後半年程で既に大人と普通に会話していた私という甥は、格好の話相手だったのかもしれない。




 そんな叔父が亡くなったのが、1993(平成5年)の正月。丁度母は酷い神経痛で動けず、私も骨折後のリハビリ中で、告別式に出席することも出来ずで、結局その年の夏、初盆のお参りに家を訪問した際に、この駅を初めて利用した。

 仏壇に飾られた叔父の遺影のニヤリとしたその笑顔が、あまりにも叔父らしい雰囲気のある表情だったので……、「叔父さん『ヘヘン、また生意気言いよって』って笑うてはるで」と私が言った途端、ガタガタン、ドンドンドト~ンという音を立てて、仏壇に供えてあった饅頭が畳の上まで転げ落ちてきた。


 お盆に叔父が、帰ってきていたのだろうか? いや、それにしても驚いた。

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