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スーパークールビズは広まるか?

2011年06月06日 05時30分00秒 | 社会・経済
この夏はスーパークールビズとやらで省エネ・節電を目指すのだそうだ。
テレビ取材を見ていると旗振り役の環境省や経産省あたりでは、それっぽい服装で登庁してる役人がかなりいた。一方、民間企業ではほとんど見かけない。せいぜいノージャケットでワイシャツ程度だ。
「お客様と応対する業務ですので失礼な服装はできません」なんて答えを聞く。
ポロシャツにジーンズ姿よりもスーツにネクタイ姿のほうが、「きちんとした身なり」、「信用できそう」と印象を与えるのか。

テレビ中継に出る岩手・宮城・福島の首長は全員、作業服姿だ。小さな町や村の町長や村長は実際にガレキ撤去などの作業をしているのかもしれない。だが県知事クラスがそんな現場作業をしているとは思えない。国との折衝や会議、あるいは各部署への指示なんかが主な仕事なのでは。それでも「緊急の視察等を行う際に、外は未だにガレキの山だから」と言うのであれば、それは理がある。
が3月、4月頃は菅総理、枝野官房長官まで連日、作業服を着ていた。永田町にいて作業服を着ている意味は何だったのか。単なるパフォーマンスか。もしも「スーツよりも作業服のほうが活動しやすい」というのであれば、震災など関係なしにずっと作業服を着ていれば良い。

話は変わるが、いじめの原因を集約すると「異端排除」になろう。行動であれ外見であれ、周囲と異なる点を見つけては、それを理由に排除しようとする。これに対して教育者は「人間はひとりひとり違うのだから、違いを認めるのが大切」と説く。その通りと思うが、一方では服装チェックなんて事を平然と行う。スカートの丈が僅かに違うことすら認めない。曰く「服装の乱れは心の乱れ」とか。
我々のような年齢になれば、こうした便宜の使い分けも合点が行くが、生まれてまだ十数年しか経過していない子供たちに理解できるかが疑問だ。御都合主義のダブルスタンダードでしかないかもしれない。実際に転校生が転校先の制服を入手できずに以前の学校の制服で登校したためにいじめられた例もある。

異端排除は日本の現代に限ったことではない。中世ヨーロッパの魔女狩りなどは「異端排除」の極端な例ではないか。周囲と異なる特性を持った者が攻撃されて排除される。それゆえに安全のために周囲と同調して目立たなくする。
「きちんとした身なり」の背景にはそういう事情がある。
人間は外見ではなく中身だと真剣に説くならば、ポロシャツにジーンズ姿と、スーツにネクタイ姿を、全く区別なく信用して接しなければならない。これは服装を着る側の問題ではなく、それを受ける側の問題だ。
そういう概念が改められない限り、スーパークールビズなんか定着しないし、いじめも根絶されっこない。


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