西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

ミヤモッチャンは心の師

2007年01月31日 01時19分00秒 | テレビ
NHKの宮本隆治アナウンサー、4月からフリーに(読売新聞) - goo ニュース

 宮本隆治アナウンサーが初任地の帯広放送局から、京都放送局に転任してこられた頃、私は確か高校生だった。

 FMのリクエスト番組に初登場された宮本さんは、いきなり刑事コロンボを始め、数々の物真似を披露したりして、そのNHKらしからぬおどけたトークで、たちまち私の心は鷲掴みにされてしまった。
 その後もリスナーからは「ミヤモッチャン」の愛称で親しまれ、当時の京都放送局では、大変人気の高いアナウンサーだった。私が「ミヤモッチャン」みたいなアナウンサーを目標に考え始めたのもちょうどこの頃で、ファンレターなんかも書いたりした記憶もある。

 ミヤモッチャンはいつか東京で活躍する人だと私が想像していた通り、その後宮本さんは東京の放送センターに赴任。数々の番組を担当され、「紅白歌合戦」の総合司会や、最近では国民的番組「のど自慢」の司会を務められるなど、正にNHKの顔的存在としてご活躍なさってきた。

 その宮本さん……、いや、あのミヤモッチャンが遂にフリーになられるとは、私も長年のファンとして感慨無量だ。
 
 更なるご活躍を、心より期待したい! 
 ガンバレ! ミヤモッチャン!!

うそかえ祭

2007年01月27日 01時23分00秒 | 関西ですねん!
 25日は初天神。大阪、藤井寺市にある道明寺天満宮で行われた「うそかえまつり」に出かけた。
http://www.domyojitenmangu.com/usokae.shtml

「うそかえまつり」は菅原道真公ゆかりの神事。

 集まった参拝客一人一人には、それぞれ鷽鳥(うそどり)をかたどった木彫りのお守りが入った小さな袋が手渡される。そして参拝客らは、口々に「かえましょう、かえましょう」と言いながら、その袋を見ず知らずの者同士で交換に交換を重ねていく……。そうして15分ほど経つと、太鼓の合図とともにその袋を開ける。それで中にある木彫りの鷽鳥の裏に「金」「銀」などの文字が記されているものが入っていたら、それぞれ純金製や純銀製といったお守りと交換してもらえる。言わば福を授かることになる。

 たくさんの人々と「うそ(鷽鳥)」を「かえる(交換する)」ことによって、去年ついた「うそ(悪事)」を「誠(良運や福)」に変えようといった、厄払いの意味合いもある神事である。

 老若男女、何百人もの見ず知らずの人たちと「かえましょう、かえましょう!」と、まるでゲームのように鷽鳥の入った袋を交換していく内に、皆自然と笑顔になり、見ず知らずの他人同士のはずなのに、いつの間にか皆が親兄弟か友達のように、何となく親しみを覚えるようになってくる。不思議なひと時を過ごせる、お祭であった。


 日本中で、いや世界中で、もしこのようなお祭が広まれば……、世の中から争い事がなくなるかもしれない……、と思った。

マカロニほうれん荘

2007年01月20日 10時44分00秒 | Weblog
 今から20数年前、『マカロニほうれん荘』という、学生の下宿が舞台になっている人気漫画があった。
 当時はその人気にあやかってか、恐らく全国各地にこの「マカロニほうれん荘」と呼ばれる下宿や学生寮などが、数多くあったのではないかと推測される。

 そしてこの「マカロニほうれん荘」が、私の新居に決まった。

 学生時代の私は、この「マカロニほうれん荘」には一度も足を運んだことはなかったが、同じ学科の同級生が住んでいたことも知っていたし、ちなみにマイミクの「k1-yanto」も、この近所に住んでいた。そんな風に直接は知らなくても、やはり多少の懐かしさと親しみを覚える文化住宅(アパート)ではある。

 さあ今度はそこへ自分が住むことになった。結婚して新しい生活を始めるその場所が、学生時代から親しみのあるその場所になった。


 20数年前というひとつの原点とも言えるその場所から、また新たなスタートを切る。感慨もひとしおである。

ミュージカルにいこう!

2007年01月18日 00時09分00秒 | Weblog
 友人「こまり」の書いた本が、19日発売される。そのタイトルは、『ミュージカルにいこう!』。
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN4-7872-7225-X.html


 「こまり」と私とは、ちょうど10年前に香川県高松市に当時あった、コミュニティFMラジオでのパーソナリティ仲間(弟子でもある=笑)で、女性デュオ、マリマリズのメンバー。
 彼女は当時から音楽や演劇、映画などの話題が豊富で、相方の「おおまり」とのお喋りがまるで漫才師みたいで、誠に楽しい番組を担当していた。

 あれから10年……、またまた新たなデビューをする「こまり」に、注目の◎をあげたいと思う。


 本屋へいこう!!

「シ」と「し」と「ツ」と「つ」

2007年01月17日 13時17分00秒 | Weblog
 片仮名の「シ」と「ツ」をはっきりと区別して書けない人が、世の中には案外多い。
 某ネット掲示板等では「ヤツ→ヤシ→香具師」なんぞという、誤用を起点とした新語なるものも常用されているようなこともあるが、はてさて如何なものであろうか……?

 では念のため、「シ」と「ツ」の簡単に覚えられる正しい書き方を……。

 まずは平仮名の「し」と「つ」を書いてみよう。そしてその平仮名をなぞるように、片仮名を書けば良い。
 つまり「シ」は「し」と同じように、上から下へ点点を書き、最後にその下から上へ向かって跳ねると「シ」が書ける。
 また「ツ」も「つ」と同じように、今度は左から右へ点点を書き、最後にその右から下へ向かって跳ねると「ツ」が書けるのである。


「シ」と「し」、「ツ」と「つ」。片仮名と平仮名は、関係が深いものなのだ。

930円のガッツポーズ

2007年01月15日 08時58分00秒 | 関西ですねん!
 昨日、大阪天神橋筋商店街を歩いていたら、妻が靴屋の前でいきなりガッツポーズを見せた。

 靴屋の店頭には、数日前に心斎橋筋商店街で買った私の靴と同じ物が並んでいた。値札に書かれた金額は「1980円」。実はこの靴、心斎橋では「1050円」で買ったものだった。
 つまり妻は、差額の930円分得をしたことに喜んだ。そしてガッツポーズは、その喜びの表れであったのだ。

 それにしても、品物を安く購入できたことにそこまで喜びを感じるとは……、妻は紛れもなく、既に大阪のオバチャン道を真っすぐに歩んでいるようだ。
 ついでながら、私をそんな妻を誇りに思っている。


 VIVA OSAKA! BRAVO OBACHAN妻!!

2チャン4チャン6チャン…

2007年01月14日 00時35分00秒 | テレビ
2チャンネル(NHK総合)
4チャンネル(MBS毎日放送)
6チャンネル(ABC朝日放送)
8チャンネル(KTV関西テレビ)
10チャンネル(YTV読売テレビ)
12チャンネル(NHK教育)


 以上の例が、関西地区のVHFテレビ局のチャンネル数である。そして関西の巷では、こんな会話をよく耳にする。

「昨日9時から4チャン見た?」
「ううん、私は8チャン見ててん!」

 しかしこれが他の地方へ行くと、こんな会話が当然ながら通用しなくなる。例えば「24チャンネル」だとか「38チャンネル」だとか「55チャンネル」だとか……、チャンネルはほとんどが数の多い2桁の数字になってしまうからだ。だから……。

「昨日55チャン見た?」
「ううん、私は38チャン見てた!」

 な~んて会話は、まずあり得ないと言ってもいいだろう。
 ではこういった地方局の場合どのような言い方をするか……?

「昨日KSB見た?」
「ううん、私はOHK見よった!」
(岡山・高松地方の場合)
 ……といった具合に、それぞれの局を表すアルファベットで言う。ある意味ギョーカイ人並の呼び方である。


 つまり「?チャン」なんぞという言い方をしているのは、関西圏や東京圏の比較的都会人の素人(一般視聴者)。そして「○○○」などとアルファベットで言っているのは、地方人と一部ギョーカイ人といった図式になる。

 さて、貴方は都会人? 地方人? それともギョーカイ人?(笑)

中吉と凶

2007年01月12日 01時02分00秒 | Weblog
 決してノロケで書くつもりはない。


 初詣で奈良の橿原神宮へ行った際、おみくじを引いた。私と妻、それぞれ引いた番号は違うのだが、二人とも同じ「中吉」であった。

 そして今度はえべっさん。大阪今宮戎神社へお参りをして、またおみくじを引いた。私と妻、それぞれ番号は違うものの、これがまた二人とも同じ「凶」(私は、えべっさん2年連続の「凶」)。

 勝手に分析するに、全体的には「中吉」で商売は「凶」……、ってことなのだろうか? ああ、今年も仕事運は振るわずか……?
 どちらにしても、夫婦二人ともお揃いで同じのを引くとは……、いくら新婚ホヤホヤの夫婦でも、こんなことまで合うとちょっと気色悪い感じがする。


 くどいようだが、決してノロケではない!!(苦笑)

TOKIOが空を飛ぶ~♪

2007年01月11日 00時53分00秒 | Weblog
 沢田研二のコンサートへ行った。

 ジュリーというと、最近では映画『幸福のスイッチ』(安田真奈監督)で電器屋の親父役を好演していたのが印象的であったが、歌を生で聞くのは初めて。昔懐かしい歌もたくさん聞けるのではないかと、期待して行った。
 が、しかし……、歌っていたのは新しい曲ばかり。この日歌われた20数曲の内、私が知っていた歌は、アンコールラスト曲の「TOKIO」だけ。正直言って、多少の物足りなさを覚えた。

 だが沢田研二は過去の人ではなかった。そして単なる懐メロ歌手でもなかったのだ。58歳にして今尚、常に進化し続けているアーティストであることを痛感した。ミュージシャンから電器屋の親父役までをも演じ切り、様々なジャンルで独特の存在感をまだまだ堅持するジュリーに、ただただ敬服するばかりであった。


 私なんぞと比べるのはおこがましい気もするが、あの元気なオッサンだけには負けてられへんな、と思った。