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発言は慎重にネ――臨時国会初日から

2009年10月27日 04時13分00秒 | 政治
鳩山総理の所信表明が行われた。
ニュースで頻繁に取り上げられてるが、気になる一節がある。
それは遊説先で老婆が自殺した子供について訴えたエピソード。
「青森県に遊説に参った際、大勢の方々と握手させていただいた中で、私の手を離そうとしない、一人のおばあさんがいらっしゃいました。息子さんが職に就けず、自らのいのちを絶つしか道がなかった、その悲しみを、そのおばあさんは私に対して切々と訴えられたのです。毎年3万人以上の方々のいのちが、絶望の中で絶たれているのに、私も含め、政治にはその実感が乏しかったのではないか。おばあさんのその手の感触。その目の中の悲しみ。私には忘れることができませんし、断じて忘れてはならない。社会の中に自らのささやかな「居場所」すら見つけることができず、いのちを絶つ人が後を絶たない、しかも政治も行政もそのことに全く鈍感になっている、そのことの異常を正し、支え合いという日本の伝統を現代にふさわしいかたちで立て直すことが、私の第一の任務です」
報道では「年間3万人以上の自殺者が出る社会をなんとかしなければならないと訴えた」と伝え、「いのちを守り、国民生活を第一とした政治」とか「友愛政治の原点」なんて表現されている。
でも演説のエピソードとしてどうなのか?と感じる。
これ、冷静に考えれば「この若者が死んだからこそ総理に届いた」ってことになるよな。逆に死ななければ総理まで届かなかったってなる。明らかにおかしいでしょ?
その前に気付かなければならないのが総理ってもん。
もちろん、これは演説への色付けだろう。「こういう話を入れれば演説がより感動的になりそう……」って。ならばいっそう「いのち」を軽く扱ってるよな。一個人の死が「演説に盛り込む情緒的エピソード」に過ぎないって価値観となる。


もうひとつ気になったのは、鳩山演説に対する谷垣自民総裁の感想。
「ヒトラーの演説にヒトラー・ユーゲント(ナチスの青少年組織)が賛成しているような印象を受けた」
おいおい……。野党が与党を批判するのはお約束としてもヒトラーを持ち出すのはやり過ぎとちゃう。
ご存知のようにマスコミってのは都合が良い部分だけを切り取って、パッチワークのように繋げて伝えるもの。日本じゃ大して問題にはならない発言かもしれないが、仮に欧米でこの部分が放送されたら何かと大変なことになりそう。「日本の今度の指導者はヒトラーみたい」って?
自民党にとってはプラスかもしれないが、自民とか民主とかの党益を超えて、日本の国益として見れば大マイナスだぞ。やけになりすぎだな。

こうして2つの「ことばの問題」を見て感じるのは、鳩山も谷垣も「ことばの力」について、あまりにも無頓着だという点。こんな瑣末なブロガーでも「こういう言葉・表現を使ったらまずいかもしれない」なんて気を使って書いてる。一国の総理や最大野党の総裁がそういう事を全く考えないもんかね。
これだから失言が耐えないんだな、政治家は。
もっと言葉に慎重になるべきと痛感した臨時国会初日でした……。


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