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西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

BW(ブルーウェーブ)4

2005年12月09日 17時31分36秒 | 小説
 マモルが公園に着いた頃には、バスに積まれたたくさんの本を、既に大勢の人々が囲んでいた。土曜日の午後ということもあって、子供が多い。特に児童図書の棚がある車内には隙間もなく、子供たちが犇(ひしめ)き合うようにして、本を読んでいた。一方大人はというと、ざっと見たところ女性と老人ばかりで、若い男性は一人もいない。マモルが最近読んだ新聞には、リストラで職を失った人や、就職先の決まらない学生たちによって、図書館の利用者が増えている、という記事が出ていたが、さすがに移動図書館にまでは、それらしき傾向は見当たらなかった。しかし子供や女性や老人ばかりなのが、どうも自分には場違いな雰囲気で、いささか寂しくもあった。
 マモルは、母の借りていた二冊の本を返却した。実を言うと、母はテレビ同様、目の負担にならぬようにと、それほど熱心に本を読むことはない。だからその二冊の本も、ほんの数ページしか読まないまま、返却してしまったことになる。母は「読まずに返すなら、もう借りるのはよそう」などと、たまにそういった消極的なことも言うが、結局は自らの読書意欲が勝り、また借りてくる。母のような老人には、何ページ読むか、という結果よりも、読みたい、というその意欲が大切なのだ。それが母のためなのだと、マモルは母の無駄とも思えるその行為を、自分に納得させていた。
 残念ながら、マモルには子供の頃から読書意欲がない。我が子にたくさん本を読ませようと、全五十六巻にも及ぶ『少年少女世界文学全集』を始め、数多くの本を買い与えてきた母の期待を見事に裏切って、マモルはテレビばかり観ていた。マモルが小学校に上がった頃は、ちょうどテレビが白黒からカラーに移行していった時期だった。「時代が、僕を本から遠ざけたのさ」というのが、マモルの言い分、いや、屁理屈であった。本当は、ただ読書が苦手なだけであった。第一それ程までに本を読まない奴が、今自分史を書いているというのだから、その辺りもどうも辻褄(つじつま)が合わない。とにかく本は返した。これで母に頼まれていた用事は、全部済んだ。さて読書意欲がない上に、場違いな雰囲気ときていれば、後はもう逃げるしかない。マモルは、そそくさと公園を出た。

(続く)

BW(ブルーウェーブ)3

2005年12月08日 00時37分25秒 | 小説
 ポーッ、というかん高い時報の音が耳を突き刺し、驚いたマモルは、少し飛び上がるように再び目を覚ました。いつの間にかラジオを子守歌代わりにして、眠ってしまっていたのだ。柱時計の針は、二時を指していた。つけっ放しにしたラジオからは、既に次の番組のパーソナリティーの声がしている。
 不意にマモルは、母に頼まれていたもうひとつの用事を思い出した。それは母が移動図書館から借りていた本を、代わりに返しておいて欲しいということであった。 
 H市は東西に長く、その距離は十キロ以上ある。マモルの住むこの地域は、<太閤園(たいこうえん)ネオポリス>と呼ばれ、H市の東の端に位置しているのであるが、不便なことに、市役所を始め保健所や郵便局、それに大手スーパーや商店街に至るまで、主要な施設は皆西の端に位置していた。クルマのある家庭ならいいが、マモルはその免許すら持っていない。だから移動図書館は重宝した。もっとも、まったくと言っていいほど読書の習慣がないマモルよりもむしろ、マモルの母が重宝していた、と言うほうが正しい。
 移動図書館のバスは、毎月第一第三土曜日に、隣の町内にある、希望ヶ丘町(きぼうがおかちょう)住宅中央公園にやって来る。それも、確か午後二時から二時四十分までだった。慌ててパジャマからGパンとTシャツに着替えたマモルは、玄関の下駄箱の上に母が置いていった二冊の本を小脇に抱え、スニーカーを履き外へ出ようとして足を止めた。壁に掛けられた鏡の中に、髭面の自分がいたからだ。今履いたばかりのスニーカー蹴るように脱ぎ捨て、洗面所の鏡の前で、電気カミソリを回した。一週間ほど放ったらかしにしていた無精髭は、だいぶ長めで、時々カミソリの網目にひっかかって回転を停め、幾度か痛い思いをした。そうしてやっと外に出直し玄関に鍵を掛け、急ぎ足で希望ヶ丘町住宅中央公園に向かった。慌てて履き直したスニーカーの踵(かかと)は、踏んづけたままであった。細かい雨の粒が、時折マモルの頬をかすめるように落ちてはいたが、もう傘を差すほどの雨ではなかった。

(続く)

BW(ブルーウェーブ)2

2005年12月07日 00時19分44秒 | 小説
 正午の時報とともに次の番組が始まった。眠い。まだ十分な睡眠時間をとれていないマモルは、またうつらうつらして、もうラジオのスイッチを切る気力もない。それでも半分夢の中で、ラジオを聴いていた。お笑い系のパーソナリティーの話すたわいもない取り留めのない世間話があって、今度はニュースアナウンサーが、「交通事故の数」「失業者の数」「甲子園球場の観客動員数」の、それぞれの記録更新を伝える。いつもそう感じるのだが、ニュースというものには、比較的明るい話題が少ない。甲子園のニュースにしたって、長年低迷が続いていたタイガースに対する、ファンの切実な思いが込められていて、決して手放しで喜べるニュースではない。そしてそして、また次のお天気コーナーに毎度毎度出てくる気象予報士が、これまたどうも喜べない。
「今日、近畿地方が梅雨に入りました。さて今日がお誕生日の方は、ハッピー・バースデー・ツー・ユーですね」なんぞという、いつもながらつまらないくだらないどうしようもないダジャレを発する。それを夢うつつで聴いているにも拘らず、そんな素人ギャグについまた吹き出してしまう自分が情けなく、不本意で悔しい思いのマモルであった。
 実はマモルはタレントである。つまり玄人である。本名を沢松守(さわまつまもる)といい、苗字なしの片仮名書きの、"マモル〟は芸名である。しかし世間には、その芸名も顔もあまり知られてはいない。つまり売れていない。勿論レギュラー番組もない。月に二度、三度、事務所からCMやドラマなどのオーディションの話は来るが、その内のいくつが、実際の仕事につながるかは分からない。例え仕事につながったところで、たかが知れている。だから食っていけたりいけなかったりで、食っていけない時は、いい歳をして親の脛(すね)をかじる。といっても、八十前の母のぼろぼろの脛は、もうかじる余地もほとんどなく、その味は悲しく苦い。段々切羽詰まってきた今日この頃、マモルはこんなことを考えていた。母に、後どれくらいの寿命が残されているのだろうか? 母の寿命は、マモルの寿命にも関わる。それを想うと、夜眠り難くなった。そしてどうせ眠れないのなら、いっそ起きていて何かやろうと考えた。そこでマモルが思いついたのが、自分史を書くことだった。本当は三十代半ばで、自分史など書くつもりは毛頭ない。まあ自分史と言えば聞こえはいいが、実質は遺書である。努力しても努力しても実らない、そんな馬鹿な自分の生き様を、せめて書き残しておこうと思った。そろそろ自暴自棄になり始めていた。そういうわけで、マモルは昨夜も一晩中起きて、自分史を書いていた。

(続く)

BW(ブルーウェーブ)1

2005年12月04日 16時02分19秒 | 小説
 その日は、明け方から小雨が降っていた。昨夜から一晩中起きていたマモルは、病院へ行く母を送り出した後、しばらく眠った。
 今年の秋で八十歳になるマモルの母は、毎週土曜日、隣の市にあるK大付属病院のペインクリンックで、神経痛の治療を受けている。通い始めてからもう三年あまりになるが、発病当時に比べればだいぶ良くはなったものの、まだ完璧に痛みはとれていない。多分死ぬまで治らないだろうと、マモルは思っていた。
 突然、自称芸術家で冒険家というが、実際の正体は何者なのかよく判らない、ラジオパーソナリティーのおじさんの喧しい声が、眠っていたマモルを目覚めさせた。十二時半頃に自動的にラジオのスイッチが入るよう、タイマーをセットしてあったのだ。出掛けた母に頼まれていたことがあって、しかたなくそうして起きた。
 母は七年前に緑内障(りょくないしょう)を患って以来、テレビはあまり観なくなり、その代わりほとんど毎日のようにラジオを聴いている。そしてそれぞれの番組のプレゼントコーナーにも、ほとんど毎日のように葉書を出していた。母が頼んでいったのは、もしプレゼントに当選して電話が掛かってきたら、代わりにマモルに聞いておいて欲しい、ということであった。もし当選者が留守だったり、合言葉を言えない場合、当選は無効となる。電話に出てきた者が葉書を出した本人以外の、例えば家族でも、ラジオを聴いていたことさえ証明できれば、それでOKなのであった。土曜日は、いつもなら母は病院に行っていてラジオを聴いておらず、葉書も出していないはずなのであるが、先週はちょうど主治医の先生が学会出席のためお休みで、それに合わせて母も通院をお休みしてラジオを聴いて、葉書もしっかり出しておいたらしいのだ。このプレゼントコーナーには、毎日五百通から千通くらいの葉書が行くそうだから、そうめったに当たりはしない。が、母はこの同じ番組の同じコーナーで、五年前に見事当選したことがあって、その時には米十キロと、ご飯茶碗のセットを獲得している。それに他の番組でも数々の当選歴があって、現金一万円、梨五キロ、便箋、テレホンカード等々、様々な戦利品を得ていて、なおさら熱心に挑戦をし続けていた。
 年老いた母の数少ない楽しみをつなぐため、マモルは眠い目を擦り擦り、ラジオに耳を傾けていたが、結局、その日は見事にハズレであった。

(続く)

小説公開のお知らせ

2005年12月01日 12時36分51秒 | 小説
拙作で恐縮ですが・・・。

この度、新しいカテゴリーとして「小説」を加え、私が数年前に書いた小説4編を、このプログにて随時公開することに致しました。どの作品も大きな感動もなければ、大スペクタクルでもなく、無機質で空気のような日記のような私小説的作品ばかりですが、ひとつのカームラ・Kの世界として、お楽しみいただければ幸いです。

公開を予定する作品は、何れも第72回コスモス文学新人賞入選作の、『BW(ブルーウェーブ)』(掌編)と、『北校舎』(中編)の2作品の他、ミステリー『アジサイ~地下鉄の声~』と、スポーツ人間ドラマ『蟻に訊きたし』の4編ですが…。
今回自身の作品を改めて文章に起こし、公開することによって、新たな創作へのきっかけになればとも考えていますので、読者の皆さんにご好評をいただければ、またつい調子付いて5作目6作目…と、書き下ろしていく可能性もあるでしょう。
とにかく、従来のWeblog同様、なかなか毎日更新するというのはいささか難しいでしょうが、小出しに連載小説のように載せていきたいと思っていますので、今後新たに登場する「小説」カテゴリーに、どうかご注目の上ご愛読下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。


さて、第1弾は『BW(ブルーウェーブ)』。
私のヒマな日常の中に見つけた、一筋の光を描いた作品です。お楽しみに!